ナイモノネダリ

 俺は昔から翔ちゃんが羨ましかった。


「拓夫! 久しぶり!」

「翔ちゃん!」


 数ヶ月ぶりに姿を見せた翔ちゃんは、こんがり焼けていた。焼けた肌に対照的な白い歯を見せて翔ちゃんは笑う。


「焼けたなー。今度はどこ?」

「沖縄! あっちはやべーよ、超あちーの」


 言いながら手土産を渡された。確かにその紙袋の中はちんすこうで、満喫した様子がうかがえた。翔ちゃんは、勝手に部屋に上がり込んできて、手土産のついでに持ってきたらしい大量の酒をテーブルに置きはじめた。缶のプルタブを2本あけて、片方を俺に差し出す。俺は黙ってそれを受け取った。


「で? 次はどこに行くつもりなの」

「迷ってんだよなー。もう秋だし、京都か大阪か。でも京都も大阪もちらっとアパート見て来たけど、やっぱ家賃たけーんだよなぁ」


 翔ちゃんは、こんな風にフラフラしている。日雇いのバイトを続けては、貯まった金でフラッと旅に出て、フラッとそこで暮らして、フラッと戻ってくる。実にテキトーな生活を送っている。学生時代からそうだった。


「望美ちゃん悲しむぞー。いつまでもそんなフラフラしてっと」

「はははっ。俺のは望美公認だから」


 望美ちゃんというのは翔ちゃんの彼女だ。学生のころ同じ部活だったのがきっかけで3人で仲良くなった。そして、翔ちゃんと望美ちゃんは当時からずっと付き合っている。もう何年も経つんだから、フラフラしてないで籍入れたらいいのに、と思う。彼女公認の放浪って、どんだけ心広いんだよな。望美ちゃん、鉄の精神かよ。


「拓夫はどうなん? 仕事順調?」

「あー……ぼちぼち」


 対する俺は、給料も並な会社に就職して、毎日上司のつまらん愚痴を聞かされながら、やれどもやれども終わらない仕事をせっせとやるような生活を送っている。安定しているといっちゃそうだけど、鏡に映る俺は日々くたびれていっている。


「そうだよなぁ。お前、なんか昔よりやつれた気がするわ」


 冗談じみた口調で、翔ちゃんは言った。やつれた? 自分ではそうは思っていなかったけど、昔馴染みに言われたらそんな気もしてくる。


「……そうか?」

「そうだよ。またさぁ、あの頃みたいにバカやりてーな! 二人でさ」


 あの頃は良かった、と言えるような歳になってしまったんだなと実感する。翔ちゃんとバカやってた頃。学校という小さな社会で粋がって、やりたい放題やってた頃。未成年なのにタバコも酒もやった。喧嘩だってしょっちゅうやった。

あの頃は確かに楽しかった。刺激的な日々を送っていた。何をやっても許された。縛る物もなくて、ただただ伸び伸びと暮らしていた。


──でも。今は? 

 社会に出たらそうもいかず、自分を殺して、上司にごまをすって。灯りのついていない部屋に帰って。


──翔ちゃんは? 

 好きなときに好きな場所へ出かけて。戻ってくれば自分を待っててくれる彼女もいて。

 確かにあの頃は、二人でバカやってたのにな。二人とも、おんなじだったのにな。……どこから変わっちゃったのかな。


「呑んだら暑くなってきたなー」


 そう言いながら、窓をあけてベランダに出た翔ちゃんの背中を、俺はじっと眺めていた。


「お、見ろよ、超でっけぇ月」

「翔ちゃん」

「んぁ?」

「俺、昔から翔ちゃんが羨ましかった」


 気づいてしまった。

 翔ちゃんが自由なのは、昔から変わらない。俺は自由な翔ちゃんにあてられて、気を大きくしていただけ。おんなじだったわけじゃない。昔から、何でも持っていたのは翔ちゃんだった。望美ちゃんのことだって、本当は、俺だって──。


「おいおい、急に何言って──」


 考えるよりも先に、身体が動いていた。俺の両腕は力いっぱい翔ちゃんの背中を押していて、翔ちゃんの身体は重力に従って下へ下へと落ちていった。しばらくして、ドサリ、と音がした。その音でハッとした俺は、慌ててベランダに駆け寄って下を見る。暗いこともあって、翔ちゃんがどうなってるのかここからじゃわからない。この瞬間には119番にコールしていた。変に冷静になっていく頭で。


「も、もしもし。友人が、酔った勢いでベランダから転落しました──」



 * * *



 告別式で再会した望美ちゃんは、泣き腫らした目で俺を見た。俺の家のベランダから落ちたことを知っている彼女は、なんとも言えない顔をしていた。責めるような、諦めるような目。思わず俺は、「止められなくてごめん」と呟いた。


「いいよ……あいつがバカなことは知ってる」


 全然「いいよ」に聞こえない声音で言った望美ちゃんは、カバンから一枚の封筒を取り出した。


「あいつ、フラフラフラフラしてたでしょう。それで、いつ事故とかにあってもおかしくないからって、ずっと預かってたんだ。拓ちゃん宛だよ」

「え……」


 ずっと、って、いつから。そんなことは聞けず、俺はただそれを受け取った。白い縦長の封筒だった。封を切って中から出てきたのは、ルーズリーフ。この適当さで、手紙を書いた主が間違いなく翔ちゃんなのがよくわかった。

 開いてみて、息が止まるかと思った。翔ちゃんの字で書かれたその手紙には、衝撃的なことが書かれていた。


『拓夫へ。

 手紙でしかこんなこと言えないから、書きます。

 俺は、正直拓夫がずっと羨ましかった。

 俺がバカやってる中、一緒にバカやりながらどこか拓夫は冷静で。俺が安心してバカやれたのも、拓夫のおかげだと思う。

 卒業してからも、ちゃんと就職して、しっかり生活してて、俺とは大違いだった。

 俺がフラフラしてるせいで、望美と喧嘩ばっかしてたの、お前知らないだろ(笑)その度に、“拓ちゃんとは大違い!”って怒られたんだぜ。

 友達なのに、こんなこと思っててごめんな。


 望美のこと、よろしく。


  蒲田翔平』


 昔から、翔ちゃんが羨ましかった。何でも持ってたはずの翔ちゃん。でも、やっぱり俺らはおんなじだった。それなのに。それなのに、俺は。


「バカすぎて涙もでねーよ……」


 くだらないないものねだりで、大事なものを失った。聞こえるはずのない翔ちゃんの声が、ずっと耳に響いてる気がした。


『俺は、お前がずっと羨ましかった──』

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