僕は今日、学校を早引きした。
まっしろだなぁ。ぼんやりとした頭で考える。蛍光灯の光も相まって、混じり気のない白が僕の視界に広がっている。なんだかその白さに意識も持っていかれそうな気がして、怖くなった。もぞり、と起き上がろうとすると、カーテンの向こうで声がした。
「あ、起きたのね」
そっとカーテンを開けて、保健室の先生が顔を出した。笑うとシワが刻まれる優しいおばちゃん先生。その笑顔を見て少しだけ安心する。
「まだ身体だるい感じする? 熱もう一回測ろうか」
先生に聞かれて、僕は頷いた。それすらもちょっとだるい。
2時間目の休み時間、なんだか身体がズシリと重くなったような感じがして、頭もちょっと痛い気がしたから、先生に言って保健室にやってきた。その時も熱を測ったけど平熱で、とりあえず横になってみようかと言われたのだった。
時計を見た。3時間目もそろそろ終わる時間だ。けっこう寝ちゃってたんだなぁ。
先生は、ガサガサと棚を漁ると、うちにあるのとは違う、おでこの辺りにかざして体温を測るタイプの体温計を持ち出してきた。自分で前髪をあげておでこを出して、熱を測ってもらう。すぐにピピっと音がする。
「あら大変、上がってるわ」
先生は結果を見て少しだけ目を丸くした。何度だろう、と思っていると、先生がこちらに体温計を向けた。さんじゅうななどきゅうぶ。
「まだ上がるかもねぇ。今日は早引きしようか」
「えっ」
早引きという言葉が出てくるとは思ってなかった僕は、びっくりして声をあげた。
「早引きですか」
「うん」
「でも僕、今日音楽のテストがあるんですけど、帰っちゃっていいんですか?」
そう言うと先生はふふふと笑って、目元のシワを深く刻んだ。
「そんなのは後でもいいの。今、お家に電話かけちゃうわね」
先生はカーテンを閉めて、電話をかけ始めるみたいだった。
早引きなんて初めてだ。いいのかな、いいのかな。身体は確かにだるいけど、死にそうなくらいじゃないし。早引きなんてしちゃって、いいのかな。
今日はリコーダーのテストだ。だけど今日やらないとしたら、僕はいつやるのかな。テストがなくなることはきっとないし、次の音楽の時間に僕一人だけやるのかな。それとも、昼休みとか放課後に僕だけ音楽室に行くことになるのかな。それはそれでユーウツだなぁ。
「もしもし、星海小学校の柏木と申します。お世話になっておりますー」
僕がぐるぐると考えていると、カーテンの向こうで先生のワントーン明るい声がした。お母さん、出たんだ。じゃあ僕、本当に早引きするんだ。なんだかそわそわして、頭まで布団を被った。
* * *
4時間目が始まる前に、担任の先生が僕のランドセルを持って保健室まで届けてくれた。この後の授業で配るプリントとかは後でクラスの奴に届けてもらうからな、と言い残して去っていった。一番気になっていた音楽のテストのことは何も言われなかった。
4時間目が始まるチャイムが鳴ってから少し経ったくらいに、お母さんがやってきた。保健室の先生と少し話をした後、お母さんは僕のランドセルを片手でひょいと持ち上げて、行こっか、と笑った。
授業中の廊下はしんとしている。昇降口に向かう途中、給食室の方からいい匂いがした。今日の給食、なんだったかなぁ。僕が好きな奴だったらちょっと嫌だな。
昇降口からいつも通りに外に出る。でも、いつも通りじゃない景色。帰るみんなでざわついてもいないし、外もまだ明るい。隣にはお母さんがいて、僕はランドセルを背負っていない。
「車で来てるから、裏門の方に停めてあるの」
お母さんに促されて、裏門に向かう。それもいつもと違くてドキドキする。
校庭では、どこかのクラスが体育の授業をしている。見た感じ、下級生かな。準備体操をしている。あの中の一人くらいは、僕とお母さんに気づいてるかな。早退するなんていいなぁ、ずるいなぁ、なんて思われてるかな。
「あ。リコーダーの音がするね」
お母さんがふと言った。確かに、音楽室は裏門側にあって、ここまでリコーダーの音が聞こえる。テストの前におさらいで、クラスみんなで課題曲を吹いている。
ほんとうは、あの中で僕もリコーダーを吹いていたはずなのだ。そう思うと、ちょっと不思議で、ちょっと悲しいような気持ちになる。当たり前だけど、僕がいなくても、リコーダーのテストはある。僕の分の給食は誰かがおかわりをするし、宿題だって平等に僕にも出るのだ。
「ほら、早く乗って」
「うん」
車に乗り込んで、窓を開けた。リコーダーの音はもう遠い。もう少ししたら、出席番号の早い順で、一人ずつテストをする。
発進する車の中から、授業中の学校を眺める。僕だけがふわふわと浮いているみたいで、いつもと違う場所みたいで、ちょっと、怖かった。
僕は今日、学校を早引きした。
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