誰だよ

 中学の頃、結構仲良くしていた奴が居た。名前を仮にIとしておく。

 Iとは同じクラスで毎日顔を合わせる上、週に二度三度は一緒に遊ぶような仲だった。だったんだが、高校進学を機に疎遠になってしまった。あいつがケータイを持っていなかったのが原因だ。近所に住んでいることもあって、最初の半年ぐらいはたまに顔を合わせていた。しかしそれもいつの間にかなくなって、年賀状も二年で届かなくなった。俺からも来年は送らないと思う。

 というわけで、あれだけ仲良くしていたIとも高校在学中の数年ですっかり縁が切れてしまった。とはいえ、ここまでなら誰にでもあるような話だろう。


 問題はここからだ。俺が高校、大学を出て就職した二年目。業務のレベルが少し上がり、社会人であることに疲れ始めた頃。帰りの駅で電車を待っていると、誰かに肩を叩かれた。「久しぶり!」と。

 俺は驚いた。最初は誰かわからなかったからだ。すると相手は照れ笑いして、Iだと名乗った。俺はまたしても驚いた。あまりにも雰囲気が変わっていたからだ。

 顔は、確かにIに似ている。彼が順調に成長したら、確かにこうなるかもしれない。というのも、Iの顔つきはこの地域ではよく見るタイプの顔だからだ。似ている人を、俺は少なくとも他に三人知っている。声も似ている気がするが、あまりよく覚えていない。

 とはいえ、疲れた俺の心には嬉しい出会いだった。お互いの近況を確認する。俺はしがない会社員だったが、なんとIは自営業をしているらしい。詳しい内容については、はぐらかされてしまったのだが。

 その日は電車が来たので解散。どうも数年前に家を出て隣の市に引っ越したらしい。今は一人暮らしをしているようだ。

 翌々日。同じ駅でIと会った。その日あったことをお互いに言い合い、昔話に花を咲かせる流れになった。

 ……のだが、様子がおかしかった。

 Iは相槌を打つばかりで、自分から話題を出そうとしない。どうも俺の話に適当に合わせているような気がしてならないのだ。そのうえ、すぐに最近の話に戻そうとする。口ぶりも、少し怪しい。

 話していて気づいたが、雰囲気も違う。

 昔のIは、はっきり言って社交的なタイプではなかった。友達は俺以外に居なかったし、彼女なんてもってのほか。しかし今のIはどうだ。口を開けば女の話。やれ合コンがどうだとか、出会い系で会った女がブスだったとか、そんな話ばかりする。

 正直なところ、Iと話しているような気がしなかった。

 それから一週間ぐらいは、顔を合わせることもなかった。俺は帰宅時間の定まらない会社員で、Iは自営業。そうそう同じ電車に乗ることもないだろう。

 しかし、その日は違った。

 Iが駅前で俺を待っていたのだ。

 どうしたのかと訊ねたら、「頼みがある」と頭を下げる。

 どうも重要な取引をフイにしたらしく、五十万貸してくれと言うのだ。流石に怪しいので、その日は適当に誤魔化して別れた。こう見えて俺は高級取りなので五十万ぐらい用意してやれるのだが、これまで抱いた不信感から首を縦に振れなかった。

 次の日も、そのまた次の日も、Iは俺を待っていた。

 そんなに金が必要なら、銀行に借りればいいだろう。そう提案しても、Iは頷かなかった。とにかく金が必要だと言っていた。


 俺はIが別人なのではないかと疑い始めた。

 昔のことを覚えていないフシがあるからだ。

 金をせびりに来て三日目ぐらいで、俺はカマをかけることにした。ありもしない昔話をして、反応を確認したのだ。

 Iは首を傾げて、「ああ、そんなこともあった……かな」と言った。

 適当なことを言っているのか、記憶にない出来事に戸惑っているのか、どちらとも取れる反応だった。十年ほど前の話だ。あまり覚えていない可能性も、十二分にある。だから俺は、Iが昔好きだった子(仮にBちゃんとする)の話をした。わざと主題を欠いて、「Bちゃんとはどうなった?」と訊ねたのだ。

 Iは「どうしてそんなことを訊くんだ?」と首を傾げた。

 BちゃんはIと同じ高校に進学していた。入学して一ヶ月ほどは、Iもそれを喜んでいた。

 この時点で、Iが俺の財布にしか興味がないことを確信した。本物だとか偽物だとかは、この際どうでもいい。Iにとって俺は、体の良い金づるでしかないのだ。

 俺は次の日からバスで帰ることにした。

 それから三日後、Iは会社の前で待っていた。

 曰く「本当に今日が最後なんだ」「待ってもらえるのも今日が最後なんだ」「明日にはどうなってるかわからない」とのことだったが、俺は走って逃げた。

 実のところ、俺はIを尊敬していた。

 あまり社交的ではなかったが、読書家で、中学生ながら電子回路に詳しかったIを、凄い奴だと思っていた。

 だから、こんな無様な人間がIを名乗っていることに耐えられなかったのだ。

 なんとかIを振り切った俺は、乗り慣れない停留所で、座り慣れないベンチに腰掛けバスを待った。肩で息をしながら、Iが追いついてこないかとしきりに来た道を見返した。それから来たバスに急いで乗り込み、俺は家に帰った。

 思えば、この時点でおかしいのだ。Iは俺の実家と、俺がまだ実家ぐらしをしていることを知っているのだから、その気になれば家で待ち伏せることができたはずなのだ。だからあいつは、きっと偽物だったのだろう。

 翌日から、Iを名乗る男は姿を見せなかった。金が無いとマズいという話だけは、本当だったのかもしれない。


 しかし。


 あの男が、Iでなかったとしたら。

 俺の顔を知っていて、Iと俺が仲良くしていたことを知っていたあの男は、一体何者だったのか。

 音信不通になってしまった本物のIは、一体今どこに居るのだろうか。


 それから一ヶ月ほど経ったある日。

 ふと思い立って、Iが住んでいた家を訪ねることにした。

 表札の名字が変わっている。不思議に思い、俺はドアチャイムを鳴らした。

 知らない女性が顔を出した。

 曰く、数年前に競売で買って以来、ずっとこの家に住んでいるらしい。



 本物のIは、今頃なにをしているのだろう。

 

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