おこづかい
私は、成美という5歳になる娘を持つシングルマザーです。女手一つで育てているものですから、まわりの皆さんはちゃんとした子に育たないんじゃないか、なんて心配していましたが、今のところよい子に育っています。わが娘ながら、わがままも言わない、素直でいい子です。
私と成美はこんな感じで、困ったこともなく過ごしていました。
そんな、5月のある日のことでした。
成美は、床に寝そべってお絵かきをしていました。私はその日は仕事が休みだったので、いそいそと洗濯物を干していました。
「ねぇ……おかあさん」
「んー?」
私は成美を見ずに返事をしました。
「あのね……なるね……んとね……」
成美は言葉を濁らせていました。どうしたのでしょうか。私が振り向くと、いつのまにか私の後ろに来ていた成美が数歩後ろに下がりました。
「成美? どうしたの?」
私は作業をいったん止めて、成美と目線をあわせるためにしゃがみました。成美は、洋服の裾をつかみながら、俯いていました。言いにくいことなのでしょう。私の顔をチラチラと伺っていました。
「成美。どうしたの? いってごらん」
私がそう言って頭を撫でると、成美はおずおずと話しはじめました。
「あのね……なる、おこづかいがほしい」
「おこづかい?」
驚きました。成美がそんなことを言いだすなんて思ってもみなかったのです。普段、物を欲しがらない成美。私が必死になって働く姿を見ているからでしょうか。洋服を新しく買ってあげようにも、「まだきれるから大丈夫!」って笑うのです。本当に、小さいのに我慢させてばかりで悲しく思っていました。でも、その成美が、おこづかいが欲しいと言ってきたのです。
「何を買うの?」
「…………」
「どうしたの?」
私が尋ねると、成美は黙り込んでしまいました。成美のこんな姿、初めてです。私に本当のことを言ってくれないなんて。
成美は私と目をあわせようとしません。私は成美の両肩に手をつきました。
「成美……おこづかいはあげるけどね、何に使うのかは教えてくれないかな? お金はやっぱり大切なものだし、お母さん、成美が間違ったお買い物したら悲しいから」
成美は答えません。素直な成美が、こんな風になる買い物って、何なのでしょう。それとも、悪いお友達にでも言われたのでしょうか。私は少しむっとして、大きい声を出しました。
「成美っ!」
成美の体はビクリと震えました。大きな瞳は、私を見ています。だんだんその瞳からは涙が出てきました。
「……ヒック……。おこづかいひつようなのー……。な……なるおかいものするのー……。ヒック……早くしないとダメなの……」
早くしないとダメ? ますます成美の言葉が分かりませんでした。しかし……泣いてる子供をこれ以上問い詰めるわけには行きません。普段とってもいい子な成美ですから、少しのわがままくらいは聞いてあげないといけませんね。
私は息をつくと、財布からピカピカの500円玉を取り出して、成美に渡しました。
「1人でお買い物いける?」
「……うん!」
おかしなものです。さっきまで泣いていたくせに、みるみるうちに元気になるのですから。
「行ってきます!」
成美はバタバタと家を飛び出していきました。
* * *
しばらく経ちましたが、成美が帰ってきません。成美は、初めてのおこづかいで何を買いに行ったんでしょうか。さすがに遠くには買い物には行かないはずですが……。
私が探しに行こうかどうしようか迷いだした頃、玄関が開く音がしました。
「成美! もう、どこまで行って──……!」
私は、そこに立っていた成美を見て、驚きを隠せませんでした。成美が、綺麗に包装された真っ赤なカーネーションを3輪持って、笑っていたのです。
「ようちえんでね、教わったんだよ。今日は、おかあさんにありがとうって、カーネーションをあげる日なんだよって」
成美はニコニコ笑いながら、私にカーネーションを手渡しました。
「お花屋さんでね、おかあさんにあげるのって言ったらね、1本おまけしてくれたんだよ」
言葉が出てきませんでした。この子は、初めてのおこづかいで、私にプレゼントを買ってきたのです。こんなに小さな娘が。
いつもいつも、自分が欲しい物は諦めてきただろうに、私のために、カーネーションを買ってきてくれたのです。
「……成美。ありがとうね」
私は、涙が止まりませんでした。いつの間にか、こんなに立派に育っていたのですね。
「おかあさん。何で泣いてるの?」
「ううん……何でもないの。これ、花瓶に飾ろうね」
私はもらったカーネーションを、花瓶にさして飾りました。母の日なんて、自分には関係ないと、すっかり忘れていました。とても素敵なプレゼントで、私の胸はいっぱいになったのです。
* * *
あんまり嬉しかったので、そのカーネーションの花びらを押し花にしました。いつか成美が大きくなったとき、思い出話として見せてあげようと思っています。
5月のある日のことでした。私はこの日のことをずっと忘れません。
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