打倒水尾雪季 と 一見競争率の低い男


「ふーん。なんでも、ね」

「う、うん……」


 昼休みの教室。

 優衣は友人の美乃梨に、昨日の出来事を話した。

 誰に聞かれているかわかったものではないので、小声で、コソコソと。


「ラッキーじゃん。料理部勧誘作戦は失敗だったけど、かえって良かったかもね」

「ら、ラッキーって……もう、美乃梨ちゃんは……」


 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる美乃梨を睨む。

 が、彼女はそんな視線を胃にも介さず、なにかを考えている様子だった。


 優衣の密かな恋は、クラスが変わってすぐに始まった。

 何かきっかけがあったわけではないけれど、知らないうちに月島遥を目で追っていた。

 何度か勇気を出して話したこともある。

 その度に、遥は人懐っこい笑顔をこちらに向けてくれた。

 優衣にはそれが嬉しくて嬉しくて、気づけばますます遥のことを好きになってしまっていた。


 しかし、優衣の恋路は前途多難だった。

 まず、クラスが同じという以外に月島遥との接点がない。

 所属するグループも違えば、共通の話題があるわけでもない。

 それどころか、向こうにきちんと存在を認知されているのかどうかすら、昨日まで定かではなかった。


「でも、名前は覚えてくれたんでしょ? 少なくとも、ちょっとは進歩したんじゃない?」

「そ、そうかな……」

「奥手の優衣にしては、よくやったって」

「……ありがとう」

「まーでも、問題はあの子だけどね、水尾雪季さん」

「……うん」


 さらに大きな恋の障害、それは言わずもがな、超の付く美少女、水尾雪季の存在だった。

 転校して間もないのに、いつのまにか月島遥と交際している。

 あまり学校で親しそうにしているわけではないものの、優衣は確実に、友人関係以上のものを二人から感じていた。


「もっと早くから行動してればねー」

「うっ……そ、それは言わないで……」

「電撃交際だったもんねー。手が早い美少女は最強だわ、やっぱり」

「……はぁ」


 美乃梨の言葉に、思わず大きなため息がこぼれる。

 てっきり、月島遥は競争率が低い、と優衣は思っていた。

 目立つわけでもなく、容姿が優れているわけでもない。

 一部の例外を除けば、女子と話していることも少ない、地味めの男子。

 月島遥は一見すると、そういう男の子だった。


 むしろ、月島遥の笑顔がやたらと愛くるしいところや、実はけっこう大人っぽいところ、それでいて時折母性をくすぐってくるところ。

 そんな彼の魅力を知っているのは、自分だけだと優衣は思っていた。

 みんな見る目がないなぁ、なんて得意になっていた。

 だから、まさかこんなことになるなんて、優衣は想像もしていなかったのである。

 彼の魅力が、他の女の子にバレるなんて。


「優衣も意外と、チャレンジャーだよねー。ふつう水尾さんがライバルなら、諦めると思うよ?」

「そ、それは……」

「ああ、違うよ。ごめんごめん。褒めてるの。根性あるな、って。見直した。だから私だって、協力してるんだよ」

「う、うん……」

「嫌なんでしょ? 月島くんのこと、諦めるのは」

「……絶対いや」

「うん。なら、頑張らなきゃね」


 美乃梨がニコッと笑ってそう言った。

 優衣は美乃梨のこういうところが好きだった。

 自分と全然タイプの違う、誰とでも仲良くなれる美乃梨。

 そんな彼女と友達でいられるのは、ひとえに美乃梨のこの、思いやりがあって義理堅い内面のおかげだろう。


「よし。それじゃ、その『なんでも頼みを聞いてもらえる権利』をどう使うか、考えよ」

「そ、そうだよね……」

「なんかしてほしいことないの?」

「う、うーん……急に言われてもなぁ……」

「彼氏になってもらったら?」

「なっ! 何言ってんの! そ、そんなの無理に決まってるよ!」

「しーっ。聞こえるよ」

「あっ!」


 優衣は慌てて両手で口を押さえた。

 が、動揺が隠せない。

 月島遥が、自分の彼氏に。

 それはもちろん、最終目的であり、最高の出来事だ。

 けれど、そんなこと承諾されるわけがない。

 美乃梨はきっと、自分のことをからかっているのだ。


「聞いてみなきゃわかんないじゃん」

「わかるよ……。それに、聞いてみて断られたら、好きなのバレちゃうよ!」

「いいじゃん、バレても。好きなんだし」

「ダメだよぉ……」

「じゃあ、水尾さんと別れてもらおう」

「そっ、それもだめだよ! 真面目に考えてよぉ!」

「もう。それじゃ、何ならいいわけ?」

「……で、デートしてもらう……とか?」

「……無欲だねぇ、優衣は」

「そ、そんなことないよ! すごく贅沢な望みだよ、デートなんて!」

「でも、それこそ水尾さんに睨まれるんじゃない?」

「うっ……たしかに……」


 言われて、優衣はあの日のことを思い出した。

 月島遥を料理部に勧誘した時の、水尾雪季のあの目。

 いつもは可憐なあの目が、その時だけは鬼のような鋭さで自分を睨んでいた。

 優衣はあの視線を思い出すと、未だに肝が冷える気がするのだった。


「あれにはさすがの私もビビったよ。殺されるかと思った……」

「う、うん……ものすごく怖かったよね……」

「あの子と真っ向から戦わないといけないんだから、茨の道だねぇ。しかも、向こうはもう彼女になっちゃってるし」

「……はぁ」

「あぁこら。落ち込まないの。さあ、何してもらうの?」

「……ううん……」

「水尾さんにバレずに、月島くんと仲良くなれるのがベストだよねぇ、やっぱり」


 言いながら顎を触る美乃梨は、実に悪い顔をしていた。

 時々、美乃梨はこの顔をする。

 天真爛漫に見えて、案外腹黒くて強か。

 そんなところも、優衣が美乃梨を尊敬する点の一つだった。


「そうだ! メッセージ教えてもらいなよ! メル友になって、そこから距離を縮めるの! 運が良ければ水尾さんにもバレないじゃん!」

「な、なるほど……!」

「うんうん、さすが私。それに優衣も、月島くんの連絡先、欲しいでしょ?」


 美乃梨はそう言って、ニンマリといやらしい笑みを浮かべた。

 言うまでもなく、喉から手が出るほど欲しい。

 コクコクと激しめに頷く。


「はい、決まりね! じゃあ、いってらっしゃい!」

「え!? い、今!?」

「当たり前じゃん。あ、ほら、月島くん帰ってきたし」

「えっ!?」


 言われて入り口の方を見ると、ちょうど月島遥が教室に戻ってきたところだった。

 珍しく、水尾雪季の姿がない。


「チャンス! 水尾さんもいないし、今のうちじゃん!」

「う……うん……」


 たしかに、美乃梨の言うことは正しい。

 この機会を逃すと、次にチャンスが訪れるのはいつになるかわかったものではない。

 優衣は意を決して席を立ち、月島遥に近づいていった。


「つ、月島くん!」

「ん? あ、加賀美さん。どうしたんだ?」


 月島遥はいたって普段どおりだった。

 穏やかな目で優衣の方を見る。

 名前を呼ばれて、優衣はにわかに幸せな気持ちになった。


「あ、あのね……昨日、なんでも頼みごと聞いてくれるって言ってたでしょ……?」

「あっ……まあ、うん。言っちゃった。あはは」

「で、でもね! 友達なのに、そんなの変だと思うの! だから……メッセージのID教えて……くれないかな?」

「メッセージ?」


 思い切って『友達』と言ってみたのを否定されなかったことに浮かれながらも、優衣は落ち着いて言葉を紡いでいった。


「う、うん! えっと……ダメ?」

「いや、全然。って言うか、ホントにそんなことでいいのか? じゃあ、はい」


 月島遥はなんでもなさそうに言うと、すぐにスマホの画面をこちらに向けてきた。

 震える手を必死に抑えて、表示されているQRコードを読み取る。

 『月島遥』のアカウントが連絡先に追加されて、トーク画面が開いた。


「あ……ありがとう……!」

「うん。こちらこそ。おお、アイコンのイヌ、めちゃくちゃかわいいな。飼ってるのか?」

「う、うん! そうなの、ダックスフントで、ココアって名前で……」

「へーぇ……触りたいな」

「あ、じ、じゃあ!」


 今度うちに。

 そう言いかけたところで、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。

 自然と教室がざわつき出し、会話が打ち切られる。

 月島遥は柔らかい笑顔で優衣に手を振ると、そのまま自分の席に戻っていってしまった。


 同じように自分の席についてから、優衣は両手で顔を覆った。ニヤケが抑えられない。

 スマホの画面に映る『月島遥』の文字を見ると、余計に顔が綻んでくる。


 ちらりと美乃梨の席を見ると、美乃梨もこちらを見て、こっそりガッツポーズをしていた。


 好きな相手と距離が縮まる。

 その幸せに、優衣は今にものぼせそうな気持ちになっていた。

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