ocean

 ただ、触れたかった。

 細く柔らかそうな腕に、軽やかに動く足に、美しい笑みを絶やさない顔に、その白い肌に、触れたかった。夏の日差しは彼女の肌を燦々と照らし、なおさら美しく彼女を演出する。真っ白な麦わら帽を被り、彼女はしゃがみ込む。

 そっと砂に触れる。あぁ、そうか。砂の城を作るのか。

 彼女はゆっくり、着実に、彼女だけの帝国を築いていく。ずいぶん小さなお城だけれど。


 僕は彼女に触れようとする。だけど、届かない。彼女はふっと遠くなる。せめてこっちを向いてほしいのに、彼女は城に夢中だった。


 手を伸ばす。届かない。遠くなる。


 手を伸ばす。届かない。遠くなる。


 ひたすら繰り返しても、彼女は僕に気付かなかった。目の前の城には、彼女から触れているのに。笑顔を向けているのに。僕はすごく寂しくなった。こんなに近くにいるのに、届かないなんて。ふと、彼女は最高の笑顔を見せた。──できたのだ。彼女の城が。僕は余計に寂しくなった。


 あぁ──小さな城のお姫様、何故そんなに素敵な笑顔を見せるんだ。

 届かない。彼女が遠い。遠くなる。


 誰かを呼びに行ったのだろうか? 彼女は僕からどんどん離れていく。彼女のワンピースの裾が、ふわりと揺れた。

 残されたのは城と僕。彼女の笑みを独り占めした城と、寂しい僕。悔しくて、悲しくて、考えた。こいつが居なかったら、僕に笑いかけてくれたはずだ。彼女に触れることができるはずだ。

 息を飲み込む。僕は体をできるだけ伸ばした。グシャリ、と崩れる音は、僕の声にかき消された。



 * * *



 彼女が戻ってきた。目を輝かせて、誰かの手を引っ張って、駆ける。


──見て。気付いて。僕に、笑って。触れさせて。

 そこにはもう、城はないから。彼女は僕に笑いかけるんだ。あの優しい笑みで、笑ってくれる。


「……あ」


そこにはもう、城はないから。


「波で崩れちゃったみたいだね」

「……うん」


僕を見てくれるでしょう? 

そうしたら、君に優しく触れるから。


「ほら、泣かないの。また作ればいいでしょ?」

「──うん……」


 笑って──ない……? あ、あれ。おかしいな。こんなの違う。違うよ。

 僕はただ触れたかっただけなんだ。ねぇ、僕を見てよ。彼女は両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ。触れられるほど近い。でも僕は、彼女に触れることができなかった。壊れてしまうと、思ったから。ただ、彼女の足元を行ったり来たりするだけ。僕の声だけが辺りに寂しげに響いた。


──そんな顔、させるつもりじゃなかった。


それだけは、分かってほしいんだ──。

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