嫉妬・伏兵・悪い虫


「月島くーん」

「ち、ちょっといい?」


 ある日の放課後。

 眠い目をこすりながら帰り支度をしていた遥は、聞きなれない声にゆっくり顔を上げた。

 遥の席の前に、二人の女子生徒が立っている。

 名前は、たしか。

 いや、出てこない。

 6限のあいだに居眠りしていたのもあってか、頭が働いていないらしい。


 一人は活発そうなショートヘアの女の子で、クラスでもわりと目立っている印象があった。

 対してもう一人は、眼鏡をかけたロングヘアで、真面目で大人しそうだ。

 おそらく、二人ともまともに話したことはないはずだった。


「……なに?」

「寝てたの? ねむそー」

「うん……日本史、眠くなるんだよ」

「だめじゃーん。バレたら怒られるよ?」

「眠くなる話し方する方も悪いんだぞ」


 遥の言葉に、二人の女子はクスクス笑った。

 ところで、何の用なんだ。

 特に予定があるわけではないが、遥は早く帰ってゆっくりしたかった。


「あ、そうだ。月島くんって、部活やってないよね?」

「え、ああ、うん」

「やっぱり! よかったぁ! 私たち、二人で新しい部活作りたいんだけど、初期部員が三人いないと申請できないの! ねぇ、よかったら入ってくれない?」


 勢いがすごい。

 遥は耳を塞ぎたくなるのを必死に耐えた。

 寝覚めには優しくない元気さだ。


 そこでふと、遥は気づいた。

 さっきからずっと、話しているのはこちらの明るい方の女子だけで、もう一人のおとなしそうな方は、硬い表情で遥をただ見ている。

 まあ、この二人の組み合わせなら、そうなるのが自然かもしれないが。


「なんの部活するんだ?」

「料理部! 月島くん、一人暮らしでしょ? 料理とか興味あるんじゃないかって。ね、優衣ゆい!」

「え、う、うん……」


 あ、喋った。


 遥はまだ開ききらない目で、優衣と呼ばれた女子生徒の方を見る。


「ど、どうかな……? 放課後にみんなで料理するだけだし、楽しいと思うんだけど……」

「そうそう! 当然きつい練習とかもないしねー!」

「うぅん……でも俺、バイトあるからなぁ。週4くらいで」

「えっ! 月島くんってバイトしてるの!? どこで!?」

「あ……いやぁ、あんまり知られたくないんだけど」

「いいじゃん教えてよー。優衣も気になるよね?」

「えっ! ……う、うん」


 なんだかおかしな展開になった。

 遥は頭を掻きながら、返答に迷った。

 べつに、秘密にしているというわけではない。

 が、知られても良いことはなさそうだ。

 なんとか引き下がってくれないだろうか。

 徐々に眠気が覚めてきた頭で、遥は対策を講じることにした。


「もういいだろ、それは。部活の話じゃないのか?」

「えー。月島くんのバイトも気になるじゃん」

「知ってどうするんだよ……」

「うーん、遊びに行く?」

「……余計だめだよ」

「いじわるー」

「み、美乃梨みのりちゃん! 月島くんが困ってるよ……もうやめようよ……」


 優衣というらしい女子生徒は、明るい方を美乃梨と呼んだ。

 なんだか、言われてみればそんな名前だったような気もする。


 それはともかく、優衣が美乃梨を制止してくれたのはありがたい。

 思わぬ助けが得られて、遥は人知れず優衣に感謝した。


「はーい。じゃ、料理部入ってよ!」

「ほとんど行けないぞ、俺。幽霊部員みたいになると思うんだけど」

「それでもいいからさー。部費とかもないし、入ってくれるだけで」

「うーん……」


 正直、嬉しい誘いではない。

 特にやりたいとも思わないし、なんだかんだ時間を取られる機会が増えそうだ。

 雪季もいることだし、出来るだけ身体は空けておきたい。


「やっぱ、やめとくよ、ごめんな」

「えー。月島くーん……」

「も、もういいよ美乃梨ちゃん……! 無理言っちゃダメだよ……」

「なによ優衣ー。もとはと言えばあんたが」

「わぁぁああ!! ね! もう行こう? いいから、ね?」


 突然始まった謎の口論を、遥はぼおっと眺めていた。

 結局、なんなんだこの二人は。

 それにしても、今日は眠い。

 早く雪季を連れて、家に帰ろう。

 そういえば、雪季はどこだろうか。


「……ん!」

「ひっ! な、なに……!?」

「み、水尾さん…? ど、どーしたの? 怖い顔して……」

「あれ、雪季。今まで何してたんだ?」


 見ると、二人の後ろに雪季が立っていた。

 よく見ると、いやよく見なくても、ものすごく機嫌が悪い。

 どうしたんだ、雪季のやつは。


「……邪魔」

「ふぁっ! ご、ごめんなさい……」

「……遥に構わないで」

「ち、ちょっと水尾さん、いくらなんでもそんな言い方」

「だめ。しつこい」


(おお、雪季が怒っている……)


 逃げるように教室を出て行く女子二人を見送ってから、遥は立ち上がって雪季を見た。

 涙目になり、頬を膨らませて、拳を握っている。


「ど、どうした……?」

「……悪い虫」

「む、虫?」

「成敗」

「せ、せーばい?」


 一体何を言っているのだろうか。

 遥は雪季の言葉の意味が分からず、首を傾げるだけだった。


「……遥も悪い」

「えぇ……何がだよ」

「……無防備。彼女がいるのに」

「か、彼女がいるからどうしたっていうんだよ……」

「……はぁ。やれやれ」

「呆れられた!?」


 理不尽だ。

 遥はそう思いながら、さっさと帰ろうとする雪季を小走りで追いかけた。

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