さいおーがうまっ!

TOMOHIRO

第1話 人間万事塞翁が馬

 人間万事塞翁じんかんばんじさいおうが馬。

 学生で国語の授業を受けていたら、一回くらいは聞いたことのある言葉なんじゃないだろうか? 

 人生にとっての幸せや災いはどう転ぶか分からないもの。

 簡単に言うとそんな意味なのだが……。


「だ〜からさぁ〜。さいとうちゃ〜ん頼むよぉ〜」


 まさに、この不幸が僕の身に起きてるのは、いずれ来る幸せへの布石だと信じたい。

 そうとでも思わなきゃ、やってられないっていうか、実際そうであるっていうか……いや、それよりもツッコむべき事がある。今日こそ言うぞ!


「あ、はい、であの、西東さいとうのイントネーション、民法と同じ感じなんで。それだとよくある斎藤さんと同じイントネーションになっちゃうっていうか」

「あ〜うんうん、じゃあ頼むよ〜さいとうちゃん。てゆうかいつも通り風邪? 声変だべ? じゃあね〜ん」


 ……いや、結局同じイントネーションのままだし。

 姉さん、まだ僕は自分の苗字を斎藤と間違えられたままのようです。

 心の中で、実際には届かぬ不幸を嘆くと、ため息が自然と出てしまう。

 パン工場で製造ラインのアルバイトを始めて、はや二ヶ月。ようやく慣れ始めたところだけど、人が足りてないのもあってか、誰かが休むと今みたいに、夕方、暇をしている僕なんかにもお鉢が回ってくる……ということみたいだ。

 また今週も一日バイトが増えた……。


「あ、西東くん。今終わり?」


 白の作業帽を外し、現れた亜麻色の髪。女性にしてはちょっとハスキーな声。

 いつものように調子が柔らかく、安心する。僕の名前のイントネーションも合っているし。


「はい、先輩もですか?」

「うん、一緒に帰ろっか」

「え、え、いいんですか?」

「何が? 一緒に帰っちゃダメな事ある?」


 大きなくりっとした目による、不思議そうな視線が、真っ直ぐこちらへ向いた。

 日比野ひびの莉緒りお先輩は、学校でも、バイトでも、僕の1年先輩であり、こんな僕なんかに構ってくれる、めちゃめちゃ出来た先輩である。

 さらに言うと、バイト先でも学校でも男性に憧れられているほどの美人だ。

 あまり女性慣れしてない事も手伝い、僕の心臓はいつも高鳴りっぱなし。平常心で帰れるだろうか。


「な、ないですね!」


 うん、ダメだったね。声を意識するのも忘れてどもりながらの返事になる。

 すると可笑しそうにクスクスとした笑い方。

 あぁ……また声のことを馬鹿にされ……。


「変なの。じゃあ入り口で待っててね」


 ……なかった。優しく言った先輩は、女子更衣室の方へと颯爽と歩いていった。

 僕、西東さいとう幸馬こうまにはコンプレックスがある。

 それは、さっきみたいな声変わりが終わった男子とは思えない、ボーイソプラノの声である。

 見た目は普通のくせに、この高い声のせいで幼く見られたり、同級生にはほとんど馬鹿にされる。されている。

 なので普段は意図的に低い声を出すよう、心がけていた。

 なんせ、ここの工場でのバイトを始めたのも、家から遠くない理由にあわせ、あまり同僚達と喋る必要性がない事も理由にしてるくらいだ。

 着替え終わって工場の裏口に行くと、空は既に暗くなってきていた。見ると、まだ先輩は来ていない。

 同じ時間に終わった男性陣からの視線が痛い……めっちゃ睨まれている。

 当然だ。僕みたいなぽっと出の新人が、マドンナ的存在の日比野先輩に構われてる姿など、見てて面白いわけがない。

 あぁ……舌打ちすら聞こえてくる。

 先輩早く来て……。


「ごめん、制服がまたきつくなっちゃったのかな。しっくりこないんだよね」


 少し駆けてやって来た先輩は、自分の胸部を、まじまじと見つめて言った。

 思春期男子に対し、慎みなくそういう振る舞いするのは、目に毒なんだけどなぁ。

 結局いつもちゃんと言えないけど。

 視線のやり場に困りながら吐息を漏らすと、何故か先輩もため息を吐いた。


「この前の大雨の時みたく、またバイト、代わらされたんでしょ?」


 しょうがない物を見るような目で見られてしまった。

 けど、こっちにだって言い分はあるのだ。

 上司というのは一度可能と伝えると、次は許可を取るハードルを勝手に下げていく生き物であるらしく、先週の大雨と強風による電車の遅延で来れなくなった人の代わりに、家が近かった僕が、穴埋めでバイトした日から、直ぐ様さっきみたいな事を店長に聞かれてしまうようになった。


「嫌なら断っちゃっていいんだよ。店長のやつ、西東くんが断れないの知ってて言ってるんだから」

「やっぱりそうなんですね。でも、バイトが無いと、僕も特にやることないので、別にいいんですけどね」

「結構熱心にバイトしてるよね。なんか欲しいものでもあるの?」

「いや、特には……貯金してます」


 言って何歩か歩くと、隣に先輩はいない。

 振り向くと鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見ていた。


「貯金って……マジで言ってる?」

「は、はぁ。なんか特に使うこともないし、欲しいものも無い……え?」


 全部言い切る前に先輩はケタケタと笑い出した。


「何それおもろー! お金が欲しくて頑張ってバイトしてたんじゃないんだ?」

「そんなに頑張ってたつもりは……」

「いやいや。怒られてもへこたれないで頑張るし、高校生で一ヶ月以上続くの珍しいんだよ、うちのバイト」

「そういう先輩も高校生のはずなのですが」

「そうそう、だから同年代のアルバイトがいないの……はは」


 自嘲めいた笑い方にどう反応すればいいか分からない。

 これが全てだ。僕が先輩に構われている理由は、同年代のアルバイターが少ないから。

 うちのバイト先には大学生こそいるが、高校生は僕と先輩しかいない。

 だからこそ先輩は僕にこれほどまでに構ってくれているのだろう。

 同時に頑張りをこの人は認めてくれている。そう思っている。


「そっかー。てっきり彼女とかにプレゼントでも買おうとしてるのかと思ってた」


 言葉を反芻はんすうさせると自分の目に力が入り、耳を疑い始める程度には、理解に乏しくなる。


「……あの、全然意味が分からないんですけど」

「ほぉ? ということは西東くんはフリーかね? なるほど、それはいいことを聞いたね」


 顎をさすりながらおっさんみたいなことを言ってる先輩。

 たまにこの人は本当に女子高生なのか怪しく思う時がある……。

「ぼ、僕に彼女なんて夢のような存在がいるとお思いで!?」

 あ、また素の声が出てしまった。だが、先輩は目を大きく開いてから、僅かの間。そして、ケタケタとさっきのように笑い出す。


「いや夢て。言い過ぎでしょ。というかもうすぐ期末テストだからバイトもそこそこにしなね。バイバイ」

「え、あの!」


 笑って手を振り、いつの間にか近づいていた駅の方まで、何故か急ぐように走っていく日比野先輩。

 てゆうか先輩僕がフリーって聞いていいことを聞いたとか何だとか言ってなかった?

 そんな奇跡みたいな幸福あってもいいのか? 僕だぞ!?

 こんな声が変で、それ以外で褒める要素ゼロ男だぞ!?

 ……あ、いや、幸福か。そうか、幸福か。そういうことね。

 人間万事塞翁が馬。バイトを変わらなきゃいけなくなる不幸があれば、先輩に優しくされるという幸福がある。

 人生はそういうものなのだ。

 先輩と別れてのいつもどおりの寂しい田舎道、及び帰路。

 とはいえ家のマンションまでは十分程度で着く。しばらく歩くと携帯とにらめっこしながら首を捻る金髪ポニテの女の子。

 道にでも迷ったのだろうか。けどいきなり声をかける勇気など当然なくここはスルーで通り過ぎるのが安定……ん?

 あそこの脇に入った砂利道、舗装をする為の工事中で、前は立ち入り禁止の看板があったのだが、先日の大雨のせいで何処かに飛んだか、撤去されたのか、無くなってしまっている。

 

「危ないですよ」


 流石に声をかけたのだが、まったく反応しない女性。近くにいたサラリーマンの男性も、事情を知っているのか、同じように声をかけたのだが、女の子は一切反応せず、携帯を見ながらずんずん歩いていく。

 ダメだ。このままだと……。舗装されてない地面は脆く、何かの拍子で怪我をする可能性があった。


「危ない!」


 完全に禁止の領域を越えた彼女に対し、思わず地声で叫ぶ。すると驚いたように彼女は振り返った。

 歳は同い年くらいだろうか?

 あどけなさが残る顔ではあるものの、目鼻立ちはくっきりしていて、特に瞳は蒼く透き通り、透き通ったガラス細工を見ているのと似たような感覚に陥る。

 海外の子かな。となると、会話という点において話すスキルが圧倒的に低く、英語の成績が中の下の僕には荷が重い。


「危ない?」


 たった一言なのに、聞いてると癒されそうな可愛らしい声だった。

 首を捻る彼女は、確かに日本語で尋ねてきている。


「えっと、そこ工事中で」


 咳払いしてからいつものように話すと、彼女は首を捻ったまま、眉根を寄せる。声が小さかっただろうか?

 彼女はちゃんと聞くためにか、よりこちらに近づいてくる。


「そこ工事中なんです!」


 よーし、ちゃんと低さを意識して大きい声を出せたぞ。ふっ、これで笑われまい……ってあれ?


「えっとー……」


 何故困った顔のまんま申し訳なさそうなんだ?

 え、今のは流石に聴こえたはずじゃ。てゆうか近い。顔がすごい近い。


「そ、その道が、こ、工事中な……ので」


 思わぬ接近にドギマギしながら、また自然に出た地声。彼女はあーと、間の抜けた声を出して数度頷く。


「工事中なんですね」


 ちょっと離れてくれたので、目を合わせ全力で首を縦に降ると、彼女はむーと口を閉じたまま唸り、納得いってなさそうな顔をする。


「さっき危ないって言ってくれたの、あなたです?」

「そ、そうですけど」


 てゆうかさっきのサラリーマンも、もうとっくにいなくなっちゃったし、周りに僕しかいないのだが……。

 彼女は少し目を細めていたが、その理由は全くわからない。


「おかしいなぁ……あ、いけない!」


 おかしい。確かにそう呟いた彼女は何かに気づいたように、携帯に目をやってから元の道へと戻って走り出した。

 ……何だったんだろう。風のような女の子だったな。

 果たしてこれは、綺麗な女の子と話せた事という幸福なのか、全くもって時間を無駄に過ごしたという災難なのか。

 僕は出ないであろう答えを、頭でこねくり回しながら、家路を急ぐのであった。

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