ピザ作りと人生相談
「コミュ力が高くなる秘訣ですか?そうですね。強いて言うなら相手を人間だと思わないことじゃないですかね」
「…………………」
俺の真面目な質問に対し、後輩はちまちまとピーマンを刻みながらごく最低なことを言った。リビングのテーブルでは、今回もマイエプロンを持参してきた百瀬がクッキングシートの上に乗せたピザ生地と必死に格闘している。
「おい百瀬。ピザの生地はなるべくまんまるになるように伸ばすんだぞ。そうやって同じ方にばっか伸ばしていると、形が変になるぞ」
「いいの!わかってるから、とおるくんは黙ってて!ちゃんと一人でできるから!」
俺のエプロンを借りた兄がせっせとピザの具材を用意する一方で、妹の方は一生懸命ピザ生地を伸ばしている。必死すぎて、生地の形がバランスの悪い能力グラフみたいになっているが。
そのままだと焼きにくいので、生地を丸く伸ばせるようそれとなく助言をしようとしたらすげなく怒られた。子供から理不尽に怒られるのは慣れているので、今更傷ついたりはしない。
ピザというのは、たまに無性に食べたくなるものである。
しかし高い。出前を取ったとしても一枚で二千円弱。俺の場合、一枚では足りないので最低でも二枚取ることになる。
その上、値段だけでなくカロリーも高い。炭水化物にチーズを乗せて焼いているのだから、ある意味当然かもしれないが。しかし出前のピザはチーズだけでなく、生地の部分もかなりどっしりとくる。十代の頃ならまだしも、アラサーとなった俺の胃には少々きつい。
なので、俺はピザを食べたくなった時は自分で作ることにしていた。ピザを作る、というとなんとなく難しそうに感じるかもしれないが、要はピザ生地を練って好きな具材を乗せて焼くだけである。発酵と焼き時間を除けば作業時間としては五分くらいだ。ホットケーキを作るのと大して手間は変わらない。
ピザ生地には練った生地をすぐ伸ばして焼く無発酵タイプと、パンのようにイースト菌を混ぜて発酵させてから焼く発酵タイプがあるが、我が家で作るのはもっぱら発酵タイプだ。薄力粉と強力粉、オリーブオイルに砂糖と塩少々、そして予備発酵させたドライイーストを加えた生地を五分ほど練った後でタッパーに入れて冷蔵庫で寝かし、じっくりと低温発酵させる。オーバーナイトと呼ばれる発酵法だ。
イースト菌が活動するのは三十〜四十度くらいが理想だが、それより低くても別に発酵しないわけじゃない。むしろ、冷蔵庫のように一定の温度が保たれている環境の方が『何時間後に焼けるか』をきっちりコントロールできるため便利なのである。
なので、ピザを食べると決めた日はいつもより少しだけ早起きをして生地を仕込む。そして冷蔵庫に入れてから出社するのだ。
今日は朝からピザを焼くと決めていたので、きっかり定時であがってきた。妹の百瀬のお迎えがある後輩もいつも通り定時であがり、今はこうして我が家にて足立兄妹と夕飯の支度をしているのである。
生地の方は百瀬に任せて(本人がやりたがったし、最初からそうなると思っていた)野郎二人でキッチンに並び夕飯作りをしているわけだが、並んで作業をしていると何も喋らずにいるというのも気詰まりだ。そんなわけで軽い雑談のつもりで質問をしたら、返ってきたのが先ほどの答えだったというわけである。
「……想像の五倍くらい発言がゴミだなお前」
「真面目に答えたのにひでぇ。ところで先輩。ピーマン切り終わったけど、次何すればいいの?」
「お、もう出来たか。つーかお前、意外と普通に包丁使えたんだな」
「すごい馬鹿にされてるのは分かるけど、流石の俺でもこのくらいはできる」
せっかく褒めてやったというのに、後輩はなぜか憮然と返してきた。
「んじゃ、次は冷蔵庫に鶏のモモ肉あるからそれで照り焼き作ってくれ」
「て、照り焼き!?無理無理!俺にそんな難しい料理できるわけないじゃん!」
「そう身構えんなって。んな慌てなくても、難しいことなんか何もねーよ。お前じゃなくて百瀬でも出来る。タレと一緒にレンチンするだけだからな」
「レンチン!?照り焼きってレンチンで作れんの!?」
「できるできる」
俺は使い捨て用の薄手のビニール袋と鶏肉を後輩に渡した。
「まず鶏肉にフォークぶっ刺してから袋の中に入れて、そこに醤油味醂砂糖入れてから少し揉んどけ」
「揉むの?」
「揉まなくてつけ置きだけでもいいけど、今日は時間がないから」
後輩はほうほうと頷いて大人しく肉を揉んでいたが、ふとあることに気づいたのか無心で集中し始めた。俺にも少し覚えがある。鶏モモというのはようするに柔らかい肉なので、揉んでいると男は幸せな気分になれるのだ。
つまり男は馬鹿だという話である。
「終わったら更に乗せてフォークで穴開けて空気孔作ったクッキングシートをかぶせて、六百wで八分レンジにかければ完成だ。簡単だろ?」
「簡単だけど……照り『焼き』?」
疑わしげに聞いてくる。照り焼きのくせに焼いてないじゃないか、と言いたいのだろう。
「厳密には焼いてないけど、似たような味になる。それに今回はピザに乗せるからな。メイラード反応はそこで出るから心配ない」
「メイラード反応って?」
きょとんと後輩が聞いてくる。きょとん。成人すぎた男でこの効果音が許されるのなんて、俺の知る限りこの後輩ぐらいなものだ。
「簡単にいうと、食材を加熱するときにできる焦げのことだよ。タンパク質とか炭水化物に含まれるアミノ酸と等が加熱によって結びついて起こる反応だ。俺たちが『香ばしい』と感じるおいしさってのは、これがあるかなにかにかかってる」
なので、基本的に肉は焼いた方が美味いと思っている。最近はなんでもレンチンだけで作るレシピが流行っているが、レンチンだとメイラード反応を起こしづらい。
料理における美味しさというのは、要するに乗算バフだ。アミノ酸とイノシン酸を組み合わせると旨味が増すように、メイラード反応があった方が人間は『美味しい』と感じるように出来ている。その過程を一つ足すだけで飯が旨くなるならしめたものだ。もちろん、世の中には美味い飯より早くて楽な方を選ぶ人間もいるので、俺がそう思うというだけだが。
「へぇ〜……」
詳しく説明するのが面倒なので、ものすごくざっくり伝えると、後輩は感心したような顔になった。快活な笑顔で言ってくる。
「先輩って、なんか料理の話してる時だけ知能指数が高そうに見えますね」
「ぶっ飛ばすぞテメェ」
聞かれたから教えてやったのに、普通に失礼なやつだった。
「こっわ。先輩、肉ってこれで終わりでいいの?」
「ああ、粗熱取れたらスライスしといてくれ。ちょっと半ナマでも気にするな。どうせ後でオーブンで焼くから」
「了解。それとさっきの話だけど──」
「さっきの話ってどれだ?」
「コミュ力の話」
「あ、そこまで戻るのか」
てっきり、メイラード反応についてもっと詳しく聞きたいのかと思った。
「なんで急にあんなこと聞いてきたんすか?先輩ってあんまそういうの気にするタイプじゃないじゃん」
「あー。まあ確かにそうなんだけど……」
実際、鈍いかどうかで言えば俺は鈍いタイプなんだと思う。後輩や姉に言われるまでもなく。だけど。
「お前さ、部署が移動になったのに同じ課にいる俺よりもずっと課長のことよく分かってただろ?今日のことだけじゃなくさ、考えてみるとお前って入社した頃から誰とでもうまくやれる奴だったなーって。そういうのが凄えって思ったから聞いてみただけ」
たとえば今日のことだって、後輩があのタイミングで仲裁してくれなければもっと面倒なことになっていただろう。下手するとそのせいで、定時を逃していたかもしれない。だがもしまた同じようなことがあったとしても、今の自分では上手く躱せるとは思えない。
そう告げると、後輩は納得の表情を浮かべた。
「あー……なるほど。そういうことね。俺だって別に課長のことなんざ見ちゃいませんけど……どっちにしろ、俺のやり方は先輩に向いてないと思いますよ。そもそも先輩って、なんていうか人類向いてないじゃないですか」
「人類向いてない」
軽い気持ちで対人スキルについて相談しようとしたら、予想以上に酷い言葉が返ってきた。
「だって先輩、自分のことがちゃんと好きでしょ。自分の価値を自分で認められる人ってのは、軸がしっかりしてるから周囲の空言に流されないんすよ。でも世の中にはそうじゃない人が結構いて、先輩みたいなのって割と希少種なの。自己肯定感を持てない人は、自分を信じられない代わりに、他者からの賛美でそれを求めようとする。俺が誰とでも仲良いように見えるなら、それは単に誰に対しても耳触りのいい事しか言ってないからですよ。中身のないお世辞だろうと、当たり障りのないこと言ってれば人とぶつからなくて済むし」
「……だから『相手を人間と思わない』か?」
尋ねると、後輩は屈託無く笑った。
「誰彼構わず真面目に相手するのって疲れるじゃん。俺のリソースは限られてるし、できればそれはなるべく多くをモモに使いたいと思ってるし。そうなると、あんま仲良くない人間の機嫌にまで気を配るのは面倒なんですよ。だったら、嘘でも心にもないことをテキトーに言って、相手との衝突を避けた方が楽」
「じゃあ今は?」
「えっ」
「今喋ってるそれも、心にもない嘘なのか?」
俺が尋ねると、後輩は目をぱちくりとさせた後で急にヘッと笑った。
「先輩知ってますか?嘘つきってのは二種類いるんですよ。意味もない嘘をつく愉快犯タイプと、意味のある嘘しかつかない合理的タイプ。ちなみに俺は後者。だから意味もない嘘はつかねーんです」
つまりそれは、どういうことかというと。
「先輩みたいな、お世辞どころか皮肉にすら気づかないような鈍感相手にわざわざ嘘つくなんて、面倒くさくてやってらんねー。心配しなくても、今喋ってんのは全部本音だよ」
「そっか。ならよかった」
後輩の答えにほっとする。よかったと言いつつ、自分でも何がいいのかはよく分からなかったが。
「ちーちゃん、とおるくん。ピザのばせたよ。これでいい?」
ちょうど具材を全て切り終わった頃、得意満面の笑みを浮かべた百瀬が元気よくキッチンにやってきた。
そして同じタイミングで余熱していたオーブンがチーンと鳴った。
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