第3話 結界破り
ゴミもまとめ終わり、夕食も済ませ、シャワーで体に張り付いた汗や冷や汗を洗い流し終わって、後は寝るだけとなった夜11時。
連日の長時間にわたる仕事でゲームをする気力も無かったので、「横になっていれば眠気も出て来るだろう」と考えて、布団に入り眠気に誘われるまでスマホでネットサーフィンなどして時間を無為に過ごしておりました。
開け放った窓からは秋の心地よい涼しさの風と、
ジ―――と聞き覚えのある虫の声。
秋の夜長を感じさせる空気を感じつつ、外の虫の声に耳を傾けていると、
べちゃり べちゃり
と、なにか粘り気を持った液体が地面に落ちるような音がしました。
一体、これは何の音なんだろうと思って耳を澄ませると、また、遠くの方から
べちゃり べちゃり
どうやら、その音は玄関の廊下の方からしているようで、無視しようにもずーっと不定期に粘り気を持った水音が聞こえるのを我慢できず、ついつい、布団から抜け出し、寝間着のまま玄関の方へと足を歩めて行きました。
いったいこの水音は何の音なんだろうか。胸が早鐘を打つのを体で感じながらドアノブに手をかけ、音をたてないようにそぉーっと開けて、顔をゆっくりと扉から出してアパートの廊下を見回します。
べちゃり べちゃり
なんだ、何かが居る。
アパートの廊下の階段、その奥の方から何か黒くて大きいスライムのようなものが動いておりました。
その黒いものはどうやっているのか、尺取虫のように先端をのばして、身体を引きずるようにして少しずつ動いていました。
そして、動くたびに
べちゃり べちゃり
と粘性の水音が辺りに響かせながら、こちらに近づいておりました。
瞬間、彼の身体中にさぁっと鳥肌が立ち、本能的に「このまま見ていたら駄目だ!逃げないと!」と思いながらも、金縛りに掛かったように全く身体が動かせなくなり、さっきまでの涼しさとはうって変わって、じっとりとした汗が身体中にまとわりつき始めました。
そのまま、彼はその黒い大きなものから視線をそらすことができず、じっとそれの動向を見守っておりました。
べちゃり べちゃり
その黒い大きな何かは、独特の水音を立てながらこちらににじり寄り、いつの間にか彼から5ⅿ近くにまで迫ってきました。
そこまで近づいてきても尚、彼は黒い大きなソレから目を離すことができず、ただ体を震わせ、冷や汗をだらだらとかき続けることしかできませんでした。
すると、急にその黒い大きなものは動きを止め、
ぎょろり と大きな眼が浮かび上がり、こちらを凝視してきました。
やばい眼が合った
彼は突き動かされるように、ドアをガチャンと勢いよく閉め、震える身体を無理やり押さえつけながら、なんとか鍵もしっかりと掛けました。
そして、音をたてないように息をひそめて、右手で胸を抑えつけて何とか心臓の鼓動を止めようとしながら、ドアに耳を当てて、聞き耳を立てました。
べちゃり べちゃり
音は少しずつ、少しずつ、ドアの前に近づいてきます。
一体あれはなんなんだ。今まで金輪際あんなものを見た覚えはないし、自分に霊感のようなものがあるわけではない。
どうにかしないと どうにかしないと
動悸が止まらない胸を強く抑えながら、思考を巡らせます。
何が原因なんだ、いったい何でこんなことになったんだ。
そして、外から聞こえる水音がもうそこまで迫ってきた時、一つの答えが脳裏に浮かびました。
そうだ、あの手紙
そう思うが早いか、近所迷惑なんて知った事かとドタドタと音を立てて室内に駆け込み、ゴミ袋の大量のDMやチラシを必死に掻き分けて、乱雑に折り畳まれた例の手紙を見つけ出しました。
そしてすぐに思いきりぴしゃんと網戸を開けて、窓の外に力の限りを振り絞って窓の外に手紙を投げ捨てました。
この行動が正しい解決策なのかはわかりませんでした。しかし、得体のしれない気持ちに急かされて、そうせざるを得ませんでした。
そして、一定の周期で粘性の液体が地面に落ちる音が
べちゃり べちゃり
と響かせながら、玄関先を通っていました。
1分、または5分、もしかしたらほんの数秒かもしれませんが、体感ではもっと長い時間が経った後、先ほどまでの粘性の水音は玄関先を過ぎ去り、次第に音もなくなっていました。その後、開け放った窓の外からは先ほどよりも冷えた肌寒い風が部屋に入り込み、秋の虫の声が変わらずジ―――と鳴き続け、無音の室内を満たしていました。
完全に水音が無くなってから、彼はやっと強張った身体中の力が抜け、その場にへたり込むように倒れました。
あぁ、良かった。大丈夫だった。
彼はその場で深く長い溜息をついて、心臓の鼓動が収まっていくのを体で感じていました。
あの黒いものの正体は一切わからないままでしたが、もし、アレに襲われていたら。そんな事を想像するだけでも怖気づいてしまいそうでした。
ガチャリ
バッとドアを見ると、確かに閉めたはずの鍵が開けられ、
ギィィーと音を立てながら、ドアが開き始めました。
彼は何かを考える前に、ドアが開くのを視認したと同時に掛け布団を引っぺがし、飛び上がるように部屋の隅に布団にくるまって身を潜めました。
落ち着いたはずの胸の鼓動は先ほどよりも一際大きく打ち、
それは周りにも聞こえるのではないかと錯覚するほどにドクンドクンとうるさく鳴り響いておりました。
静かに!静かになれ!とグッと息を飲んで、無駄かもしれないのを承知で胸の上から心臓を押さえつけます。
それでも、心臓の鼓動は静まるばかりか、より大きくなっていきます。
そして開け放たれた玄関の方から、
べちゃり べちゃり べちゃり
彼は、ただ、何も起きないように、こっちに来ないようにと部屋の隅で布団で体を隠しながら願う事しかできませんでした。
べちゃり べちゃり べちゃり―――
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