そして、飲みきれない缶チューハイ


 コンビニで、缶チューハイを一本買った。店員はあたしの顔をチラリと見たけれど、何も言ってはこなかった。

 秋の夜はもう寒くて、吐く息は白い。空気は澄んでいるはずなのに、星はうっすらとしか見えなくて、まんまるなお月様だけが空に浮かんでいた。公園の時計は深夜0時すぎを指している。一瞬、こんな時間にこんなとこでお酒なんか飲んでたら補導されるかな、と思ったけど、あぁそうか。もう関係ない、確か。


 何だか疲れてしまった。全てがめんどくさくて、やる気も起きなくて。こんなはずじゃないのにと憤っては、また落ち込んで。楽しいはずの学校も、楽しくない。みんながあたしをおいて遠くへいってしまうようで。

 負の無限ループ。心のモヤモヤは、日に日に肥大化していった。眠りはするけど、熟睡は出来ない。疲れだけが蓄積される毎日に、あたしは嫌になってきていた。

 飲んだこともないくせに缶チューハイを買ったのは、そのせいだ。アルコールの力を借りて、よく眠れるように。あわよくば、あたしの心のモヤモヤを、全部消し去れるように。


 あたしは公園のベンチに腰かけて、袋から缶チューハイを取り出した。まだ冷たいそれは、水滴で湿っていた。慣れた手つきを装って、缶を開ける。カシュ、と小気味いい音がして、あたしはそれを勢いよく飲んだ。2、3口飲んで、口を離す。


「……まっず」


 思わず感想が口に出た。こんな味なんだ。思ってたのと違う。

 本当に、何もかもうまく行かない。あたし、何やってんだろ。虚しくなって、小さく笑った。いよいよバカらしくなってきて、缶チューハイを片手に、うなだれた。……あぁ、なんか、泣きそう。


「どこのおっさんかと思った」


 突如上から声が降ってきて、あたしは顔をあげる。そこには、見知った顔の男が立っていた。


「……オンナノコに向かって、失礼」

「あぁ、オンナノコだったっけ、お前」


 そいつ、タケセンは図々しくもあたしの横にどっかりと座った。タケセン──武田雅人は、あたしが高校のころの塾の先生だ。あたしが塾を辞めてからも、家が近いらしくて何かとよく会う。別に会いたくもないのに。


「何やってんの、こんな時間に。不良?」

「タバコ切れたから買ってきたんだよ。てか、こっちの台詞なんですけど? オンナノコがこんなとこで何やってんの?」


 タケセンの言葉に、ムッとした。やっぱり会いたくもなかった。


「タケセンには関係ない」

「まぁねー、俺もうお前の先生じゃないし」

「じゃあ構うなよ」

「でもお前、まだ未成年じゃなかった?」


 タケセンの視線は、缶チューハイに注がれていた。あたしは悪さをした子供のように、それをサッと隠した。


「……来月でハタチだし。大人だし」

「あれ、そうだったっけ。いつのまにか年取ってんだなぁ」

「あんたもでしょ、おっさん」

「俺はまだ24です」

「興味ない」


 タケセンは少しムッとしたあと、苦笑いしてあたしの頭をくしゃくしゃっとかいた。不意打ち過ぎて意味わかんない。


「……何すんの」

「いや? 別に。ただ」


 するとタケセンはあたしの手から缶チューハイを奪うと、ゴクリゴクリと喉を鳴らしながらそれを飲んだ。ふぅ、と小さく声を漏らすと、あたしに向き直る。


「大人、なわりにずいぶんと不味そうな顔して飲むんだな、と思ってさ」

「……っ!」


 身体中の血液が、顔に巡ったと思った。顔が一気に赤くなる。恥ずかしくて、泣きそうになった。


「見てたとか、最低。くず。死ね」

「何とでも言えよ。ていうか、見てたんじゃなくて、見えたんだよ」

「うるさい、ばか、黙れ」

「あーもう、お前が黙れ」


 タケセンは、あたしの腕をぐいと引っ張って、自分の方に寄せた。あたしはバランスを崩して体ごと引き寄せられて、タケセンに支えられた。何をするのかと思えば、引き寄せた腕をあたしの後ろに回し、そのままあたしの頭をぽんぽんと叩いたのだった。

 その手のひらが思いの外優しくて、あたしは何も言えなくなってしまう。


「悩みがあんなら、吐き出せばいい。酒に頼って自分で消化しようとすんのにはまだ早ぇよ。少なくとも、来月まではまだ子供、だろ?」


 ぽん、ぽん、と赤ん坊をあやすようなリズムが心地いい。悔しいけど、タケセンの言葉に安心してしまった。なんだか涙腺も緩んでしまって、見える景色が歪み始める。なんで悩んでるの分かったんだ、とか、子供扱いすんな、とか、言いたいことはたくさんあるけど、もうどうでもよく思えた。でもやっぱり、タケセンの言葉に素直にしたがった風になってしまうのは嫌で、


「うるさいよ、タケセン……」


と震える声で言ったのだった。

 タケセンはあたしの強がりなんて気にしていないのか、フッと笑った。すると頭の上で、またゴクリゴクリと音がした。珍しくタケセンが涙に気づいてないふりをしてくれてるから、あたしはそのまま涙を流し続けたのだった。



 * * *



 心の中のモヤモヤ。そして、飲みきれない缶チューハイ。

 全部まとめて引き受けてくれたバカがいたから、あたしの心は不思議なくらいに軽くなったのだった。

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