◇2021.1.1◇年の初めに

2021年1月1日(金)年の初めに

あっという間に新年になり、その一月一日もあと少しで終わろうとしています。


正直、あまりお正月という気分にはなれない新年。


この「手紙」も、お正月らしくないけど、ごめんなさいね。


******


昨夜、大晦日から新年にかけては、息子たちと、この山の家で普通に年越し蕎麦を食べて、テレビの中の除夜の鐘などを聞きながら色々話しておりました。


なんて言いますか、実は息子たち、特に次男のことを心配していたんです。


この子達の父親が亡くなった時、彼らはまだ幼かったので、良くも悪くも父の死というものの実感が持てないようでした。

それに加えて向こうの実家が起こした騒動(「この道を歩いて」第2話(閑話)その後あったこと

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889821085/episodes/1177354054889839952 )もありましたし。


長男でさえも、父の死を悲しむよりも、騒動の印象が強すぎて未だに、そのトラウマの方が大きかったりしています。


そんな息子達にとって、わたしの両親(祖父母)というのは、特にじいちゃんは父親代わりでもありました。

父にとっても母にとっても、幼くして父を失い傷ついた孫たちは不憫で尚更に愛情を注いでくれたのだと思います。


だから、ばあちゃんが亡くなった時も、じいちゃんと息子たちとわたしとで見送り、その悲しみも深いものでした。


それでも、まだじいちゃんがいてくれる。

それが息子たちにとっても、わたしにとっても支えになっていたのだと思う。


みんな今は無事に成人してくれていますが、それでも、それぞれに色々ありましたし、特に次男のことでは大病もあり、心配が絶えなかったのです。


次男が山の家で暮らすようになったのも、そんな事情がありました。

お陰様で山の家での生活が良い方向に働き、次男は今回のじいちゃんの闘病生活でも、それはそれは献身的に寄り添ってくれたのです。


そんな次男、息子たちはみんな、じいちゃんの臨終でも泣きませんでした。

ばあちゃんを亡くした時は泣けていたのだけど、その時にも増して辛いはずなのに……。

悲しみが深すぎると人は泣けなくなる。


そんな次男がやっと、やっと泣いたのは、他の兄弟が寝入った真夜中でした。

山の家のじいちゃんが寝ていた部屋。

トイレに起きたわたしは唸るような泣き声に気が付きました。

そっと部屋を覗くと、ベットに拳を打ちつけるようにして号泣している次男の姿。


わたしはそっとその場を離れました。


あまりに押し込めすぎた悲しみは心を壊してしまうから。

一度泣いただけで、悲しみは癒えるはずもないし、悲しみは哀しみになり深くなってくるけれど。

それでも、泣くことができて良かった。

そう思いました。


******


元日。

お節料理も、これといって作らないまま、コンビニで前もって買い込んできていたものを持ち寄ったりしています。

みんなで馬鹿話しながら(笑)


ダラりんこ主婦代表です。

( • ̀ω•́ )✧


どんなことがあっても人は生きている限り、泣いて笑って、こうして人生を歩いていくのですよね。


今年もよろしくお願いします。

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