1-4
音の割れたチャイムが微妙に音程を外しながら校舎内に響き渡ると、なおざりな号令とともに教室はにわかにざわめき出す。
颯太は教科書をしまうふりをしながら、ちらりと隣に座る琉生に目線を流した。
うつむき加減の横顔に際立つ通った鼻筋と長い睫毛。スッと尖った顎に細い首筋。顔周りを縁取る絹糸のような茶色い髪が、体の動きにつれてサラサラと揺れる。
こうして明るい日差しのもとで眺めてみても、首から上はやはり女にしか見えない。というか、首から下だって、女子用の制服を着せてしまえばそれはそれで案外すんなりとはまりそうな気がする。思わず脳内置換しながら、颯太はしばらくの間、ぼんやりと琉生を眺めていた。
「なぁーに見とれてんのよ」
突然頭頂部を勢いよく小突かれた。
颯太が慌てて振り仰ぐと、どこか意味ありげな笑みを浮かべて自分を見下ろす葵と目があった。
「え、いや、別に……」
目線を落として口ごもる颯太の顔を、葵は腰に手を当てて上体をかがめ、ニヤニヤしながら覗き込んだ。
「別にって感じじゃなかったけどなー。黒沢くんに見とれて完全に機能停止してたし」
「え、なに?」
自分の名が会話に出てきたせいだろうか、琉生が教科書をしまう手を止めて葵を見た。
そのハスキーボイスが耳に届いた途端、昨日の出来事がオートリバースモードで脳内に蘇ってきた颯太は、知らず息を殺して彼の出方を窺った。
そんな事情はまるっきり知らない葵は、向こうから声をかけられたのが嬉しかったのだろう、無邪気な笑みを浮かべた。
「いや、黒沢くんのお隣の颯太……真白くんがさ、黒沢くんのことボーっと眺めてるもんだから、興味があるのかなーなんて思ってさ」
「そうなの?」
琉生が穏やかにほほ笑みながら、チラリと目線を颯太に流す。
『ボクを、飼ってよ』
その途端、そう言って自分を見上げた煽情的な琉生の表情がそれと重なって見えて、颯太の背筋にぞくりと寒気が走った。
「あーでも、あたしその気持ち、わかるなー」
と、会話に参加するタイミングをうかがっていたのだろう、通路を挟んだ斜め後ろに座る女生徒が、明るい口調で話しかけてきた。
「わかるの?」
琉生が少しだけ体をねじって自分の方を見たからだろう、その女生徒は一気にテンションが上がった様子でまくしたて始めた。
「わかるわかる! 黒沢くん、滅茶苦茶キレイだもん。髪はサラッサラだし、睫毛長いし……目の色もステキだよね。カラコン?」
「いや、生まれつき。ボクの先祖は、北方ロシア系の血が混じってるらしくて」
それを聞きつけて、今度は斜め前の席にいた女子が体をひねって会話に参加してきた。
「へええそうなんだー。いいなー、すごくキレイ。じゃあ、髪の色が薄いのもそのせいなんだね」
「うん、たぶん」
いつのまにか、琉生の席の周囲にあちらこちらから女生徒が参集し始めていた。彼の隣の席にいる颯太も自然に彼女らに取り囲まれ、でも会話の中心はあくまで琉生なので、輪の中でぽつんと一人で取り残される格好になっていた。
自分には一瞥もくれず夢中で琉生に話しかける女生徒らを横目で見ながら、颯太は再びチラリと琉生に目線を流した。
にこやかに女生徒たちと談笑する琉生。その明るい笑顔からは、昨日の、あの妖艶な雰囲気など微塵も感じられない。そこに座っているのは、幾分緊張しながらも明るく楽しく周囲となじんでいこうと努力する、見栄えはいいが中身はごく普通の男子生徒にしか見えなかった。
――昨日のアレは、何かの間違いだったんだろうか……。
だいたい、女子ならまだしも……と言ってももちろん許されることではないけれど……男子の尻穴にローターを突っ込んで、もだえる様を眺めて喜ぶ中年男なんてどっかの三流エロビデオみたいな設定が現実にあるわけがない。というか、もし本当だったら、あんな醜態を見られた相手が転校先のクラスにいたわけだから、当の本人がこんなに平静でいられるわけがない。少なくとも、焦るとか、目をそらすとかくらいはしてくるはず。こんなに普通の態度でいられるってことは、やっぱり昨日のアレは、黒沢くんとは別の人だったんだ。あれはきっと、たまたま彼によく似た容貌の、やっぱり女の子だったに違いない。
颯太が自分なりに落としどころを見つけて一人納得していると、予鈴がなった。次は実験室に移動するので、周囲を取り囲んでいた女子たちは三々五々自分の席に戻り、道具を抱えて教室を出ていった。
ぼうっとして行動が遅れた颯太が、教室が空になりかけてから慌てて科学の教科書を探していると、隣の席に座る琉生が机の中から取り出した教科書を、机上でトンと音を立ててそろえた。
「……颯太、っていうんだ」
いきなり話しかけられてドキリとしたが、さきほど自分なりに落としどころを見つけていたせいかすぐに反応することができた。
「え? ……う、うん、そうだよ」
「知らなかった。真白、颯太。いい名前だね」
「あ、……ありが」
「いかにも人畜無害そうな名前で」
続けようとした言葉を呑みこんだ颯太を底光りする目で眺めやりながら、琉生は唇の端で薄く笑ったようだった。
「とても人殺しの息子とは思えないよ」
その言葉を聞いた瞬間、昨日の光景が怒涛のように脳内に展開し始め、颯太は思わず息を呑んだ。
「……っと、それ、どういう……」
「言葉通りの意味だけど?」
しれっとそういうと、琉生は立ち上がった。机上の荷物をまとめながら、何気ない調子で言葉を継ぐ。
「そういえばさ、何でさっき、ボクを見てたの?」
「え……、何でって……」
「ローターを入れられてるかどうか確かめてたの?」
「……!」
途端に、雨の中でぐしょぬれになってもだえ喘いでいた琉生の姿が生々しく蘇ってきて、颯太の頬にさっと朱が走った。
琉生はどこか楽しそうにそんな颯太を眺めやってから、クスッと笑って踵を返した。
「今日は入ってないから安心してよ。あ、でも、あいつサディストだから、そうしろって命令されることもあるかも。そうしたらきっとわかるから、楽しみにしててよ」
言い捨てて軽く片手をあげると、琉生は前扉から悠然と教室を出ていった。
誰もいない教室で一人座席に座ったまま、颯太はぼうぜんとその後ろ姿を見送っていた。
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