800字の、

 机の前に座って、もう何時間がたったのだろう。少年──健太はさっきからずっと原稿用紙と睨めっこをしていた。真っ白な原稿用紙、まだ何も書かれていない。


「……先生も意味わからない宿題出すよなー……」


『11月23日は勤労感謝の日。いつも頑張って仕事をしている両親に向けて、自分の正直な気持ちを作文にしよう!』


 そう言って笑う担任の顔が思い浮かんだ。


「──わかんねー……」


 小学5年生、思春期真っ盛りの健太には難しい宿題だった。母は小言ばかりで世話焼きで、少しうっとうしいと思っている。父はお人好しで母にも飽きられている。自分のことを大切にしてくれているのはわかっている。だが、こう改めて考えると、素直になれないのである。


──あーもう……。


 頭をボリボリ掻いた。アイディアは出てこない。腹は空く。盛大な腹の音が、部屋に響いた。


「健太ー! ご飯よー」


──母ちゃんナイスタイミング!


 健太は一階から聞こえる声に心踊らせた。軽やかに一階に降りてゆく。


「飯は!?」

「お母さん特製オムライス!」

「やった!」


 意気揚々と席につき、オムライスの到着を待つ。すぐに母は目の前に運んでくれた。


「キノコも入ってるから。残さずに食べなさいよ!」

「……えー」


──入れなくてよかったのに。


 健太は少し膨れながらも、一口口に含む。キノコが、食べやすいように細かく切られていた。


「…………」


 オムライスを胃の中に放り込む。母は横でよく噛みなさいと言っている。聞こえないふりをして、米粒ひとつも残さずにたいらげた。


「~~~ごっつぁんです!」

「ごちそうさまでしょー?」


 母の笑う顔がちらりと見えた。



 * * *



「ただいま」

「おかえりなさい、あなた」


 ゲームをしていた健太の耳に、父の声が届いた。仕事から帰ってきたようだ。


 キュイーン! ドカン! 

 目線をゲームに向けたまま、何気なく父と母の会話を聞いていた。


「今日も残業?」

「あぁ、仕事多いからなー」


 キュイーン! ドドドドド


「大変じゃないの?」

「まぁ、それなりにな」


 ドカッ! ドン! 


「でもちゃんと残業手当でるし。たまには休みの日三人でどっか行きたいしなぁ」

「またそんなこと言って……」


 父が笑う。


 ドドドドド! バン! 


──そんなこと思ってたんだ。


 キュイーン! ドン! 

 口元が緩む。


「たまにはいいだろ?」

「そうだけど……」


──プチン──

 健太は静かに電源を消すと、立ち上がった。


「健太も、ゲームばっかりやってないで宿題やりなさいよ?」

「──わかってるよ」


 顔を上げると、ため息をつく母と微笑む父。気付かなかった。気付こうとしなかった。自分は思っているよりも、大切な存在なのだと。愛情は、こんなにも近くに転がっていた。やっと少し気付けた気がする。


「ちょっと、もうすぐご飯よ?」

「宿題! すぐ終わる!」


 健太は階段を駆けのぼり、机に向かった。


──自分の気持ちをありのままに書けばいいんだ。

 健太は鉛筆を握りしめ、でかでかと汚い文字で書く。後で先生に怒られるのも知らずに、健太は満足気に笑った。


 800字の気持ち。だけど健太はたったの9文字で。


『いつもありがとう。』

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