第49話 浄化と涙
王妃様を寝台に預けた後で、起こさないように、王子は静かに部屋の扉を閉めました。
廊下の窓から見える空は、まだどんよりと暗いです。すぐには瘴気は晴れません。
お花屋のお姉さん、私、そして王妃様が、この国で魔力を循環させていたポンプでした。いえ、心臓が三つあったうちの、最後の一つが王妃様であったのだと、例えたほうがわかりやすいでしょうか。
つまり今、心臓が全て止まってしまっているんですね。これで全ての瘴気の発生源が、元を絶たれました。
王子が外へ出ようとおっしゃいまして、私もそれに従いました。
そこからは、ずっと無言。王子の心情を慮ると、何も言葉が見つかりません。ただ寄り添うだけでも胸が詰まって、どこをどう飛んでいたのかさえ、覚えていません。
お城の正面玄関から出ると、空が少しずつですが、目に見えて晴れ間を見せてくれました。
玄関の門の付近で、エインセルさんが人間サイズで待っていました。門の柱の陰にもたれて立っていましたので、彼女から声をかけられるまでは全く気付けず、大変びっくりさせられましたね。
「お疲れ、お二人さん。あとはアタシに任せときな。何日かかかるが、この国を丸ごと浄化してやるよ」
そんな、ぬいぐるみさんを丸洗いするような口調で。当時の私は半信半疑でした。自分にできない大きな事を、あっさり可能だと言われたら、信じられませんよね猫さん。
大口を叩いてみせたエインセルさんが手に持っていたのは、獣の羽と毛皮を木に巻き付けたような不気味な杖。アレが彼女と相性の良い杖なのかと、ギョッとしましたね。
杖は創るのは大変なのですが、とても便利なんですよ。使う魔法を何倍にも強化してくれるんです。倍数は、杖の使用者と、杖の製作者との相性によりますね。お高い材料で創っても、使う側の実力や相性がお粗末だと、満足に杖が働いてくれません。
エインセルさんは杖を両手でくるくると回転させて、最後に杖の尖った先でドーンと台地を叩きました。辺り一帯の空気が震えるほどの、強すぎる衝撃です。それなのに、嫌な感じは全くしませんでした。この音もまた自然が求めていた一部なのだと、納得してしまうという不思議な感覚でしたね。
震える空気が生んだ風が吹き、私たちごとさっと国を一撫で。すると重たいベールが一枚取り払われたかのような、些細な軽やかさを肌に感じました。
エインセルさんは杖の先の装飾品が風に揺れるのを、黒い宝石のような目を細めて眺めていました。
「アタシはこの作業を何度か繰り返しながら、少しずつ浄化を図るよ。何日かかるかわかんないけど、慣れてるから丸投げしときな」
そう言うと彼女は、私と王子を見てニヤッとしました。
「城から出てくるまで、もっと時間かけてくるかと思ってたよ。今日中だなんて、本当によく頑張ったじゃないか」
私たちが何日もお城から出てこないと……そんなふうに思われていたそうです。それじゃ王子の健康状態が保ちませんって。
彼女に褒められるのは、不思議な感じがしましたが、今にして思えば、彼女が国に来てからすぐに解決しましたもんね。速攻で大きな仕事の半分が終わったようなものですね。
「では、お任せいたします。僕は彼女を休ませてきます」
王子は、手足の先まで瘴気に染めている私を連れて、最寄りの小屋へと向かいました。私はそこで、透明な鉱石が真っ黒になるまで瘴気を吸ってもらいまして、肩代わりしてくれた鉱石を、王子に土へ埋めてもらいました。土の中で、ゆっくりじっくりと、浄化されてゆくようにです。
手足は元に戻りましたが、それでも私の目の色と髪の色は、黒いままでした。暗闇で光り輝くことも、できなくなりました。
王子は私の治らない症状に焦っておられましたね。私を再び鷲掴みして、エインセルさんのもとへ走ってゆく足が、とても速かったのを覚えています。
「へえ? その妖精の体から瘴気が完全に消えないってえ? 消えてるじゃないか」
「ここと、こことここが黒いままなんです。光らなくなっちゃったし、どうしたら治るかご存知ですか? 僕と彼女じゃわからなくて」
するとエインセルさんの顔から、すっと笑みが消えました。
「そうなることを覚悟して禁忌に触れたんだから、こんな事態になったし、そんなふうになっちまったんだよ」
「そんな……彼女はもう治らないんですか?」
「治ればいいね。アタシにはどうにもできないけど、エルフのジジイなら知ってるかもしれないね」
これは後々になってわかる話なんですけど、長老様にお尋ねしても、何も判明いたしませんでした。長老様にもわからないのなら、もう諦めるしかありません。
禁忌に触れた代償だと思って、この身に引き受けるしかありません。
しかし当時の私たちには、エインセルさんの言葉は希望の歌に聞こえました。
「よかった、イセラ! 長老様なら、きっと何か知ってるはずだよ」
「はい!」
な~んて、お互いのことを自分のことのように喜んでおりました。
その後は、またあの最寄りの小屋に戻って、一休みしてから、今猫さんと私が住んでるあの
とりあえず、と言って王子がお茶を沸かしてくれまして、クッキー缶のフタも開けてくれました。私にとって人間さん用のカップは、浴槽の代わりになるほど大きいので、真ん中にくぼみのある小さい石を持って、カップからすくって飲んでました。
王子は椅子に座って、なんにも口にせず、しばらくぼんやりしていらっしゃいましたが……ふっと表情が消えてしまいました。
「ごめん……ちょっと出てくる」
「あ、はい、ごゆっくり……」
おもむろに立ち上がって、外へと出てゆく王子。しっかりと閉ざされた扉を目の前に、私は、動けませんでした。
王子は外で、泣いていらっしゃったんだと思います。なんとなくですが、わかるんです。
お優しい御方ですもの、ご両親に反発する一面があっても、なんともないお顔して平然と生きていられるわけがないのです。もしも平気な御方でしたら、私は
私が下手に外に出てはいけません。誰かのために、気づかぬふりをするのも、時として必要なのです。
当時の私の気分ですか? お茶にもクッキーにも、なんの味も感じませんでした。これまで胸の詰まる思いは何度か経験いたしましたが、あの日一人で食べたおやつの味が、今でも思い出せません。
え? はい、食べかけで残したりはしませんよ。あのおやつは王子が私を休ませるために、無理してご用意してくれた機会でもありますから、私こそ平然とした顔で食べなければなりませんでした。
クッキーを一枚、サクサクと平らげていたら、突然ボロッと涙がこぼれてしまいました。
私だって……私だって、本当はワアワア泣きたかったですよ。王子はお気付きでなかったでしょうが、私だってずっとこの国と王子一家を見守ってきたんです!!
私だって、悲しかった。王子と一緒に泣いて悲しみを吐き出したかった。私は王子の身内ではありませんから、身内を失った王子と全く同じ悲しみは抱けないかもですけど、それでも隣りで、泣きたかったです。
でもねぇ、猫さん、王子が独りになりたいと望み、そして私が同じ空間にいると泣けない状態になるとおっしゃるならば、私にできることは、ここでバカみたいにおやつへ舌鼓を打って、たっぷり休んでいるしか、ないじゃないですか。それが従者というものです。私は、王子の家族では、ないんです……。
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