きりきりまいまい

 今夏七度目のデートに向かっている。


 ぐねぐねとした、人通りの少ない駅までの道のり。あまり知られていない農道を、自転車で駆け抜ける。

 なぜこんな危うい道を通っているのかと言えば、今朝方寝坊したからだ。

待ち合わせに間に合う電車は三十分後に出る。この道を通っていけば駅まで二十分でたどり着くので、ある程度の余裕を持ったうえで遅れずに済むのだ。

 昨晩した通話の雰囲気を鑑みると、今日のデートで上手くやれば今夜はベッドインできそうな気がする。童貞男子にとっては勝負の時。下り坂をノーブレーキで進み、つい最近整備されたアスファルトを抜け、小さな赤信号で停止した。

 

 バチンと、妙な音が鳴った。振り返ると、灰色の大振りな鳥が電線から落下する。感電したのだろうか?

 それから、鳥がアスファルトに叩きつけられ、ベチャリという水っぽい……ちょうど水風船を床に落とした時のような音がした。生物を構成する物質はほとんど水分だというし、なるほど確かにそんな音になるのだろう。

 それにしても大きな鳥だ。猛禽だろうか? いいや、しかしこの肥大化したクチバシは……ペリカンを思わせる。しかし、このあたりにそんなものが住んでいるという話は聞かない。

 観察しようかとも思ったが、信号が変わったので先を急ぐことにした。



 七十五点ぐらいのデートだった。

 楽しかったし、彼女も楽しんでくれたと思う。しかしディナーで解散の流れになってしまい、ベッドインには至らなかった。

 暗い夜道をゆっくりと進む。一人反省会をしながらSNSを確認。彼女は家に帰り着いたらしい。とりあえず、一安心。

 そこで、ふと思った。

 今朝の鳥を見に行こう。

 思えば、デート中の会話もあいつに集中力を削がれていたフシがある。あの強烈な出来事は脳裏のどこかに張り付いていて、ずっと意識の端を占拠していたのだ。

 片付けられている可能性もあるが、なにせ猫の死体が三日も放置されていた道。まだ残っている可能性も十二分にある。


 分岐を右に進み、近道へと向かう。

 開けた田んぼ道は光源も少なく、夜空の星がきれいに見える。予想外の収穫に、心が洗われた気分だ。

 気味の悪い林道を抜け、例の信号へとたどり着く。さて、あの鳥は……居た。

 しかし、先客が居たようだ。

 鳥の死体を貪る獣。サイズはイエネコぐらいだろうか。暗闇に溶ける暗色系の毛色。ずんぐりむっくりとした体型からして……タヌキだろうか。しかし頭の形が違う気もする。街灯から少し離れた位置に居るため、はっきりとした姿が見えない。


 もう少し、近づいた。


 ますますわからない。前足が短く、後ろ足は埋もれているのか見えない。尻尾は長く、重力に逆らうように上へ上へと伸びている。首から先は、ネコとイヌを足して二で割ったような、見覚えのない形状。

キリキリキリ……と、耳慣れない音がした。虫の声にも近い音だが、今は夏真っ盛り。注意深く聞き取っていると、どうもあの獣が喉を鳴らしているらしいことがわかった。ちょうど音と同じタイミングで、獣が鳥から口を離しているのだ。

 しばらく観察していると、食事を終えた獣がむくりと立ち上がった。立ち上がったようだが……後ろ足は未だに毛皮に埋もれている。下半身を引きずるように歩き出し、こちらの存在へと気づいたのか、ゆっくりと振り返った。


 マイマイ。マイマイ。


 風切り音のようなそれは、獣の鳴き声のようだった。

 大きく口を開き、少しずつこちらへ近づいてくる。

 身の危険を感じ、逃げる準備を始めた。たとえアレがただの野良犬であっても、噛まれたら危険だ。ペダルに足をかけ、ハンドルを握り直す。

 遂に"それ"は、街灯の下までやってきた。

 マイマイ。マイマイ。

 短い鼻先。丸い頭の形を無視して、喉元まで裂けた口。いつまで経っても姿を見せない後ろ足。蛇のようにうごめく、長い尻尾。

 ぎょろりと光る大きな眼球は、まるで人間のそれのようで。


 一目散に逃げ出した。

 振り返る。"それ"はこちらをじっと見つめたまま、追いかけて来る様子はない。なにを考えているのか、ずっとこちらを見つめながら、微動だにしない。

 それが怖くて、とにかく急いで家に帰った。何度も何度も振り返り、あれが着いてきていない事を確認した。それでも不安でたまらなくて、その晩は一睡もできなかった。


 その日から、あの道を通らなくなった。

 主要道路から二本ほど外れた道だ。使わなくてもさしたる不便はない。

 そんな努力の甲斐もあって、二度とあれに出くわすことはなかった。



 それからしばらく経ったある日、ふと思い立って匿名掲示板を開いた。質問スレッドを立てて、あれの特徴を列挙する。

 結果、幻覚か薬の使用を疑われた。都市伝説の類などもあたってみたが、誰もなにもわからなかった。

 それから十年経った今でも、あれがなんなのかわからない。

 それでも時々思い出すのだ。

 キリキリキリ……という、透き通るような音色。

 マイマイ、マイマイと繰り返される、姿に似合わず可愛らしい鳴き声を。

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