◇2024.10.30◇日記のような手紙◇
10月30日(水)荒地の詩人
明日は持病の受診日。
ついでに言うと明後日はクリニック。
今更だけど二日続けての病院は、どうにも気が重いなぁ。
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わたしは詩(らしきもの)を書いていて、詩を読むことも好きだ。
けれど、恥ずかしいことに文学についての勉強量は圧倒的に足りてない。
ムラがあるので、ポカッと知識が抜け落ちている。
今はネットというものがあるので知りたいことを手軽に検索できる。
わたしのようなモノ知らずにはこれは有難い。
興味のあることを検索していて、そこから繋がって見つけるのは楽しい。
最近は本屋さん巡り、古書店巡りも、ほとんど出来なくなった。コロナ禍から、わたしの行動範囲は随分、狭くなったし、それは健康問題もあいまって、まだ改善されてないから尚更。
そんな時ネットで、ふと〈荒地派の詩人〉について興味をもって検索していた。
〈荒地派の詩人とは、詩誌「荒地」の創刊者である田村隆一、鮎川信夫、中桐雅夫、堀越秀夫、疋田寛吉、三好豊一郎、北村太郎、木原孝一らのこと〉
ふむふむ、浅学菲才ゆえ、名前を知っていても作品に触れたことがなかったので、本を探してみるが、絶版が多かったり、高価で手がでなかったり……。
それでも検索し続けていると、
「吉本隆明の183講演」というデジタルアーカイブ化したものを見つけた。
1960年代から2008年の「芸術言語論」に至るまでの思想家の吉本隆明さんの講演をできるかぎり集めたものらしい。
その中に
「荒地派について」
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a111.html
があって、これがとても興味深かった。
以下、そこから一部を引用させていただく。
《そういう現実の引っかき方、言葉の使い方を長年やってくることは大変なことなわけです。
何が大変か。現実を引っかく度合いに応じて自分自身の内面の崩壊というのを一種犠牲にしなければ、現実を引っかく言葉を持続することができないということがあります。》
ここが、すごく響いたというか、妙に納得?したというか。
現実の引っかき方……かぁ。
何度も読み返したいので、ブックマークした。
自身を削ってはじめて、言葉は生命を持つのかもしれない。
儚くも永遠に……。
残酷な矛盾を孕みながら。
厳しいことだけれど。
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