なないろ

 絵本で見た『虹』は、とても大きくて、とても鮮やかで。何人もの子供達を乗せた、長い長い滑り台でした。外の世界を知らない私にとって、それはただ一つの真実でした。



 * * *



 病弱な私が初めて外で遊んだのは、七歳の時。とても小さな公園でした。それでも、私にとっては広い広い世界で、何もかもがキラキラして見えたのを覚えています。母にしがみついていた私は、そっと世界に踏み出しました。


「何で遊びたい? ブランコも、お砂場も、ジャングルジムもあるわよ。シーソーもある。滑り台も」


──滑り台。

 その言葉に私はドキリとしました。唾を飲み込み、言います。


「……私、虹で滑りたい」


 興奮のあまりに、自然と声が大きくなります。私は一瞬にして注目のまとになりました。何故公園にいる人たちが私を凝視してくるのかわからず、私は母を見つめます。母は目を大きくさせ、私を見ていました。しまいには──周りにいた保護者達が小さく笑いだしました。


「虹だって、ふふ」

「かわいいじゃない。子供らしくて」

「クスクス」


 言葉たちが、母をみるみる赤く染めます。内気な母ですから、きっと注目されていたのが恥ずかしかったのでしょう。母は保護者達に愛想笑いを向けると、私の手を取り、逃げるように砂場へ向かいました。

 その砂場は、丸い形をした可愛らしい砂場でした。私はその縁に座りました。それに合わせて母も隣に座ります。


「お母さん、何でみんな笑ってたの?」

「──ごめんね、麻衣ちゃん。虹はね、触れないし、滑ったりもできないの。ご病気で、ちゃんと教えてあげれなくてごめんね。ままのせいだね」


 私は、母が何を言ってるのかいまいち理解できませんでした。でも──『虹』が滑り台でもなんでも無いことは、痛いぐらいわかりました。私は悲しくなって、俯きます。母の優しい手が私を撫でました。


「……ここで遊びましょう? ね? まま、おうちからシャベルとってくるね。いい子で待っててね」


 母は笑顔を作ると、早歩きで家に向かいます。すぐ近くですから、きっとすぐ戻るだろうと思いました。私は母が戻るまでの間、考え込んでいました。


──綺麗なのかな? 触れないなら、どうすれば見れるんだろう? そもそも……本当にあるのかな? 


 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。

 考えれば考えるほど、悲しくなってきます。だんだん不安になっていきます。虹を見てみたくてしかたありません。でも、絵本で見た虹は、雨の後の晴れ空にあらわれていました。ここ最近は晴天が続き、雨が降る気配もありません。私は、深いため息を吐きました。それと同時に──声が降ってきます。


「君……虹が見たいの?」

「!?」


 知らない男の子でした。私より少し年上ぐらいの、髪の短い男の子です。男の子は、私が見上げるとにっこり笑いました。人見知りな私は、思わず後退ります。でも──その男の子の次の言葉に、私は動きを止めました。


「オレ──虹の作り方知ってるよ」



 * * *



 こっちに来てみて、と言われ、連れてこられたのはただの水道でした。私は納得できずに、男の子を見ます。


「本当に作れるの?」


 私の言葉に、その男の子はへらへらと笑っていました。


「いいから見てて!」


 男の子は、水が出るであろう場所に指をあてがいます。わけもわからずその様子を眺めていると、その男の子は微笑みました。


「いくよ!」


 言うと同時に、男の子は蛇口をひねりました。勢いよく水が吹き出てきます。


 水。水。水。


 シャワーのように、雨のように、地面に降り注ぎました。


「濡れちゃうよっ?」

「できた!」


 男の子は私の言葉を無視して叫びました。空いているほうの手で彼は何かを指差します。私は恐る恐るその先を見てみました。そこにあったのは、大量の水と──


「うわぁっ……!」


 七色の光。キラキラと光輝いて。絵本でしか見ることの無かったものが、今──こんなにも近くに。

 ずっと憧れていたそれは、太陽の光を浴びて輝いていました。私は夢中でその光に手を伸ばしました。とても冷たくて、思わず手を引っ込めます。男の子はその様子をみて、大きな声で笑いました。


「ね? できたでしょ?」



 * * *



 絵本で見た『虹』は、とても大きくて、とても鮮やかで。何人もの子供達を乗せた、長い長い滑り台でした。

 でも、実際に見た虹は──とても小さくて、とても冷たくて。それでも輝いていて、私を笑顔にさせてくれました。名前も知らない、たぶん会うことはないだろうあの男の子。もう何十年も昔のことですから、きっと彼は私のことなど覚えてはいないでしょう。でも私は、虹を作ってくれた時のあの嬉しそうで誇らしげな顔を、一生忘れられません。


「お母さーん! 見てー!」


 手作りの虹を楽しげに見せる我が子に、私は手を振りました。今日もよい天気です。

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