君のお葬式

 香奈美、結婚したんだって。

 昔の恋人のそういう情報は、風の噂で伝わってくるのが常だろう。昔の恋人と密に連絡を取り合っているのなら話は別だろうけど、僕はそういうタイプではない。今回も、例によって僕は、人伝に、しかも事後報告で、それを知ったのである。

 それを不満に思うわけではない。彼女には僕にそういうことを報告する義理もないし、むしろそんなことを報告しようものなら今の恋人(あ、もう旦那さん、か)との関係に角が立つ。

 もちろん僕の方にも、彼女の結婚を知ったからと言って別段しなければいけないこともない。おめでたい話だが、昔の恋人という立場の僕が告げる「おめでとう」は、どんな意味に取られても面倒なことになるのは目に見えている。

 “知った”。ただそれだけのことなのだ。昔の恋人の結婚は、それだけのこと。

 それだけのことなのに、どうしてこんなにモヤモヤとした感情が残るのか。



 * * *



 瀬戸香奈美は、僕の初めての彼女だった。彼女にとっても、僕は初めての恋人だった。7年という長い月日を僕らは共に過ごした。若さゆえか、結婚をするのは、彼女だと信じて疑わなかった。

 別れてからもう5年は経った。さすがに別れた当初はしばらく引きずったが、その傷は癒えた。じゃなかったら、彼女の結婚の報告をこんなに落ち着いて聞いてはいられないはずだろう。そう、落ち着いてはいるのだ。

 この気持ちはなんなのだろうか。ふと考える。

 一度は愛した人を他の男に取られた悔しさか。……いや、違う。じゃあ、悲しさか。……それも違う気がする。この気持ちの正解を探すべく、僕は彼女との記憶を思い出す。一緒に過ごした日々を。

 瀬戸香奈美。昔愛した人。そこまで考えて、彼女はもう“瀬戸”香奈美ではないのだ、と思った。女性は結婚すれば苗字は変わる。彼女は僕以外との誰かとの結婚によって、“瀬戸香奈美”ではない誰かになってしまったのだ。


 この気持ちの正体が、わかった気がした。

 思い出の中に確かにある彼女が、違う誰かになって。違う誰かになってしまった“彼女”は、もうこの世にはいないのだ。

 悔しさでも悲しさでもないこの感情の正体は、寂しさにも似た、喪失感だった。



 * * *



 結婚式は、するのだろうか。あるいはしたのだろうか。どちらにしたって、僕には関係のないことだった。人々が彼女の結婚を祝している間に、僕は1人誰もいない部屋で黒い服を着て、いなくなってしまった“瀬戸香奈美”を弔おう。

 ただの自己満足だ。そうして少しは気が晴れたら、いつかもし偶然君に出会った時に、自然に笑える気がするからさ。

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てのひらの秋 天乃 彗 @sui_so_saku

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