第40話   王妃様の私室

 いざ、王妃様の私室へ。しかし銀盤に阻まれて近道が使えませんから、欠けた壁の穴と、ガラスが消滅した窓から廊下へと出入りする~を繰り返して、なんとか王妃様のお部屋近くの廊下へ出られないものかと、試行錯誤の右往左往を開始しました。


 このお城、行き止まりの代わりになる仕掛けが多いんですよね。いいえ、以前入った時よりも、格段に数が増えてます。


 いったいどこから王妃様のお部屋へ、お近づきすればいいのやら。


 ……いえ、作戦がないわけではありません、ですが、たとえ朽ちかけたお人形であったとしても、これから謁見するのは、王子の生みの親御さんであり、王様と共に国を治めていた王妃様なのです。割れた窓から直接彼女の部屋に飛び込むだなんて、そんな無礼千万な方法を安易に選ぶなんてことが、当時の私にはできませんでした。


 はい、できなかったのですが……さんざん遠回りをして、あれこれと試行錯誤を繰り返し、結局その方法しかないと悟り、おとなしく選択いたしました。二階にある王妃様の大きなお部屋へ、窓からノックもせずに、レディのお部屋へ侵入です。


 ああ緊張しますね、猫さん。王妃様は今、どうなっていらっしゃるのでしょう。



 天井まで届く大きな窓から、差し込んでくる日の光は、空をも覆う瘴気のせいでくすんでおりましたが、それでも部屋を照らしてくれていて、悲しいくらいに退廃的な絵になっていました。


 じつは私、王妃様のお部屋に入ったことは一度もなかったんですよね。お部屋の前を素通りした事はありましたけど、私が主に出入りしていたのは厨房ばかりで、人様のお部屋やプライベートを覗いたりはしませんでした。


 王子のお部屋やバイオリンのレッスン場、王子の勉強部屋などなど、つまり王子以外の人物のプライベートには、踏み込んだことがないんです。


 え? どうしたんですか、猫さん。そのどうしようもない人を見るような目は。猫さんの言わんとしている事は、よくわかりませんが、話を続けますね。



 つまりですね、今日この黒ずんで朽ちた、物静かなお部屋が、私が初めて見る王妃様のお部屋なのです。


 残念でなりませんね……こんなことになる前のお部屋は、きっと美しかったことでしょう。センスの良い王妃様でしたもの。一目でいいから、扉の隙間から心に留めておくべきでした。


 そのお部屋の有り様と言ったら、もう。壁紙は黒いシミに大きく侵食されて、もともとの模様や色がわかりません。絨毯も同様、そして本棚などの立派な造りをしていた家具類も、そこに収まった本などがパッと見なんなのかわからないくらい、グジュグジュになっていました。


 ドレッサーなどの愛らしい作りをした家具類も、黒くボロボロに朽ち果て、とうに化粧品などは腐り、転がっているキレイなビンは、長らく拾われることなく埃をかぶっておりました。


 風が窓から吹きすさび、そのせいか人のかすれ声のようなものが、途切れ途切れに聞こえていました。


 不穏な空気に包まれたドレッサーの前に、王妃様が座っていると気づいたとき、この音は彼女の鼻歌であったのかと大変驚きましたね。


 耳をすまさないと聞き取れないほどの、小さなお声でした。この歌の音程には、聞き覚えがあります。王妃様お気に入りの子守歌、どこか遠くの、異国の謡でした。王子と一緒に、歌われていることもありましたから、この私が聞き間違いようがありません。この鼻歌は、間違いなく王妃様のものです。


 しかし……


「王妃様……?」


 黒く古ぼけた、豪華な装飾のドレッサーの前に座って、ゆぅらりと髪を梳いている後ろ姿は、木の肌がむき出しの、裸の背中でした。ぼろぼろになったネグリジェが、イスにぶらさがっています。


 かつては美しかった眩い金の髪も、ほとんど抜け落ちていました。それもイスの背もたれと王妃様の背中の間に、引っかかっていました。


 天井まで届いている大きな窓から、青空が見えます。ガラスのない窓から、お日様に温められた優しい春風が、入ってきます。


 黒い埃が舞い上がり、鏡の中の王妃様の目が、すらりと私のほうを向きました。


「誰カ……イル、ノ……?」


 私は鏡の存在を完全に失念していました。なんと返事してよいやら凍りついていると、椅子を軋ませて王妃様が体ごと振り向きました。真っ黒なシミにまだらに蝕まれたお顔が、驚きに変わります。


「……まあ……妖精……? 本当ニ、イタノネ……」


 王妃様は嬉しそうに、片頬に手を添えて微笑まれていました。しかしですよ猫さん、髪がほとんど抜け落ちていて、声もかさかさで、おまけに絹製の寝間着は虫さんに食われてぼろぼろになっている上に、肌の塗料が剥げて木の部品が見えていらっしゃる状態の王妃様を目の前にして、冷静でいられるわけがありません。


 ただ薄い羽のみを動かしたまま滞空飛行する私の、凍りつきように、王妃様はハッとなさいました。


「ああ、どうか怖がらないで、何も、シナイワ……」


 そう言って、両手をお膝の上に乗せました。


「いつも息子と、遊んでクレテ……アリガ、トウ……」


 ああ、私のよく存じている王妃様です。彼女は私を話題にする王子との楽しい記憶を、ずっと覚えていてくださったのです。


 私の中に、再び尊敬の念が灯るのを感じました。全身を駆け巡る熱い気持ちが、涙腺まで緩ませてくるのです。泣いている場合ではありません、私は耐えました。


「あの、私……」


 言葉も思いつかぬままに、何か言おうとしていました。声が震えて……せっかく王妃様が、私の次の言葉を待ってくださっているのに……。


 けっきょく、言葉が喉に詰まったまま黙ってしまった私に、王妃様も苦笑なさっていました。


「ねえ妖精さん、あの人を、見ナカッタ……?」


「え?」


「もうズット、姿を見てイナイの……仕事が忙しいって、言ってたけれど……ドコデ、仕事シテルノ、かしら……あの子が、寂しがってるわ……」


 あの人というのは、王様のことですね。私は王様の私室や謁見の間にも、立ち寄ったことはございませんでした。それどころか、王様はお城の中でもあんまりお見かけできなかったような気がします。


 多忙だからと言われてしまっては、それまでです。王様だし仕方ないかぁと納得してしまっていたところが、私にもありました。今にして思えば、お城は王様の主な活動拠点のはずなのに、お見かけしない日が多いのは、不自然だったかもしれません。


「こんなコト……アナタに頼むのは……オカシイ、わよね。でも……もう長いこと、ダレも部屋に、来てくれなくて。私も、足が、動かなくて……どうしたの、かしら……」


 私は、思わず、


「お捜ししてまいります!」


 と返事をしてしまいました。大事な人に喜んでほしくて頑張ってしまう健気な性格が、前に出てしまったんです。


 返事をしてすぐに、安請け合いをしてしまったと焦りましたけれど、


「まあ、いいの? それじゃあ、お願いするわね。あの人もきっと、妖精さんに会いたいと思うわ」


 嬉しそうに微笑まれる王妃様を見て、俄然やる気が沸きましたとも!


 このときの選択は、今でも後悔しておりません。


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