un happy birthday
生まれてこなければよかった。
そんなことを思ったことは今まででたくさんあったけど、今日ほどそれを感じたことはない。
ベッドで横になる母の命は、あと少しのものらしい。父がそう望んだ。辛い治療をし続けて、なおも延命させようとするのは、私たちのエゴだと。母も、声にならない声でそれを了承した。
──あと数分で、私の誕生日だということを、きっと二人は忘れてしまっている。
それが悲しいわけじゃない。いや、悲しくないと言ったら嘘になるけど、違うんだ。母の命がこうして消えようとしてる日に生まれたこの命。生まれてからこの日まで大したこともできず、親孝行なんてしてこずに、のうのうと生きてる自分。こうして横たわる母を、見下ろしてることしかできない私なんて、やっぱりいなければよかったんじゃないか。
ぼんやりと、呼吸器でようやく息をしている母を見下ろした。母は私の視線に気づいたようで、やっとのことで私の方を見た。
「……そんな顔、しないで……」
掠れた声で、母が言う。じゃあどんな顔をすればいいのだろう。笑うなんて無理だ。怒るなんて無理だ。
「……私、」
そんなつもりなかったのに、私の声も掠れた。言葉が胸の途中でつかえて、出てこない。
「……生まれてこなければよかったよ……」
何を残すでもなく、遺されて。こんな、こんなに、悲しい思いをするのなら、やっぱり、私は──
「生まれてこなければよかった……」
ぽたり、と涙が落ちた。それは病院の真っ白な床に落ちて、見えなくなった。母は、その様子をじっと眺めていた。機械の音だけが病室に響いて、息が詰まった。
「……あなたが生まれた時、」
母が一音一音ゆっくりと、話し始める。私はそれがちゃんと聞こえるように、母の口元に耳を寄せた。
「……私、思ったのよ。“死んでもいい”って、」
「……」
「それほど……しあわせだったの」
母の言葉は、少しずつ小さくなって行く。聞き取るのがやっとで、少しでも雑音が入ったら、何も聞こえない。
「だから、ね。そんなこと言わないで……」
私は、思わず母の手を取った。その手はまだ温かくて、なんだかそれさえ、悲しくなった。母はそんな私を見つめながら、微笑んだように見えた。こんな時に笑わないでよ。やめてよ。
「……お誕生日、おめでとう」
「……っ!」
息を飲み込んだ。顔を上げると、母の優しい笑みが、そのひとみが、ゆっくりと閉じていくところだった。
「お母さんっ……!」
いかないで。
そんな無理な話、声にできない。やがて機械が一定の音を鳴らし始めた。何もかもわかっていたようなお医者さんが、母のそばによって、脈を取る。
「……0時1分、ご臨終です」
あぁ。あぁ。
涙が溢れて止まらない。私が生まれた日、お母さんは遠くにいってしまった。
やっぱり私、生まれてこなければよかったよ。もし叶うなら、もう一度あなたの子供に生まれて、たくさん、たくさんしあわせをあげたかったよ。
きっと、世界一ふしあわせな誕生日。この日がくるたび、私は何度も、そう思うのだろう。
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