後輩と缶コーヒー
後輩は開口一番に言った。
「馬鹿ですかアンタは?」
まだ昼休みにはやや早すぎるこの時間帯、休憩室にはひとけがなかった。それをいいことに、後輩が普段あまり会社では見せることのないチンピラっぽい表情を浮かべる。
「お前、本当に愛想がいい時とそうじゃない時の差がえげつないよな」
「俺のこたーどうでもいいんですよ。何あれ?なんであんなオッサンの見え見えの嫉妬にに捕まってんの。馬鹿なのアンタ」
後輩からタメ語で馬鹿と怒られた。
後輩は如何にも不機嫌そうにガシガシと、俺から見れば寝癖と大差ない、でも社内の女性陣には癖っ毛でかわいいと評判の、色の明るい猫っ毛を乱暴に掻く。
「うちの会社は年功序列だし、ああいうお荷物みたいなオッサンでも上司である以上、従わないといけないのは分かるけど、いくらなんでも要領悪すぎ。あのオッサンもオッサンだっつーの。自業自得のくせに先輩に因縁つけてんじゃねぇよ。仕事干されたのなんて、あの人がサボってっからじゃん。S社の担当さんからも外してくれって要望があったからじゃん」
どうせ担当は自分になるって思い込んでたから、会議だって面倒でサボったんでしょ、と憎々しげに毒づく後輩に驚いた。
「……あの日の課長、病欠じゃなかったのか」
尋ねると、後輩はあからさまにガラの悪い態度で「はァ!?」と顔をしかめた。
「病欠なワケねーじゃん!あの人、あの会議決まった時からトイレとか休憩室で会っちゃー、会議なんで面倒だサボりてぇって言いまくってたんだぜ?そんなやる気ない奴が、よりによって会議の当日に都合よく病気になるなんてあり得るわけないでしょーが。大体、あのオッサンは普段から用もないのにサボりまくってんじゃないっすか。打ち合わせで外出行っちゃ直帰だし、具合悪いって言っちゃ仕事中に病院にいくし。ただ病院に行くならともかく通院てなんだよ。通院が必要ならちゃんと休みとっていけよ。仕事中に行くなよ」
ケッと鼻を鳴らす表情は本当に不機嫌そうで、もしちらりとでも社内でこんな態度を見せたら、この後輩を可愛がっている女性陣の幻想がガラガラと音を立てて崩れてしまいそうだ。
「あのオッサンは年齢的にこれ以上出世もできない窓際コース真っしぐらで、対する部長は課長より年下だし、あの人はかなりキレ者だからいつまでも使えない年寄りに幅利かせるより、優秀な若手育てて自分の周りを固めていきたいって思ってんでしょ。今回、先輩に大手案件振ったのもそのせい。ここで実績つけば先輩にもハクつくし、そうすればもっと大きな案件を任せられるようになりますからね」
「え?俺、優秀だったのか?」
全く自覚がないというより、そんなことは初めて言われたのだが。尋ねると、手持ち無沙汰になったのか後輩は自販機で缶コーヒーを二本買い、一本をこちらに投げてきた。無糖のカフェオレ。俺がいつも飲んでいるやつだ。自分はブラック無糖のプルタブを空けて、口をつけながら、
「んー……優秀とはちと違うかもしれないけど、少なくとも先輩真面目じゃないですか。生真面目というか馬鹿真面目というか。期限を守るのは当たり前として、その中で無駄無理な部分があったら、無理やりなんとかしようとせずに根本原因まで掘り下げて解体していくでしょ。そういう丁寧な仕事の姿勢、あの部長は意外と見てるんですよ」
「お、おう。そう正面切って言われるのは照れ臭いが……優秀な若手っていうなら、俺よりもむしろお前の方じゃねぇか?」
ありがたく受け取ったコーヒーに口をつけると、話しているうちにだんだん機嫌が戻ってきたのか、後輩はきょとんと意外そうに自分を指差した。
「俺ぇ?いや、俺は部長の欲しがるタイプじゃないっすよ。優秀なだけでやる気ないし」
後輩はなんのてらいもなく自分を優秀と言い切った。
「俺、先輩と違って仕事にやりがいとか求めてないから。定時に帰れて土日祝日休めて有給を好きに使えばそれで十分。そりゃ給料をもらう以上、金額分の仕事はしますけど。いつも100パーの力で奮闘するより、会社では60パーくらい力をセーブしてその程度しか仕事できない奴って思われてる方が楽」
「……お前、そんなタイプだったっけ?」
俺の記憶している後輩は、確かにさほど積極的に仕事をするタイプではないが、任された仕事には誠意を持って取り組んでいたし、きちんと結果を出していたように思う。
そう言うと、後輩は屈託なく笑った。
「そりゃ、先輩と組んでた頃の俺でしょ。あの頃はまだ新入社員だったし、一人でしたから。多少残業しても気にならなかったし、帰りが遅くなったら呑んで帰るのも結構楽しかったけど。今の俺にはモモがいるから」
その言葉に、俺はハッとなった。
「モモが待ってるなら残業なんかしてないですぐ帰りたいと思うし、会社の連中と飲むくらいならモモと二人で夕飯を食べたいって思うんすよ。ま、酒飲むの自体は嫌いじゃないから、たまーに会社の飲み会とかがあるのは気分転換にもなって楽しいですけど」
「……なるほど」
それは、俺にはまだない考えだ。
理解はできるけど、そこまで優先して大切にしたいと思うものが、俺の中にはまだない。
姉のところを手伝っていた時は仕事を早めに片付けて帰っていたものだが、それでもあの四つ子は、可愛いとは思っていても実の娘というわけではないのでそこまでの思いはなかった。
「まあそういう事情もあるから、今の課長は先輩のことを目の敵にしてるんすよ。自分と仲の悪い部長のお気に入りだし。それでなくとも、もともとアンタは課長に嫌われてるんだから、今度から少しは警戒した方がいいっすよ」
「俺、課長に嫌われてたのか!?」
「そこから気づいてなかったの!?」
後輩の突然のカミングアウトにびっくりして尋ねたら、それ以上に本人に驚かれた。
「え……嘘だろ……?あんなあからさまにイビられておいて、それでも悪意に気づかない人とかいる?先輩、俺がいた頃からもよく課長に呼び出し食らって、意味ないことでネチネチと絡まれたりしてたじゃん……あれなんだと思ってたんだよ……」
「難儀な人だなとは思ってた」
確かに急ぎの案件とかややこしいトラブルを抱えているときに限って、どうしてこんな状態になるまで放っておいた今まで何してたんだと、特に意味のない問答を受けるなぁとは思っていたが、まさかあれが嫌がらせだとは思わなかった。
しかしそう言われて振り返ってみるとなるほど、確かに納得しかない。
そうか……俺、課長に嫌われてたのか……。
「マジかよ……よほどの馬鹿か鈍感か間抜けかお人好しでもない限り、あの嫌味に気づかないなんてあり得ねえだろ……」
「選択肢のうち3/4が悪口なのはどうかと思うぞ」
いや、お人好しというのも場合によっては褒め言葉じゃない可能性があるので、そうなると全部悪口になる。
「……あー、じゃあ、その、俺……余計でしたかね?」
「ん?」
入社六年目にして知った驚愕事実に今更ながら密かに驚いていると、後輩がなにやらばつが悪そうに言ってきた。
「先輩が気づいてなかったのに、課長に嫌われてるとか余計なこと言っちゃって。気にしてなかった人に、わざわざ嫌われてるとかいうのって、すげぇ大きなお世話ですよね……」
項垂れてぼやく後輩は、心なしか珍しくしょんぼりしている。
まあ、確かに。
たとえ本当に嫌われているからといって、わざわざ他人の悪意を張本人に伝えるのは大きなお世話というものだろう。実際、俺も後輩以外の奴にそう言われたら不快になったかもしれない。
けど、今回は不思議とそんな嫌な気分にはならなかった。
俺自身、気づいてなかったとはいえ嫌われてると言われて素直に納得できる程度には自覚があったせいかもしれいないし、もともと俺としても課長が大して好きじゃなかったせいかもしれないし。あるいは、後輩の言う通り俺が鈍感なせいもあるかもしれないが。
なので俺は首を振った。
「いや、助かったわ。嫌われてるのは気づいてなかったにしろ、俺も課長のこと難儀な人だと思ってたからな」
これは掛け値なく本当だ。多分、俺よりずっと優秀で聡いこの後輩からすれば、課長の悪意は見え見えで見るに耐えかねるもので、だからこそわざわざ用もないのに助け舟を出しにきてくれたんだろう。
「それにお前も、俺に怒ってたのにそれを我慢して仲裁に来てくれたんだろ。そこまでしてくれる相手に文句言うほど、俺も器が小さくねぇよ」
落ち込む後輩を慰めるつもりで告げると、途端に相手は怪訝そうな顔になった。
「……待ったストップ。俺が怒ってたって何?」
「ん?なんかお前、俺に対して不機嫌だったろ最近。理由は知らんけど」
「……質問を変えます。なんであれだけあからさまな課長の悪意にすら気づかないような鈍感な先輩が、よりによって俺の機嫌なんかに気づくんですか?」
「え、そりゃ気づくだろうよ。お前と課長じゃ全然違うじゃん」
もともと興味のない人間に好かれようが嫌われようが、正直どうでもいい。好意がゼロでもマイナスでも、関心のない相手なら俺にとっては変わりない。でもプラスだった相手の行為が突然マイナスになったりしたら、いくら俺でも多少は傷つく。
後輩は何やら苦悩するように両手で顔面を覆っていたが、やがて地獄から響くような声でぼそりと呻いた。
「なぜその勘の良さを普段の対人関係で見せない……」
「不機嫌なのに気づいただけで、別に何に怒ってるかまで気づいたわけじゃねぇし。だから詫びっていうのも違うんだろうけど、よかったらお前、百瀬を連れて今日うちに夕飯を食べに来ないか?久しぶりにピザ焼こうと思って、朝から生地仕込んできたんだ」
これは本当。今日のこととは関係なく、ピザを焼こうと思っていた。ついでに足立兄妹を誘おうとは思っていたので、余分に粉を仕込んであるが。
一人前も三人前も作る手間は変わらない。
さすがに、十人前ともなれば少し大変だけど。
俺の誘いに後輩はしばらくぬぐぐと呻いていたが、ピザの誘惑には勝てなかったのか。
「……。……!……行きます!」
まるで一世一代の告白でもするかのように、ぐっとこちらの手を硬く握りしめ悔しげに断言してきたが、野郎に手を握られて喜ぶ趣味はなかったので、俺はその手をぺいっと払いのけた。
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