第3話 天使のいる朝

 懸念はしていた。だって寝るのがいつもより2時間は遅かったから。

 これまず間に合わないな……遅刻かぁ。キツイなー。またクラスで浮く要因の一つになり得る。

 つまり何が言いたいかというと……寝坊しました。

 寝坊する人間には二種類ある。

 物凄く慌てふためき、最低限の必要な支度をし、目的地へと走り出す人間。

 一周回って冷静になり、全てを諦めて平素を保つ人間。

 僕はどちらかというと……後者に10秒ほど傾いてからの、超前者である。


「うわぁあああ!! 寝坊したぁああああ!!」


 急いでハンガーにかけた制服に着替えて、ベルトの装着そこそこに、リビングに飛び出ると、姉さんも今起きたところなのか、寝巻き姿でふぁあと、あくびをしている。


「おはよー、こーちゃん」

「姉さんおはよ、遅刻するからご飯はいいよ!」

「えぇ? でもお味噌汁だけでも飲んだ方が」

「ありがとう、でも大丈夫!」


 あたふたする姉をよそに、水だけ一杯飲み、自室の鞄、携帯、定期入れを用意して玄関にダッシュ。

 しかし靴を履いて扉を開けた瞬間、ザーッと絶望の足音に似た何かが聴こえ始める。


「雨だ……」


 思わず漏れ出るため息。傘入れを見ると、絶望は更に追い討ちをかけてくる。


「ね、姉さん、今日大学だよね? 傘は?」


 傘立てには僕の持っているビニール傘が一本しかない。玄関までわざわざ見送りに来たらしい姉さんに視線を向けると、姉さんはえぇっと、数秒ほど逡巡してから、ポンと手を叩いて、思い出したという顔をする。


「あぁ、そういえば大学に傘を置いてきちゃったの忘れてたぁ」

「そ、そっかぁ」


 この傘を持っていけば、姉さんがずぶぬれる可能性大。しかも姉さんの事だからビショビショだろうが、下着が透けてようが、平気で大学でそのままにして、ちゃんと風邪をひくんだろうな……はぁ。


「僕コンビニで傘買うから、それは姉さんが使って!」

「えぇっ!?」

「行ってきます!」


 驚く声に構わず、エレベーターへと向かって心を決める。

 取り敢えずコンビニでついでに朝食と一緒に買えばいい。近くのコンビニまで10分なんでビショビショになるのは確定だけど……、遅刻に加えてずぶ濡れで登校なんてしたらまず間違いなく千里せんりさんにイジられるまで確定したな。

 ふと、またそんな事を考えてしまう。正直、僕は学校で上手くやってるとは言えない。

 東京の小・中・高一貫校の中学から、姉さんに付いてくる形で、愛知県の高校に来たわけだけど、小・中学校と仲が良い人達から身を置いた瞬間に分からなくなったものがある。

 友達の作り方だ。

 僕はどうやって友達を作ってた?

 気づけば友達になってる。なんて言葉があるけど、それって僕だけ気付いても、相手が一生気づかなければ友達じゃないって事だろうか?

 かと言って僕たち友達だよね? と確かめ合うのは、どこか薄ら寒くないだろうか?

 そこで思考が止まってしまい、踏み出せない。そんな人は僕だけなのだろうか?

 尋ねるべき友が近くにいないのだから、確かめるすべすらない。

 そもそも確かめる奴は多分変だ。

 変イコール普通じゃない。

 そして厄介な事に、学校と云う場所において、変は、になるのである。

 マンションの1階にエレベーターが着いた。

 さぁ、敵にならないように、今日もそこそこに生きていくぞと気合を入れ、エントランスを通り抜けようとしたところで気づく。

 入り口に空を見上げている金髪の女の子がいた。

 なんでこんなところに突っ立って……あれ、この子。昨日会った子じゃ……って、ヤバい、遅刻してるんだった僕!

 急いで雨の中へ突撃する。うーわぁ、こりゃ制服クリーニングに出さなきゃいけなくなりそう。


「○×△□ー!」

「ん?」


 走り出して直ぐ、背後から何か聴こえた気がして、振り向くと、さっきの女の子が、僕に何か言っている。

 全く聴こえない。ここから戻れというのか……中々にむごいなーあの子。

 ビショビショでヒーヒーになりながらも、マンションの下に戻る僕。


「あ、あの、どうしたの?」


 変に思われないように低い声にして尋ねてみるが、彼女はキョトンとした顔で僕を見ている。いや、そっちが声かけたのに何その反応。

 と、思っていたら、そのままの顔で彼女は口を開く。


「どうして傘も無しに行くんですか?」

「あー、いや、今まさにコンビニに買いに行こうと思ったところだったんだけど……あ」


 いけない、急な質問だったので、声を低くし忘れた。また変な声だと思われ……ん?

 目の前の金髪美少女が、目をキラキラと輝かせている。いや、元々蒼くキラキラとしているのだが、更にきらめいていらっしゃる。


「コンビニで傘を買うんですね?」

「あ、あぁうん、そうだよ」


 ちゃんと低い声で言えたのだが、何故か彼女の眉根が途端に寄った。


「あの、何で声作るんです?」


 とても真っ直ぐに問うてくる瞳に、思わずまま答えた。


「普通にって……だって、僕の声変だし」

「変じゃないです」


 彼女は鞄からタオルを取り出し、僕の濡れた髪と、顔を拭きながら、ニコッと微笑んでまた言った。


「全然、変じゃないですよ」


 その時僕は、誇張無しに、彼女の事が暗い曇天の空にきらめき佇む、天使に見えたのだった。

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