おちば


 幼なじみの美沙が倒れたと聞いて、拓哉の頭は真っ白になった。音が遠くに聞こえて、体がふわふわと浮いているような。心が締め付けられて、動くことも出来なくなった。もともと体が丈夫ではない彼女の緊急事態に、いやな予感がした。

 小学五年生の冬。固まる体に鞭打って、美沙の住むマンションへ駆けた。風が強くて寒い中、上着も着ずに駆ける。

 駆ける。駆ける。駆ける。幼く淡い恋心がぐらぐらと揺れた。



 * * *



「美沙!」


 拓哉は叫びながら美沙の部屋の扉を開けた。美沙はベッドの上で半身を起こし、本を読んでいる。寝巻から見える白い肌に少しときめいた。


──……じゃなくて。


 拓哉は自分の頬を掻くと、改めて美沙に向き直った。


「お前、倒れたんじゃ……!」

「ただの貧血、らしいよ」


 美沙は青白い顔でやんわり笑った。笑ってはいるが、やはりどこか悪そうだ。


──それにしても。


「重い病気じゃなくてよかった……心配かけんなよ!」


 拓哉が笑ってそう言うと、美沙も微笑んだ。


「ごめんね、心配かけて。あたしは大丈夫だから……」


 まだ十一歳の拓哉には、その言葉だけが真実だった。目の前に広がるものだけが世界だった。



 * * *



「風邪をこじらせちゃったみたいで……すぐ治るとは思うんだけど」


 お見舞いに行ってみたら、美沙の母が言った。


「美沙は大丈夫なんですか? オレ、会いたいんですけど」

「うーん、移っちゃうといけないしなぁ……」

「平気です! オレ、丈夫なんで!」


 拓哉の粘りで、美沙の母はしぶしぶ承諾した。ただし、移らないように少しの時間だけだ。

 美沙の部屋の扉を開けて、存在を確認する。ベッドで寝ている。美沙はつらそうに息を荒げていた。出来るなら、代わってあげたかった。つらそうな彼女を見たくなかった。


「だ……大丈夫?」

「たっくん……移っちゃ……」


 言い掛けて、美沙は咳き込んだ。拓哉にかからないようにしてたのを、拓哉は気付いていた。


──こんな時まで、人の心配…。


 何だかいたたまれない気持ちになる。


「オレは大丈夫だって!」

「あのねぇ……前読んだ本に書いてあったの……」


 意識がしっかりしていないのか、美沙は急に話し始めた。何も出来ないのだから、せめて話を聞いてあげようと思った。


「病気の女の子がねぇ……願掛けするの。今にも……散ってしまいそうな落ち葉に──アレが落ちなかったら、私は死なないって……」


 小説の話みたいだ。とぎれとぎれだが、大体理解できた。


「あたしもしてみたの……ホラ、ここから見える公園の木。アレが最後の一枚みたいなの……」


 美沙が指差した方には、確かに木があった。葉っぱが風に揺られている。一生懸命、幹にしがみつく一枚。命を、つなぎ止めるように。


「アレが落ちたら、あたし……」

「いいよ、しゃべんないで」


 話すたびに咳き込む美沙をそっと制した。この間の貧血と風邪で、だいぶ気がめいっているようだ。実際、ただの風邪だったのだが、生死の境が分からなくなっている。だが──その境が分からないのは、拓哉も同じだ。


「──待ってて」


 拓哉は一人駆け出した。



 * * *



 風がうなっている。何もかもを吹き飛ばそうと。

 拓哉はその中を駆け、守りぬく。大切な人と、大切な想いを。



 * * *



 三日後、美沙は熱も下がり、咳も出なくなった。治った安心感と爽快感で胸が一杯になる。


──そういえば、あの日から拓哉の姿を見ていない。


 自分が熱を移していたらどうしよう、と思った。美沙は少し考え込んで、お見舞いにいくことにした。拓哉の家は公園の向こうだ。そうして何気なく窓に目を向けて、気付く。


──葉っぱ……。


 願掛けした最後の一枚がついていた。あの風だ、絶対落ちてしまったと思ったのに。美沙はお見舞いに行くついでに、公園の木を見て行こうと思った。


「……!」


 公園に寄った美沙は言葉を失った。目に入ったのは、セロテープで繋がれた葉っぱ。落ちるはずだった、最後の一枚が、落ちることの無いように、幹にしっかりと繋がれている。セロテープがぐるぐる巻きだ。

 コロコロと、セロテープの芯が転がってきた。拾い上げてみて、テープの部分が無いことに気付いた。


──全部使ったの? 


 考えて、つい笑ってしまった。


「たっくんったら……あの風の中でこんなことして、絶対風邪引くのに……」


 心配してるつもりなのに、顔から笑みが消えなかった。美沙はゆっくり歩きだした。気がめいっているだろう、幼なじみのもとへ。

 風はずいぶん穏やかになって、ひんやりと辺りを包む。最後の一枚が、カサカサ揺れた。

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