【リクエスト】同居のすすめ 父と娘


『雪季、久しぶりだね』


 スマートフォンから漏れるのは、落ち着いた男の声だった。

 数ヶ月ぶりの国際電話。

 最初は頻繁だったが、今では特別なことがない限り、連絡は取らなくなってしまった。


 ベッドの上に腰掛けながら、受話器を耳に当てる。

 突然の父親からの電話に、雪季は嬉しいような、不安なような、複雑な気持ちで応じた。


「ん。お仕事はどう?」

『あぁ。悪くないよ。やっぱりこっちの人は、考えてることが分かりやすくて気持ちがいい』

「ん、そう」


 アメリカで働く父。

 あまり口数は多くないのに、誰からも好かれる自慢の父。

 雪季はそんな父を尊敬している。

 離れて暮らす今も、それは変わらなかった。


 お約束の近況報告を互いに済ませ、雪季は一息ついた。

 本題はなんだろう。

 自分の父が、何の用もなく連絡を寄越すとは考えにくかった。


『雪季、大事な話があってね』

「ん」

『落ち着いているね。予想していたのか』

「ん」

『それなら、話は早い。同年代の男の子と、一緒に暮らしてみないかい?』


 さすがの雪季も、父のその言葉には驚きを隠せなかった。


 同年代の男の子。

 それだけでは、イメージが絞り切れない。

 騒がしい子、大人しい子、中間くらいの子。

 そんな観点だけでも、この年代の男の子は複雑に分かれる。

 学生服を着たマネキン。

 想像できるのは、そこが限界だった。


『こっちで仲良くなった日本人男性がいてね。聞けば、その人も雪季と同じ歳の息子を、そっちに一人暮らしさせてるらしいんだ』


 父親の話は実によくまとまっていた。

 つまるところ、金銭面でも防犯面でも同居するメリットがある。

 デメリットは雪季も想像する通り。

 その男の子がどんな人間か分からないところ、今の学校を離れるというところ、そのほか、色々。


『どうだろう? もちろん、断っても構わない。でも安心すると良い。僕が見たところ、優しそうな子だ。お前は美人だから、ひょっとすると好意を向けられてしまうかもしれないけれどね』


 父は気軽そうに笑った。

 その点については、雪季も同意見だった。

 今までの経験上、男の子は大抵、自分のことを好きになる。

 だが好意を向けられて嫌な気はしない。

 それに、もし好意を持たれて自身の身が危うくなっても、自分のことは自分で守れる。

 雪季にはそんな自信があった。

 それに。


「……パパが良いって言うなら、きっとその人は、良い人」

『それはどうかわからないけれど、少なくとも僕はそう思うよ』

「……ん」


 父は聡明な人物だ。

 雪季が考えるようなことは、ちゃんと、雪季の立場になってあらかじめ考えてくれているはず。

 そのうえで同居を勧めてくるのだから、きっとその親子は信用できるのだろう。


『前にも言ったと思うけれどね、雪季』

「……ん」

『僕は、お前が心配なんだ。やりたい仕事のためにこっちへ来てしまったけれど、僕にはお前のことが、仕事以上に大切だ。だからできることなら、お前には一人で暮らして欲しくない』

「……ん」

『寂しい思いをさせている張本人の僕が言っても、わかってくれないかもしれない。けれど、それが僕の正直な気持ちだ。まあ、お前が寂しくないって言うなら、この気持ちは完全に、僕の押し付けになってしまうんだけれどね』


 そこまで言って、電話の向こうの父は黙った。

 この沈黙は、きっと問いかけだ。

 自分はこう思っているからと、胸の内を全て明かす。

 その上で、お前はどうする、と尋ねてくる。

 父の話はいつも簡潔で、まっすぐで、飾り気がない。

 だから雪季は父親が好きで、彼と話すのが好きだった。


「……わかった」

『……雪季』

「その人と、暮らしてみる。それでパパも安心。私も……安心」

『……ありがとう』


 そう言った父の声は、今まで聞いたことないほど、安堵に満ちていた。


『きっと、向こうの男の子も一人で寂しがっているさ。お互いに気持ちはわかるだろう。二人で仲良く、楽しく暮らせれば、それが一番だ』

「……ん。楽しみ」

『ふふ。雪季は強いね』

「パパの娘だから」


 雪季は誇らしげに言った。


『ああ、それからね、雪季』

「……ん?」

『もし、お前の方がその男の子のことを好きになったら、ちゃんと射止めるんだよ。お前はきっと、好きになった相手には一直線だろうけど、男はそれだけじゃ落ちない時もあるからね』


 冗談めかして父がそう言った。

 悪戯っぽい笑顔が受話器越しにも眼に浮かぶようだった。


「……ん、余計なお世話」

『ほお、そうか。まあ、もしそうなったら、お前にも良い経験になるだろうさ』


 やれやれ。

 雪季は呆れて肩をすくめた。

 自分の娘の恋愛をそんな風に楽しむ親は、この男くらいなのじゃなかろうか。


『それじゃあ、また連絡する。おやすみ、雪季』

「……ん、おやすみ」


 プツン、と通話が切れて、部屋に静寂が戻った。


 同居。

 心の中で、もう一度繰り返してみる。

 同居。

 それはこの静かな生活とのお別れだ。

 一人で、寂しさを誤魔化しながら暮らす。

 その生活が、終わる。

 どうなるかは、わからない。

 今よりも良くなるか、悪くなるか、それは実際に同居して、初めてわかることだ。


 だが、この寂しさが消えるなら。


 それなら大抵のことは、きっと我慢できる。

 そう思えてしまうほど、雪季はいつも、心細かった。


「……ん、でも」


 自分が相手の男の子のことを、好きになる。

 そんなことは、まあ、ないだろうな。


 雪季はそんなことを思いながら、少しだけ身体を揺らした。

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