井上くんはわかりやすい。


 井上くんは分かりやすい。

 思っていることが、すぐに態度と口に出る。人のことを気に食わないと思えばそれを本人にズバズバと言う。そんな彼のことをとっつきにくいとか性格が悪いと言って嫌う人は少なくないけど、私はそんな井上くんが嫌いじゃない。

 さっき言った通り、井上くんは分かりやすい。そんな彼は、普段からとても見ていて面白い。観察しがいがあるのだ。


「……井上くん」

「ななな、なんだよ!?」

「教科書、見せてあげようか」

「なんで忘れたとわかんだよ!」


 そりゃあ、授業開始1分前になっても机の上に何もなくて、本人カバンに手を突っ込んだまま口をあんぐりとさせて青ざめてたら、誰でも察しがつくでしょう。


「んー? 見てたから?」

「許可なく見んな! 人のこと!」


 井上くんは顔を真っ赤にさせている。自分が分かりやすく困っていたことを恥じているのだろう。でも、見ることにいちいち許可なんて取ってられない。井上くんを観察するのは日課なんだから。

 私は机を井上くんの方に寄せて、真ん中に教科書を開いて置いた。


「……あ、ありがとな」

「どういたしまして」


 井上くんは分かりやすい。

 普段お礼を言い慣れていない彼は、少し頬を赤らめたまま、私から顔を背けた。でもお礼を言ったということは、彼はしっかり私に感謝している。


「今日当たるんだよ。助かった」

「あぁ、そうなんだ」

「あのハゲデブメガネ、日付で指名すんだろ? まじ焦った」

「ぶっ……! ハゲデブメガネって……!」

「なんだよ、事実だろ」


 事実だけれど。れっきとした事実だけれど。それらを羅列した、悪意溢れるあだ名で呼ばれた大平先生は、彼に嫌われているらしい。やっぱり井上くんは分かりやすい。



 * * *



 井上くんが美化委員になったのは、彼が根っからの綺麗好きだからだ。本人から直接聞いたわけではないけれど、あんなに熱心に掃除をしていればすぐにわかる。普段の掃除の時間も、委員会の時間も、かなり真剣。井上くんを観察するために美化委員になった私とは熱意が違う。

 ちなみに、今日の委員会活動は、冬に備えて、各クラスのストーブが正常に動くかのチェックだ。溜まったホコリを掃除してから動作を確かめる。


「多分、もうホコリ取れてると思うけど」


 熱心にホコリを掃除してる井上くんの顔を覗き込んだ。井上くんは「うわぁ!」と大きな声を出して尻餅をついた。

 動揺している。井上くんは、分かりやすく動揺している。集中しているところにいきなり声をかけたからか。せめて肩を叩いてからにしたほうがよかったかな。なんて、井上くんの反応を見て反省する。


「み、三崎。驚かすな」

「え? あー、ごめん……?」


 そんなに驚くようなことをしただろうか。確かにいきなりすぎたかもしれないけど。

 井上くんは、落ち着こうとしているらしく必死にスーハースーハーと深呼吸をしている。が、なかなか彼は落ち着く気配がない。じっと見ていると、目が合った。すると思い切り目を逸らされた。なんだかショックだ。


「三崎さ。なんで、俺のことジロジロ見んの」

「え」


 井上くんの言葉はいつも直球すぎて、打ち返すのに時間がかかる。なんで、と本人に聞かれるとは思わなかったから、その答えを用意していない。


「……面白い、から?」

「なんで疑問系なんだよ俺が聞いてんのに! そんでなんだよ面白いからって何が面白いんだよ!?」

「やー、その、井上くんが」

「はぁ!? なんだよ、俺は全然面白くねぇよ! やめろよ、そういうの。迷惑だよ!」

「……ごめん」


 こうもストレートに言われてしまうと、返す言葉もない。私は俯いたまま、井上くんの言葉を聞いていた。本人が嫌だと言うのなら、観察はやめだ。ずっと見ていたかったけど、どうやらそうはいかないらしい。


「ほんと、迷惑なんだよ! なんかお前に見られてると心臓ドキドキしていろんなことに集中できなくなるし!」


──ん? 


「なんか頭回んなくなるし! 今だって仕事に集中できないんだよ、お前のせいで!」


──んん? 


「直視しようとしても、なんかお前が他の女子より可愛く見えて仕方なくて直視できねーし! ほんと、早く仕事おわして帰りてーから、これやってる間だけでもちょっと俺の前からいなくなってくんねぇ!?」


 私は責められているはずだ。それなのに、なんと言うか、いろいろ聞き捨てならない言葉が聞こえたような。

 思わず顔を上げて、つい、吹き出してしまった。言っちまった、みたいな顔で、私を見下ろしている。その顔は真っ赤に染まっているし、なんだか目はウルウルして泣きそうだし。どっちの『言っちまった』だろう。仮にも気になっている子に対して出て行けと言ってしまったことか、隠してたのにうっかり告白めいたことを言ってしまったことか。どっちでもいいけど。

 井上くんは分かりやすい。

 結構他の女子より贔屓してくれてたから、嫌われてはいないと思っていたけど。これは──とっても嬉しい誤算だ。


「お断りします」

「なんでだよ!?」

「私が一緒にいたいので」


 私がそう言って井上くんの隣に座ると、井上くんはしばらく黙った後、「勝手にしろ!」と言い捨てた。拒否じゃない。私の言葉に分かりやすく照れてくれているのだ。

 あぁ──やっぱり井上くんは分かりやすい。

 そしてそんな井上くんが、今日も面白くて、愛しい。

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