第2話 西東姉弟
高層マンションの一階のオートロックを解除し、エントランスを真っ直ぐ通り、エレベーターのボタンを押して、十三階。
我が家の鍵を開け、リビングの方に向かう。
「姉さん、帰りました」
「あ、こ、こー、こーちゃん。おか、えりぃ」
……家に帰ると、自分の姉が、顔面を真っ赤にして息も絶え絶えで、エアコンを持ち上げ、必死に取り付けようとしてる所を見た事はあるだろうか。いやない。
僕史上、最も意味不明な反語を心で唱えつつ、急いで姉の
「僕がやるから姉さんは休んで……てゆうか、取り付けは僕らじゃ分からないし、業者に任せる為に、僕のバイトが休みの日にやろうって話じゃなかったっけ?」
「……そーだったっけ?」
「バイトのスケジュールその為に送っておいたのに、さては見てないね……」
知ってた。弟の
僕の弱めながらも冷ややかーな目が気になったのか、先ほどの女の子ばりに近づいてきて、目をうるうると潤ませながら、力説してきた。
「でもね、でもね、最近暑くなってきたし、こーちゃんがバイト帰りに、涼しいと嬉しいだろうなぁと思ったの」
「出来るかもで行動するのやめようって……。取り敢えず業者を僕が手配するから、姉さんは食事の準備をしてもらってもいい?」
僕の言葉にショボーンと肩を落として台所にとぼとぼと向かう姉さん。
本当にこんなボケボケで大学生活を機に、一人暮らしを始めようとしていたのだから、恐れ入る。
このマンションで、僕と姉さんは二人暮らしをしている。
そもそもは一人暮らしをしたかった姉さんが、前述の通りボケボケなので、心配ということもあり、僕がお目付け役的な立ち位置で付いて行くのならと、両親ともに納得。そしてこの状況に落ち着いたのである……表向きは。
取り付けようとしていた実家の古いエアコンを、邪魔にならないように壁際に
鞄を壁掛けのフックに掛けると、隣にかかっているテニスラケット入れが、ぷらんと揺れる。
ここに置かなければ、一々見なくてもいいのに、つい、視線に入れるとしばらく眺めてしまう自分がいる……ん?
そんな集中を削いだのは、天井のミシッという音だった。
思わず視線は上へ。
上の階からの音が気になったの……今日が初めてだなぁ。
まるで引っ越しの最中です。と言わんばかりにドタドタと頻繁に音がするけど、誰か引っ越してきたのかもしれない。
だからといって何かが変わるわけもなく、いつも通り自分の制服をハンガーに掛け、明日の学校の準備をし、課題の一つでもしようかという時、ポワポワした声がこちらに届く。
「こーちゃん。ご飯できたよぉ」
え? 多分部屋に入って10分ぐらいしか経ってないはず。
部屋を出てリビングへ向かうと、確かにいい匂いはするけども、いやいや、そんな直ぐに出来るわけ……って出来てるー!?
野菜の肉巻きに、青菜炒め、だし巻き卵、豚汁と十六国米の炊き立てご飯。匂いと見た目だけなのに、ぐっと胃が掴まれたような感覚になる。
「エアコンの取り付けやる前に殆ど下ごしらえは済ませてたんだよぉ」
どうやら疑問が顔に出てしまっていたらしい僕にそう答えた後、姉さんはえっへんと誇らしげな顔して、料理するのに邪魔だと思う胸を叩いた。
「姉さんは料理に関する才能だけは凄すぎるなぁ」
「わぁーい、こーちゃんに褒められたぁ!」
「え、いや、うんもうそれでいいや」
皮肉に一切気づいてないのか凄いうれしそうなので、何も言わないでおこう。
一口つまむと美味しい、二口つまむと、より美味しい。更に豚汁を
「今日の豚汁さっぱりしてるね」
「きづいたぁ? 柚子胡椒ちょっと入れてみたんだぁ」
料理の感想に満足そうに微笑む姉さん。
何故にここまで食が進む料理なのか、何度も食べてるはずなのに飽きが来ないのは、品目だけでなく、毎回ちゃんと味付けにまで変化を加えてる事もあるからだろう。
また美味しいと伝えようと姉さんに視線を向けると、なぜか当人の視線は天井へ。
「どうしたの?」
「いや、引っ越し大変そうだなってねぇ」
自分達が引っ越した時を思い出したのか、苦い笑いを浮かべる姉さん。
「あ、やっぱり上の部屋引っ越ししてるんだ」
「そうそう。引っ越してきた人も帰ってきたときに、見たんだけどぉ」
人差し指を唇に当て、思い出すようなしぐさ。この時姉さんが続く言葉を思い出せる確率は60%ほどである。我が姉ながら低過ぎないか?
「会ったんだけど?」
「うーんとね、あ、そうそう、金髪でサングラスかけてたんだぁ。すっごい背が高い男の人だったなぁ」
どうやら僕は6割の方を引き当てたらしい。うんうん頷きながら確信を持って発言している辺り、ちゃんと思い出してくれたようだ。というかそんなにいかつい見た目の人がいた事を忘れかけないで欲しい。
「怖そうな人?」
「多分海外の人」
いやそんなガッツポーズで言われても、答えになってないんだ姉さんよ。
海外の人っていえば、そういやぁ、さっきの女の子も顔立ちが日本人離れしてたな。
料理を堪能するいつも通りの日常、だがこの後、上からのどたどたという音が、真夜中になるまで続いた事もあったせいか、僕も姉さんも遅めの就寝になってしまったのは言うまでもない。
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