味噌汁道は長し
本日のメニューは、王道のトマトベーコンに照りマヨコーン、最後の一枚はレンチンで作ったホワイトソースのシーフードだ。大勢で食事する利点は、色んな味を一度に食べられることである。
こんがりと焼けたチーズの匂いに釣られるように、てきぱきと食器棚から(勝手に)皿を取り出して並べようとする足立兄妹に待ったをかける。
「ストップ。百瀬の食器は今日からこっちだ」
俺が取り出したのは先日、姉の家から借り受けてきた子供用の食器だった。大人のものと比べるとふた回りほど小ぶりで、まるでままごとの食器のようだ。食器だけでなく、フォークやスプーン、小さなカップまで一通り揃っている。
落としても簡単には割れないよう厚手の陶器で作られた食器を一揃い並べてやると、百瀬の瞳がまるで星でも宿ったようにキラキラと輝いた。
「え〜!!これモモの!?モモの!?」
「ああ、前にうちで食べた時、食器がでかくて使いづらそうだったからな。俺の姪っ子が昔使ってたやつを、姉貴のとこから借りて来たんだ」
「まあこれはすごい……なんてすてき……」
「借りもんだからな。割らないように気をつけろよ」
一応同じものがまだ三セットはあるのだが。自分専用の食器セットがよほど嬉しかったのか、百瀬はうっとりと子供用の食器セットを見つめている。一方、その兄の方はなぜか複雑そうな表情を浮かべていた。
「……先輩って、昔から気が利きますよね」
「気が利くって誰が?俺が?」
そんなこと、生まれて初めて言われたのだが。昔から、やれ空気が読めないとか人の心が分からないと言われることはあってもその逆は。
「だってそうでしょ。一、二回飯食っただけの身内でもない子供の食器をわざわざ用意しようだなんて、普通は思いませんよ」
少なくとも俺は、三ヶ月一緒に暮らしてても思いつけませんでした。
そういう後輩の声はなぜか、どことなく不機嫌そうでもあった。
「………………」
突然の後輩の態度の変化に内心で首を傾げつつも、焼きたてのピザを目の前にした百瀬が待ちきれない様子だったので急いで席に着く。
『いただきます』
「はい召し上がれ」
兄妹たちはいつも通りに手を合わせていただきますをすると、さっそくいそいそと手を伸ばす。びよーんと伸びるチーズに、百瀬がキャッキャと嬉しそうに笑った。
「ちーちゃんちーちゃん見てみてー。チーズのびた。ビヨーン」
「おいこらモモ、食べ物で遊ぶな。それに焼きたてだからな。熱ぃから火傷しないように気をつけろよ」
一応、兄らしく注意などしながら後輩もテリマヨコーンを口に運ぶ。そしてカッと目を見開いた。
「なんだこの美味さ……」
「ああ、そりゃチーズだ。俺、ピザのチーズだけはちょっといいやつ買ってるから」
ピザの具は缶詰や冷凍のシーフードミックス、生地は小麦粉を練るだけでソースはケチャップとレンチンホワイトソースなので、自宅で作ると実はピザはめちゃくちゃお安い。代わりに、我が家ではチーズにだけは拘っている。
「前はスーパーで売ってるやつ使ってたんだけど、ちゃんとしたチーズって本当に味が全然違うんだよな」
多分、本当は小麦粉の種類やらなにやら、こだわりぬけば全然違ってくるのだろうが、生憎と俺の素人料理ではそこまで素材の持つスペックを引き出せる技術はない。その点、チーズはすごい。焼いただけで美味い。なんならそのままでも美味い。
「いや……にしたって、チーズだけでこんなに味変わる……?これ、明らかにその辺で金払って食うやつより美味いでしょ……先輩、ひょっとしなくても今日のピザってお安いですよね?」
「うん。チーズを除けば今日一番高い食材は鶏肉だな。百グラムあたり七十九円」
「てことは二百グラムだとしても約百六十円……」
テリマヨコーンのピザは一枚しか焼いてないので、大体そんなものである。後輩は恐る恐る聞いてきた。
「ちなみに、本日の一番高いチーズはおいくら万円なんでしょう……?」
「一袋二百グラムで八百円」
「つまり、このピザって一枚あたり約三百円……?」
後輩はなぜかひどくショックを受けた顔で愕然と呻いた。
外食でもないのに一食千円というのは(俺にしては)かなり高めだが、俺は別に吝嗇家というわけではない。余程高額ではない限り美味い方を買う。
「うちの駅前にチーズ専門店てのがあってさ。出来た当初はこんなところにチーズ専門店なんてシャレオツな店出してもどーせすぐ潰れんだろ、とか思ってたんだけど、試しに買ってみたら本当に美味いんだわ。こだわりの店って感じの割に値段もそんなに高くないし、以来ちょくちょく買ってる」
「へぇ〜、そんな店あったんだ。今度行ってみよっかな……」
「ちーちゃん、モモも。モモも行きたい!」
「うん。じゃあ今度の休みに一緒に行くか」
兄の言葉に、百瀬の瞳が期待に輝いた。
「そしたら今度はうちでもピザ作れる!?」
「いやぁ〜……さすがに兄ちゃんにはピザはちょっと」
決まり悪そうにそっと目をそらす兄妹たちの会話に、いやいやと俺が口を挟んだ。
「そんなことない。オーブントースターがあればいけるぞ。最近じゃ、スーパーとかで売ってるピザも充分美味いし」
「でもそういうのってきっとお高いんでしょう?」
「直径二十センチくらいあって一枚二百円」
「やっす!?なんでそんなに安いの!?今まで俺が食ってきたピザとどうしてそんなに物価が違うの!?」
「俺に言われても」
そもそも、自炊と出前を同じレベルで考えるのが間違っている。
「スーパーで売ってるのは具が少なめなんだけど、生地はかなりしっかりしてて美味いからさ。ピザ生地買うつもりで、ウインナーとかピーマンとか好きな具を自分で買ってチーズ乗せて焼けば家で食べるには充分だと思うぞ。半分に切ればトースターにも入るし」
缶詰やらベーコンなら生ゴミ処理もそこまで面倒ではないし、切った具を乗せるだけなら百瀬でもできる。そう言うと、幼子は嬉しそうに笑った。
「やったー!また今後ピザだ!とおるくん、スープおかわり」
「おう。今日は他のおかず作ってないからな。スープに野菜をてんこ盛り入れたからいっぱい食え」
「うん!このスープ、すごーくおいしいね!」
ピザの方にもピーマンやらキノコやらをのせているが、それだけでは足りないので、今日の汁物は野菜たっぷりのコンソメスープにした。微塵切りにした玉ねぎや人参、余ったピザの具材をまとめて炒めてさっと煮ただけのスープだが、色んな野菜を入れたのでほんのりと優しい出汁がでている。味付けはシンプルに塩だけで。ピザがこってり濃い目なので、このくらいがちょうどいい。
元気いっぱいにおかわり申請をする妹に、兄の方はなぜか仏頂面だ。
「……モモ、前に俺が作った味噌汁は全然飲まなかったくせに」
「だってちーちゃんの作るやつ、変な色できもちわるかった」
不機嫌そうな兄に、百瀬がきっぱりと告げる。幼児は時に残酷だ。
「味噌汁が気持ち悪いって……お前、一体何作ったんだよ」
不味いとかならともかく、食べ物に対して『気持ち悪い』という表現はあまり聞かない。
だが後輩の答えは、俺のそんな貧相な想像を遥かにぶっちぎる斜め奥底のものだった。
「……この間、紫キャベツを使って味噌汁作ったらなんか名状し難き色になっちゃって」
「どうして?」
思わず聞いた。たとえそれが、意味のないことだとわかっていても。どうしても、聞かずにはいられなかった。
だって紫キャベツって。キャベツならともかく紫って。あり得そうで、料理を作る人間ならまず絶対に選ばないであろう食材のチョイスがすごい。紫色で汁物に使っていいのは茄子までだ。
「……スーパーに行ったら、たまたま半額になってたんですよ。それでつい」
「ああー……あるある」
まさにあるあるだ。一体どこの層に需要があるのかは知らないが、確かにスーパーでは紫キャベツは売っている。そして、普通のキャベツに比べるとやはり購入者が少ないのか、賞味期限間近になったそれは、よく見切り品コーナーで並んでいたりするのだ。
でも買わないけどな、俺は。
使いこなせないし。
「すごーいきもちわるい色だったんだよ、ちーちゃんの作ったおみそ汁。毒みたいだった」
「俺だってあんな色になるとは思ってなかったし……!そもそも、元はといえば先輩が悪いんですよ!」
「は?なんで俺?」
突然の濡れ衣にびっくりする。しかし後輩は至極当然そうに、
「だって先輩、味噌汁はどんな野菜入れても絶対に失敗しないから、素人の俺が作っても百パー美味しくできるって断言してたじゃないっすか。だからそれを信じて挑戦したのに、いざ蓋を開ければ出来上がったのは毒の沼みたいな色になるし、せっかく作ったのにモモは気持ち悪がって嫌がるし……とんだ嘘に騙されましたよ」
「いや、そこまで強い言葉は使ってねぇし」
後輩の言葉を否定しながら、もしやここ最近、こいつの機嫌が悪かった理由はこれだったのかだろうか、とふと思った。
だとしたらあまりにもお門違いの八つ当たりだ。
しかも、罪状を聞いたところでやはり俺に非があるとは思えない。
「俺の料理が失敗したのもモモに気持ち悪がられたりしたのも、元を正せば全て先輩のせいです。なので、罪滅ぼしをしてください」
聞いて納得どころか理解すらできない責任を押し付けてきた後輩は、やはりよくわからない理屈で堂々と言った。
「俺が兄としての尊厳を取り戻すため、そして俺たち兄妹の健康的な食生活のため、俺に味噌汁の作り方を教えてください。今後ちょくちょく暇作って習いに来ますから」
「家庭科で調理実習を今からやり直してこいよ。後輩」
調理実習は確か小学生からあるので、義務教育で習えるはずだ。ついでに倫理感の授業も受けさせたいところだが、こちらは高校生からなので義務教育では受けられない。
「つーか、作るなら俺の家じゃなく自分の家で作ればいいじゃん」
「だって、先輩の家で作業した方が洗い物とかゴミの片付けとかしないで済むし」
「俺がいつまでも怒らないと思ったら大間違いだぞお前」
そろそろこいつをぶん殴っても許される気がしてきた。
「よっし、見てろよモモ。兄ちゃん、先輩に習って絶対に美味しい味噌汁作れるようになってやるからな」
「ちーちゃんだけずるい!モモも一緒にやる!」
「お、そうだな。じゃあ、せっかくだし二人で一緒に習いにくるか。新しく替えのエプロンも買っておこうな」
「自由すぎるだろお前ら」
なんとなく、予想していたことではあったが。
これ以降、足立兄妹たちは料理を習うという名目で本当にちょくちょくと我が家を訪れるようになった。
自由な兄妹である。
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