第3回

 どうしてあんなに勝手なんだろう――とレイチェルは歩きながら苛立っていた。出会ったばかりのころはあんなじゃなかったのに。普段ならどうとも思わないはずの景色も、どこかごみごみして汚らしく見える。

 ああ、厭だ厭だ厭だ――。

 ラナはわたしのことを、人形か何かだと思っているのだろうか。自分がお金を出して「買った」のだから、好きなように扱っていいとでも?

 思い出したように空腹を感じた。お腹が空いているから余計に苛々するのだ。レイチェルは適当なハンバーガーショップに入った。

 列に並ぶ。前に立っていたのは若い女の子のグループだった。後ろ頭を眺めているぶんには、影が見えない。服装も、とくべつ垢抜けているわけではないにしろ、不快に飾り立てているようでもない。後姿だけならそれなりな感じがするが、こちらを振り向かれて目が合いでもしたら、途端に不快になるだろうと思いなおす。

「――の墓場の近くでさ、出るんだって」

「幽霊?」

「もっと悪いやつ」

「本当に? 何なの?」

「よく分からないけど、そいつが、秘密を聞きだそうとしてくるんだって。でも絶対に喋っちゃいけないって。喋ったら――」

 ひそひそと、でも愉快そうに、そんなことを話している。いまは怪談が流行っているのだろうか。

 自分の番が来た。いらっしゃいませ、と微笑みかけられるのに、レイチェルは耐えられない。だからすぐさまメニューに目を落とすふりをして、店員の顔から視線を逸らした。下を向いたまま注文して、金を払った。

 奥まった、いちばん人の少ない席を選んで座った。トレイを置き、コーラを啜ってみる。咽がびりびりした。ストローの包み紙を、指先でぐしゃぐしゃに丸めた。

 じっと壁のほうを向いたまま、ハンバーガーを口に運ぶ。一口齧ったところで、どこからか話し声が聞こえてきた。

「――ちゃんも、やられたらしいよ」

「例の?」

「怖いね、呪われてるんじゃないの」

「なんでこのへんでばっかり。気持ち悪い」

 レイチェルはふん、と小さく鼻を鳴らした。細かいところまでは聞き取れなかったが、それでも充分だと思った。

 その通りだ。あなたたちはみんな取り憑かれている。みんな気持ちが悪くて、醜いのだ。面白半分に噂し合っているあなたたちだって、どんなにおぞましい顔をしていることだろう。わたしが見たら、一目で分かるのだ――。

 なんとなく食欲が失せてしまった。端っこを齧っただけのハンバーガーに目をやったが、どうにもこれ以上口に入れる気になれない。けっきょくほとんどを残して、レイチェルは店を後にした。

 すぐに帰る気が起こらず、レイチェルはぼんやりと歩いた。

 駅に向かうまでの道沿いに、安っぽい居酒屋がたくさん並んでいる。けばけばしい女が店の前に立って、客引きをしていた。何人かの男たちが立ち止まって女を囲んでいたが、レイチェルの目にはどす黒いものの塊としか映らなかった。

 歩きながら、すれ違う人々の顔を眺めてみる。誰もかれも影がある。疲れたような中年男性にも、楽しげに騒ぎ合っている女学生にも、腰の曲がった老人にも、みんなに影が取り憑いている。

 醜い人間ばかりだった。一緒に暮らすなんて絶対にごめんだ。

 こいつらに比べたら、ラナはずいぶんとましな顔をしている。少なくともただ眺めているだけなら、不快にさせられることはない。

 駅まで来てしまった、特に用もないのに。

 駅舎の前に、顔を黒いベールのようなものですっぽり覆った、奇妙な人物が座っていた。白い布で覆われた小さな台の上に、透明な玉やら棒切れの突っ込まれた筒やらが置かれており、ときおりそれらに手を伸ばしては、不思議な動作を繰り返している。

 胡散くさい占い師だ。あのベールの下で、どんな顔をしているのだろう。レイチェルは気になって、近づいて行った。すると占い師が顔を上げ、こう声をかけてきた。

「あなたは特別な目の持ち主のようですね」

 くぐもったような、性別すらよく分からない声だった。秘密を言い当てられたような気がして一瞬どきりとしたが、なんということはない。自分のような腕利きの占い師を見出すとはさすが、という意味なのだろう。そうやって客の気を引こうとしているのだ。

「何をお知りになりたいのですか」

「そうだなあ。わたしの目が特別って言うなら、これから先、なにを見るか分かる?」

 レイチェルが悪戯半分に問いかけると、占い師は頷き、

「遠い未来のことをお伝えしても仕方がないでしょう。あなたは間近な未来、すなわち若くお綺麗でいらっしゃる間のことを気にしておられるご様子。違いますか?」

「そうね。直近の話でいい」

「でしたらあなたは、とても美しいものをご覧になるでしょう」

 美しいもの? とレイチェルは繰り返した。

「もう少し具体的に。たとえばそれは景色? 絵や彫刻?」

 占い師はかぶりを振った。

「あなたご自身、そうしたものをご覧になりたいと思っているわけではないでしょう。もっと切実に、見たいものがあるはずです」

「まあね。でも綺麗なものを見たいのは誰でも同じでしょう?」

「おっしゃる通りですが、あなたにとっての――あなたの目にとっての、と申し上げたほうがよろしいかもしれませんが、美の基準は常人とはまるで異なっているようです。あなたはあなたの目が求めているものをご覧になります。それはあなたの意志というより、目の意志です」

 レイチェルは息を吐いた。当たっているのではあるが、よくよく聞いてみるとたいしたことは言っていない感じもする。レイチェルは注意深く、

「じゃあわたしがその、見たいものを見たとして、そのときわたしはどう行動するべき?」

「そこが難しい点です。美しいものを見たからといって、あなたは幸福になるとは限りません」

「どうして? 綺麗なものを見たら幸せに決まってるじゃない? 醜いものよりずっといいでしょう」

「常人にとってはそうです。しかし先ほど申し上げたように、あなたの目は特別なのです。ですからあなたの目の幸福と、あなた自身の幸福は必ずしも一致しません」

 ふうん、とレイチェルは曖昧に発した。すると占い師は続けて、

「あなたは近々、決断を迫られるでしょう。そのとき目の幸福か、あなた自身の幸福かを選び取らなければなりません。向こう側へ一歩を踏み出すのか、それともこちらへ留まるのか――」

 そこで占い師は言葉を切った。占いは終わりらしい。ずいぶん短いなという気がしたが、レイチェルは黙って財布から小銭を取り出して、占い台の上にぽんと投げた。

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