バニラとココアとハンバーグ


 ピロン、とスマホが鳴る。

 チラッと画面を見ると、メッセージの通知だった。


 向かいの雪季が、こちらを気にする様子で少し背を伸ばす。

 が、すぐに手元の夕飯に意識を戻し、箸で切ったハンバーグを口に運んだ。

 遥も同じく、食事に戻る。


「うーん、なかなか美味い」

「ん、よかった」

「けっこう大変だけど、やっぱりハンバーグは良いな」

「ん。ご馳走」


 平和な夕食。

 今日は雪季と二人で、ハンバーグを作った。

 レシピ本通り作ったので、出来はそれなりに良い。

 二人で買い出しに行き、二人で料理して、二人で食べる。

 一緒に暮らしていても、それができる機会は意外と少ない。


 やっぱり、たまにはこんな日が欲しいなぁ。


 遥は穏やかな幸せを感じながら、味噌汁の味を堪能していた。


「遥」

「ん?」


 使い終わった食器を洗っていると、雪季がリビングのドアからひょこっと顔を出した。


「なんだ? 雪季」

「……手伝う?」

「ああ。いや、いいよ。ゆっくりしててくれ」

「……ん」


 そう言うと、雪季はゆっくり戻っていった。

 が、1分もしないうちに再び顔を出す。


「おーい、どうした?」

「……早くいちゃいちゃしよ」


 ねだるような声と、上目遣い。

 遥はドキンと心臓が跳ねるのを感じた。


「……も、もうちょっとだって」

「むぅ……早く」

「わ、わかったよ……」


 ふぅ。

 また引っ込んだ雪季を見送ってから、大きく溜め息をつく。

 やはり、雪季のかわいさは異常だ。

 その雪季が自分の恋人なのだから、魅力は倍増して感じる。

 最近はますます積極性も上がってきているし、果たしていつまでアレを使わずにいられるだろうか。

 遥は少しずつ、自信が無くなってきている気がしていた。


「はぁ……」

「遥」

「はひっ!」


 三たび、雪季がドアから顔を覗かせた。

 今度はなんなんだ、一体。


「……スマホ鳴ってる」

「え?」

「ピロン、ピロン」

「あ、あぁ。加賀美さんか」


 途端、雪季の雰囲気が変わった。

 少しだけ目を細め、いつもの無表情に冷たさが混ざる。


 加賀美優衣と連絡先を交換したのが昨日のこと。

 それからはずっとメッセージでやりとりをしていた。

 話題は学校のことと、可愛い動物のことだ。

 優衣との会話は緊張感もなく気軽で、楽しかった。

 そのせいか、あまり連絡がマメな方ではない遥にしては、メッセージの往復頻度が高くなっていた。


「……加賀美さん。加賀美優衣さん?」

「お、おう。そうだよ、よく知ってるな」

「……いつ?」

「え?」

「連絡先」

「あぁ、昨日、教えてって言われてさ」

「……いい度胸」


 そう言った雪季は、見るからに怒っていた。

 静かなところは変わらないが、声がいつもより低い。


 な、なんだ? どうしたんだ……。


「……早く」

「あ、あぁ……」


 遥はなんとなくたじろぎながらも、急いで食器洗いを終わらせることにした。



   ◆ ◆ ◆



『優衣:ココアくん寝ちゃったよー(泣)』

『優衣が画像を送信しました』


 送られてきていたのは、ココアという名前らしいダックスフントの寝顔の写真だった。

 たしかにかわいい。

 かわいいのだが、隣で画面を覗き込んでいる雪季のプレッシャーで、今はそれどころではなかった。


「……犬」

「お、おい雪季。人とのメッセージなんだから、あんまり見るなよ……」

「やだ」

「えぇ……」


 当然、べつに見られて困るような内容のメッセージは無い。

 が、それはあくまで遥にとっての話で、相手の優衣に無断でこの会話を雪季に見せるのは、なんだか忍びなかった。


『寝顔かわいいなー』


 とりあえず、無難にそんな文面を送ってみた。

 返信を待っていると、突然雪季が二の腕を抱きしめてくる。

 反対の手で頭を撫でてやると、少し機嫌を直したように目を細めていた。


『優衣:いいでしょ。かわいい』

『猫派だけど、犬もいいな』

『優衣:猫もいるよ!』

『えっ、マジで?』

『優衣が画像を送信しました』


 軽い電子音とともに、画面に写真が送られてくる。

 写っていたのは、灰色の毛の猫を後ろから抱きしめて笑う優衣の姿だった。

 学生服を着てはいるが、学校とは違う、お団子ヘアーをしている。


「おお、めちゃくちゃかわいいな」

「……どっち?」

「え? なんだよ、どっちって……」

「……」

「……犬と猫?」

「違う」


 雪季の言葉に、遥は思わず首を傾げた。


『めちゃくちゃかわいい』

『優衣:でしょ! こっちはバニラちゃんです』

『名前もかわいいなぁ』


 それにしても、なんて平和な会話なんだろうか。


 普段あまりメッセージアプリでやり取りすることがないのもあって、遥は心が休まる思いだった。

 

『さわりたいなぁ』


「あっ」


 遥の送信したメッセージを見た途端、雪季が声を上げた。

 遥の方を睨むように見て、何か言いたそうにしている。


「な、なんだ?」

「……それはダメ」

「なんで?」


 すぐに電子音が鳴り、返信が届いた。


『優衣:会いにおいでよー』


 雪季がムッとした表情で、スマホの画面を指差す。


「……どうやって断るの?」

「あっ……」

「……はぁ。こうなるに決まってる」

「えぇ……決まってたかな……」

「遥は読みが甘い」


 雪季は不服そうだった。

 だがたしかに、雪季の言う通りなのかもしれない。

 優衣の返信は実に自然な流れに乗っている。

 この流れで言えば、次の遥の返信は『行く行く』しかないだろう。

 だが、遥には本当に優衣の家に遊びに行くつもりなどなかったし、それがあまり良くないことだというのも分かっているつもりだった。


 読みが甘い、というのはそういうことか。

 遥は少しの後悔を感じながら、スマホをテーブルの上に置いた。


「おばか」

「ミスったんだよ……」

「無視?」

「いや、しばらく置いとく。あとで返すよ」

「……行っちゃダメ」

「……はい、わかっております」


 遥が言うと、雪季は遥の正面に移動して、ぎゅっと抱きしめてきた。

 申し訳なさが募って、遥は雪季の背中と頭を撫でる。


「……ん、ごめんなさい」

「ごめんって……なにが?」

「……行っちゃダメ、って言って。ダメじゃない。でも、行かないでほしい」


 言いながら、雪季はますます抱きしめる力を強めてきた。

 苦しくて、けれど雪季の思いが愛しくて、それに応えるかのように、遥も雪季を抱きしめた。


「……遥、好き」

「……うん。俺も」

「……好きだから、他の子と仲良しだと不安になる」

「……うん。そうだよな……」

「……でも、縛りつけたくない。困る。どうしよう」


 そこまで言うと、雪季が遥から身体を離した。

 目の前に雪季の愛くるしい顔が来る。

 両手で頬を包んで見つめると、少し瞳が潤んでいるのが分かった。


「ごめんよ、雪季」

「……ううん。遥、悪くない」

「いや、ごめん。気持ち、考えてやれなくて」

「……うん」


 短いキスをしてから、もう一度抱きしめた。

 酔ったように視界が揺れる。


「断っとくから、ちゃんと」

「ん、よろしく」

「まあでも、ただの友達だけどな、加賀美さんは」

「……はぁ」

「ため息!?」

「いい。遥のことはわかってる」

「……そ、そうですか」

「ん」


 雪季は得意げだった。

 かと思えば、すぐ後には呆れたような顔をしている。

 雪季の反応は不本意ながらも、遥はなんとなく、幸せな気持ちになっていた。


「……好きだよ、雪季」

「……うん」

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