第5話 終わる世界
タオルケット一枚で目が覚めた。遠くで目覚まし時計の音がする。厳しい残暑も終わりに近づき、クーラーは消すようになったけれど、窓を開けていないと眠れたもんじゃない。
「ああ、頭いたい」
風邪をひいてるわけでもないのに、この頃痛む後頭部に手をやりながら起き上がった。
昔から朝は苦手だ。昔と言っても、私には中学生以前の記憶がないのだけれど。気がついた頃からずっと、朝は起きられない。
眠気の残った足を引きずるようにして洗面所に行き顔を洗う。身支度をしてリビングに向かうと、いつもどおり食卓にはクロワッサンの香ばしい匂いが漂っていた。
「おはよう」台所に声をかけて座り、ハムとレタスを挟んで頬張る。いつもの朝。いつもの、朝……?
頭の中にノイズが走る。俺のいつもの朝はクロワッサンなんかじゃない。俺の朝はインスタントのブラックコーヒー。それだけだ。
頭の中に激しい痛みを覚える。ギュッとつぶった目を開けた。
白い天井、白い壁、隣にはベッドで眠る妹。妹と俺の頭には無数の電極装置が繋がっている。俺は装置から伸びる線を引きちぎるように外し、微動だにしない妹の傍らに立った。
「頭が痛いと言っていたな。感覚はないはずだが……」そう呟きながらも、妹の体を横にし、頭と背中をさする。体の痛みか。前回、妹の意識に潜った時は過去の記憶がないことを訝しんでいた。朝起きることも、どんどん苦手になっていく。
妹は、幼い頃に俺のせいで寝たきりになった。誰もが助からないと思った事故。その事故から、奇跡的に命だけはとりとめた妹。生きる意思を体に宿している妹。今は、俺の作ったシステムで、眠りながらも架空の人生を生きている。
システムの世界では大学生の俺が、現実にはもう三十代に近いだなんて妹が知ったら驚くだろうな。
痩せこけた妹の頬を撫でる。
延命措置を続けていればいつしか医療が追いついて、現実世界に戻ってくるかもしれない。そう期待していた。だがそれももう、十年になる。
妹を引き止めているのは、俺のエゴでしかないのかもしれない。去っていった彼女の言葉を思い出す。
彼女を失っても、それでも、俺は妹に生きていてほしかった。
***
懐かしい姿が現れた。長い白髪、ふっさりと蓄えたひげも白くて長い。小さい頃、よく夢に見ていたお爺さんだ。彼のことを俺はお爺ちゃん先生だなんて呼んでいたっけ。
ふわふわとした夢の世界で、そのお爺さんは力強く告げた。
「彼女に選ばせてあげなさい。今の人生をどうするか、次の人生をどうするか。それは彼女の決めることで、君が口出しすべきではない」
***
立ったまま白昼夢を見ていた。
見下ろすと、さっきと一ミリも変わらない体制で眠る妹がいた。
「最後の最後の決心が昔の夢で決まるだなんて、俺は心底情けない兄ちゃんだな」
自嘲してから用意していた花束を手にとった。
妹の好きだったリンゴが入った可愛らしい花束。それを彼女の胸に抱かせて、俺はゆっくりとシステムの電源を落とした。
脳に与えていた電流が行き先を失い、妹の体に僅かなショックを与えた。一瞬、妹の眼が開き、微笑みながら俺を見た気がした。
この世界に花束を しゅりぐるま @syuriguruma
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