第4話 杵柄アムール

 僕の声を聞いて、そんな事を言ってもらったのは初めてだったから。

 目の前の天使のように微笑みかけてくれた女の子に、不覚にも見惚みとれてしまった。


「学校、行くんです?」

「え、あ、うん。早く行かないと遅刻で……」


 女の子は、僕が答えるとうんうん頷き、僕の胸あたりを指さしてきた。


「同じ学校ですよね」

「え、あ、君も名西めいせい高校?」


 確かに女の子が着ている制服はうちの女子の制服だ。でも、こんな子がいるなら噂になってるか、目立つかして、いくら人間関係が薄い僕でも知っててもおかしく無いんだけども。


「はい、この時期ですが、転校生というやつです」

「そうだったんだ……え、じゃあ君も今絶賛遅刻しかけてるんじゃ?」

「その通りですね!」


 いや、そんな元気に仰られましても。あと何だろう。この子。僕が話す度に目を輝かせて聞いてくれている。まるで言葉を聞けたことが嬉しいみたいな。


「あ!」


 何かに気づいたように声を上げた彼女。僕と言えば、鞄に入れていたスポーツタオルを取り出して顔を拭きながら、チラチラと彼女を眺める。

 アニメーションからそのまま出てきたみたいな浮世離れした可愛さ。とでも断じていい。

 綺麗な金髪を赤い布製のパレッタで留めていて、蒼い瞳にパーツ並びが整った顔立ち。

 こんな可愛い女の子会ったことないよ。

 そんな彼女はスマホに何故かポチポチと入力し始め、そして何故か目の前に出されたスマホ。誰かに電話でもかけているのだろうか? 

 訝しむ僕に対し、何故かめちゃめちゃニコニコしながらこちらにスマホを向けてきた天使……。


「電話、出てくれます?」

「え!? 僕が!?」

「はい、お願いします」


 なんかすんなりと、とんでもないことを言っておられる女の子。


「ど、どうして? というか誰に……」

「私の兄です。今私の傘を買いに行ってもらってるので、ついでに買って貰えば良いかと」

「えぇ、そんな、悪いよ」

「あ、繋がってます」

「選択の余地すらくれない!? ええっと、もしもし」


 差し出されたスマホに耳を傾けると、受け取った事を後悔する。

『アム、どうしてお前が電話なんてしてきた?』


 めちゃめちゃバリトンボイス。それだけで超威圧感。やばい、やばい、普通に考えて、妹から電話がかかってきたはずなのに、いきなり知らない男から電話が来ても警戒するに決まってる。

 かくなる上は僕の特技を披露するしか無さそうだ!


「あ、えっと、すみませ〜ん、実は私妹さんじゃなくて〜」


 特技! 女子ボイス! ソプラノボイスが素の僕にとって、女子のような声を出す事など朝飯前なのである! 全然誇れる特技じゃない……。


『……誰だい君は? 何故アムの携帯を持ってる?』


 と思ったら物凄く流暢りゅうちょう且つ、物凄く怪訝けげんそうに、物凄く至極当然な質問が投げかけられてきた。そりゃ知らない人に知らない人が電話かけてるんだからこうなる。


「あ、えっと、彼女に電話で傘をもう一本頼んでみるように促されてというかー、渋々しぶしぶ何故か電話をする羽目にというかー」


 もう訳もわからずしどろもどろ。地声にて裏返りまくっている。

 流石に見かねたのか、女の子は僕の持つ携帯を取り返してハキハキと言い放つ。


「事情は彼の言った通りです。傘2本買って戻ってくる事。Bye(バーイ)」

『彼の言った通り? お、おいアム今のはどういうこ』


 ピロンと通話の切れる音。なんかまだ言いたげだった気がするけど……。

 多分女相手の電話だと思ってたけど、彼って聞いて狼狽うろたえてたんだろうな……。


「何かお兄さん言いたげだったけど……いいの?」

「いいんですいいんです。あんなアホな兄は。使いパシリというやつにしておけば」

「さっきから思ったけど、物凄く自由だね君……」


 ある意味羨ましいレベルの自己中心的振る舞いだ。

 いや、海外だとこんな突端とっぴなやりとりが普通であるのだろうか。

 ほぇーと完全に呆気あっけに取られていたら、女の子は初めて会った時のように、僕の顔を覗き込み、首を斜めに傾げて口を開く。


「そういえば、名前、聞いてませんでした。なんてお名前です?」


 いやいや、ちっかいなぁこの子ぉ! 日比野ひびの先輩の美人さに慣れてなかったら、確実に石化してるであろう。まぁ、先輩の美人さにも決して慣れてはないんだけれども。


「あ、あぁ僕の名前、西東さいとう幸馬こうまです」

「コーマ……いい名前ですね!」


 自分の中に落とし込むように呟いた後、グッとサムズアップしてみせる女の子。


「そ、そうかな」

「降りるに魔族の魔で降魔(こうま)。痺れる名前です」

「君が想像した僕の名前物騒過ぎやしないかなぁ!?」


 西東という名前のイントネーションの事でツッコミを入れたくなることは多々あったけど、まさか、下の名前の事で突っ込む日が来ようとは。

 ツッコミを入れると女の子は淡雪のような白い両手でばってんを作り、頬を膨らませてこう言った。


「君じゃないです。私の名前は杵柄きねづかアムールって言います」

「杵柄さん」

「アムールでいいですよ?」

「い、いや、いきなり名前で呼ぶのはちょっと」

「嫌です?」

「い、嫌とかじゃなくて」


 どうして言えないのか素で聞きたそうなアムールさんに、すごく恥ずかしくなってきた僕。いやでもそう呼んでって言ってるのにそれ以外の名前で呼ぶのもどうかと思……なんだあれ? 漆黒の黒い車がめちゃめちゃ超スピードでこっちに向かって……いや近づいてきて減速したけど、まさか……。

 車の運転席から降りた人物はまっ金金の金髪。サングラスをつけ、黒のスーツにファーがついた黒のコートを羽織り、どう考えてもマフィアにしか見えないその男の人は、僕の目の前に立ち、黒い棒状の何かを僕に向けてきた。あ、刀で斬り殺されるなこれ。僕の人生終りょ……。


「傘だ。君の分の」

「へ?」


 よく見たら、というかよく見なくてもその黒の棒状のものは傘だったのである。いや、あまりの威圧感にビビり過ぎて、瞬殺される気しかしなかったせいだなうん。

 この人がアムールさんのお兄さん……というか妹さんこんなに可愛らしい感じなのに、お兄さんデカいし怖すぎるのでは……僕に傘を渡したマフィア兄さんは次にアムールさんに向かっていく。


「アム、早く車に乗れ。転入して早々に遅刻じゃ頭が痛くなる」


 車を指さしマフィアが言うと、アムールさんは全く意に解さない感じです僕に問いかける。


「コーマも駅に向かうですか?」

「あ、うん。傘ももらえたし……って、そうだ! お金!」


 コンビニの傘だから1000円くらいだろうか? 急いで財布を出そうとカバンをまさぐっている最中に、アムが話しかけてくる。


「お金なんていいんですよ?」

「そんなわけにはいかないよ。お兄さんわざわざ僕のために買ってくれたのに」


 答えると、やけに落ち着いた声が返ってきた。


「コーマは心の綺麗な武士道精神の持ち主ですね」

「武士道関係あるかなぁ」

「じゃあ義理堅いというやつです」

「ベタ褒めだね」


 彼女との小気味良い会話中でも、ビビってプルプルと震える手で英世を渡そうとする。この時初めてお兄さんとグラサン越しに目を合わせたのだが……。


「どういう事だ?」


 尋ねられてしまった。つまりこういうことか……。僕は財布から一葉を召喚する。


「いや、君は何で千円札をしまって五千円札を俺に?」

「これで勘弁してください」

「お金はいらないよ」


 えぇ!? パシらせてといて1000円で済ますとか正気かお前? っていう顔じゃなかったのかぁ!

 あまりに怖すぎて脅されてるという思考になっていたらしい。

 え、じゃあこの人は何に驚いてるんだ?

 分からないであたふたしていると、マフィア兄さんは息を一つ吐いて、くっと親指で何度か後方を指して僕に言った。


「駅まで行くんだろう。アムと一緒に君も送るよ」

「え、そんな、傘までもらっておいて悪いですよ」

「送ると言っているんだ」

「全力でお供させていただきます」


 断られる空気じゃない。というかこんな怖い人の提案に僕が断れるわけもなかった。


「行きましょう、コーマ!」

「あ、うん」


 新手の美人局つつもたせじゃ、ありませんように……と胸中とても穏やかではいられない中、黒い高そうな高級車にアムールさんと二人乗り込むのであった。

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