第50話 背中を押す言葉
王子はその後も、私に泣いたお顔は見せませんでした。私も、見せませんでした。
エインセルさんが浄化を完了するには、数日かかるそうです。王子は国の最後をしっかりと見届けたいとのご意思。ですから……気が休まらないとは思いますが、私は一緒に王国を見て回るお散歩を提案いたしました。
誰もいなくなった無音の王国は、それはそれは寂しかったですね。紛らわすように、私は王子に話題を振り、王子はいろんなお話をしてくれました。その際、あの日のアレはどういう意図だったのかとか、そういう細かいあれこれもお尋ねしましたね。だから今、猫さんに詳しくお話することができるんですよ。
エインセルさんは毎日、ただ杖で大地を叩き、空気を静かに、そして激しく震わせ続けているだけ。特にお手伝いすることもないそうで、王子と私は初めて目的もなく、数日ぶらぶらとお散歩する時間が持てたのです。
本当に初めてでしたね、二人で並んで、ただお外を歩くの。
でも、嘘の笑顔を貼り付けたお顔では、全然楽しくなかったし、むしろ辛さが増しまして。
え? なんで皆様を埋葬せずにお散歩してたんだ、ですか? たしかに、稼働パーツの無いゴーレムさんは瘴気を出さなくなるので、早めに埋葬するなら良い時間だったかもしれませんが……エインセルさんが浄化している最中に、埋葬したいと王子も申請したんですよ、そしたらエインセルさんから、気が散るからバタバタと空気を震わせるな、とのお達しでして……。
ですので、日々ゆるやかに清められてゆくこの国を、歩きながら見届けましょうって私が提案したんですよね。
でもですよ猫さん、今思えばバタバタはダメなのにウロウロは良いだなんて、ちょっと変ですよね。両方とも気が散ると思うんです。
なんで私たちに、何もない時間をくれたんでしょう。私の考え過ぎであって、エインセルさんには特に意味なんて無かったかもしれませんけどね。
王子はお散歩しながらも、何日も長老様をお待ちしていたんだと思います。やたら頻繁に私の体調をお尋ねされるので……。
私は心身ともに、「大丈夫ですよ~」と微笑んでいなければならなくなりました……。これ、けっこうキツかったですね。本心と真逆な対応を、連日ずっと……気を張るってレベルじゃありませんでした。
そして辛ければ辛いほど、王子もお辛いのだと気付きました。もっと早く気が付くべきでした……。
私は、力を振り絞って笑顔を作りました。
「王子、私は赤ちゃんじゃないですよ~? 長老様を自力で捜して、自分の体調を整えることぐらい、自分でちゃんとできます」
「え……? あ、そうか、そうだよね。ごめん、なんか過保護だったな。きみのこと、バカにしてたわけじゃなかったんだ、ただ……」
王子が薄いまぶたをぎゅっと閉じてしまいました。連日泣いているせいか、うっすら赤く腫れていました。
「きみまで失うことになったら、僕は、もう……」
「ここまで王子に追従してきた私を、今更か弱い扱いするんですか? 私のタフさは、王子のお墨付きだと思ってたんですけど」
「きみが何を言いたいのか、よくわからないよ……」
王子の不安そうな瞳が揺れています。本当に綺麗な目なんですよね。
「お休みが必要なのは、王子のほうですよ。大事なお母様をベッドに運んだあのときが、王子にとってのお別れであったのだと、私にはわかります」
「なに言ってるんだよ。両親の体も、国民の体も、きちんと埋葬しないと。ちゃんと向き合わないと」
「ずっと向き合ってこられたこと、私は知っていますよ。たとえ私の記憶が抜けてたって、真面目な貴方のことですもの、自信持って言えます!」
はい、私は王妃様のお部屋に入る直前に、王子に王子らしく向き合うよう説得してしまいましたね。だからでしょう、王子は最後まで、心身の均衡を崩してでも、この国の全てと向き合い続けようと決意してしまったのです。
ですが、ただでさえ体調不良を押してお城にまで来てしまったんですもの、その上、短時間でご両親の最期を連続で見届けてしまったのです、平気なわけがありません。そして、それ以上を耐えてよい状態ではないと、私の勘が訴えていました。ずっと訴えていました。夜な夜な外で王子が泣いていると気付いたときから、ずっとずっと。
「王子、私にとっては王妃様も王様も、とっても大事です。敬愛しておりますよ」
「うん……それは、きみと母上の様子から見てもわかったよ」
「では、ご両親のこと、この私に任せてくださいませんか」
「……ん? どういう意味なの?」
「あの三人組エルフさんたちを、森から呼んでまいります。彼らは、まあまあ人間側に理解がありますから、乱暴な埋葬は致しませんでしょう。私もしっかり見張っておきますから」
「イセラ……?」
「もしもエルフさんとケンカになったら、長老様に言いつけますよーって、しっかり脅しておきますから。だから、王子――」
私は、二回ほどゆっくりと深呼吸を繰り返しました。
「だから、王子は――」
次の言葉を紡ぐのは、かなりの勇気がいりました。
王子の輝く両目は、妖精の輝きと同じもの。それが涙に濡れ、うっすらと腫れたまぶたに包まれているのを見つめ、私は、ついに口に出しました。
「王子は、ここから旅に出てください。お辛い境遇や環境から、旅立ってください!」
「………………」
呆然としている王子に、畳みかけます。
「王子はよく頑張ってこられました。貴方との十年近くは、ほとんど覚えていないんですけど、ここで貴方がどれだけの覚悟と悲しみと怒りと、そして諦めを繰り返してきたのか、それらたくさんの負の感情を抱えながら、十年をもお墓を作り続けてきたお姿が……目を閉じると痛々しいほど鮮明に浮かび上がります」
「待ってよ! ここまで来たんだから、最後までやらせてよ!」
「いいえ、なりません! こんな恐ろしい日々を最後まで乗り越えてしまったら、それはもはや、人間の心の持ち主ではなくなってしまいます!」
王子が、目を見開いて私を凝視しています。……そんなお顔になるのも、仕方ありません。さんざん王子を鼓舞してきた私から、こんなことを言われるなんて、驚かないほうが無理ですよね……。今までと真逆なこと言ってますからね、私。
「イ、セラ……」
「私は、貴方の目の輝きが何を意味しているのか、知っています」
「え? どういうこと?」
「これ以上の負荷がかかると、貴方は二度と笑えなくなる。二度と感情の湧く喜びを、感じられなくなる。花にも風にも星座にも、心が向くことはなくなる」
「……」
「人間の貴方が、十年もここで生きてこられたのは、その瞳に宿った妖精の祝福のおかげだったんですよ。その目が今、涙に曇り始めている。お願いです、王子、どうか私からの一生のお願いとして、聞き入れてくださいませんか!」
しばらく、王子と見つめ合っていました。王子は金色のまつげまで震わせて、凶星を見つけた占い師のような、蒼白したお顔でした。
「なんで、イセラ、そんなこと言い出すんだよ、なんで今になって……」
もっと早く言えと、おっしゃりたかったんでしょうね。でも、それは無理なんですよ、だって目の輝きの話は、たった今私が考えたんですから。
ですがね猫さん、私にはどうしてかわかるんですよ、女の勘ってやつなんですかね。
これ以上は、本当に王子の心が粉々になってしまうと。どうしてでしょうね……まるで自分自身のことのように、わかるんです。
これ以上を耐え抜ける人間なんて、いないのだと。
ここからは、赤の他人の出番です。この先ずっと王子から恨まれても、私は王子の心を守り抜いたことを誇りに思い続けなければなりません。
……王子がここにいない理由が、おわかりいただけたでしょうか?
でもね猫さん、王子はあっさりと旅に出たわけでは無いんですよ。
王子が旅立ってくれるまで、私は彼と同じ部屋で眠ることはやめました。鳥籠だけ部屋に残して、全く別の場所で眠ったんですね。夜は、王子お一人でじっくりと考える時間が必要であると思ったからです。
それまでは、王子は寝台で、私は壁にかかった鳥籠の中で寝てたんです。どうにも王子をお一人で置いておけなかったんですよね、過保護なのは私の方でした。
そして王子を支えて、背中を押してきたから、こんなところまでお連れしてしまったのです。
王子は私から突然の旅立ちを進言されて、最初は全く納得いかなかったのでしょう。エインセルさんの浄化が終わるまで、何日も粘りましたもの。ですが、一緒のお部屋で眠らなくなった私の態度に、ひどく失望されたんでしょうね……ある朝、エインセルさんの浄化が終わって、埋葬の支度に取り掛かる段階になったその日に、王子は姿を消しました。
当時の朝が清々しいほどの青空だったのを、覚えていますね。
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