第38話 砲撃よーい! 撃て〜!
「布袋に詰め込むための植物を集めませんと。ちょっと待っててください、草花を集めるのは得意ですから」
「んなもん、この端っこに集まってる葉っぱの残骸で充分だろ?」
「え……?」
なんと彼女は、何年前のものかわからないカサカサに乾いた草木の残骸を、無造作に足で集め始めました。風が気まぐれに運んできたのでしょう、屋上や無人の玄関に、勝手に集まっているアレです。
まあ、あの、率直に言ってゴミですね。
彼女は王子のシャツの、腕と首回りの穴をギュッと結んでから、ゴミを詰め込んでいきました。あっという間に、布袋の完成です。
「よし、これを大砲に詰め込むよ。あんたはどこに立つんだい?」
「あっ、えっと、では、斜線上を浮遊して待機しています……」
さすがに、ちょっと怖くなってきましたね……いくら勇敢な私でも、体に恐ろしい衝撃を受けることが確定している挑戦に、足が震えます。
しかし、一回は耐えた身です。骨折もしませんでしたし、耳の鼓膜が破れもしませんでした。肺もつぶれていません。
大丈夫、私なら耐えられます。
だってこの大砲は、あの砲撃は、私を無傷で打ち落とすために王子が丹誠込めて調整してくれた傑作ですもの!
「よし、覚悟はあるようだね。えーっと……ああ、やっぱりだ、この大砲は炎魔法で点火するようになってるね。火薬も何も無いけど、ド派手に魔法をぶっ放せば威力が調整できるようだ」
「え、あの、お手柔らかにお願いします」
「さあね、上手く加減できるかわからないよ。あたしゃ素人だからね」
う……。不安で吐き気が、めまいが。
「ほれ、セットしたよ。覚悟はいいかい? それとも、やめるかい」
「う、や、やめません!!」
私はぐるりと背を向けて、怖いので顔も手で覆いました。
「一思いに、やってください!!」
「よくぞ言った。そいじゃ遠慮なく行くよ!」
彼女が準備する気配が、衣擦れとなって私に伝わります。彼女の詠唱する呪文は、古いものでした。どこかの民謡を圧縮した言語のようにも、ただの鼻歌にも聞こえましたが、なぜだか、とても悲しい旋律に思えました。どこかで耳にした覚えがあるのは、禁忌である穢れの浄化魔法を彼女から教わった影響でしょうか。
それは、今でもわかりません。
当時の私も、思案に耽る隙もなく、布団を目の前で叩かれたような奇妙な爆音とともに放たれたゴミ入りの王子のシャツに背中を強打され、息もできないどころか心が無の境地にまで至ってしまうほどの風圧を全身で受けながら、半ばペッチャンコになって飛んでいきました。空高く。
本当に信じられないような体験をすると、感情が追いつかず無になってしまうのです。それはほとんどの場合、よくない状況下で起きました。
そして、無にも慣れが訪れます。長らく放心状態だった私は、ハッと意識を取り戻し、次第に近くなってゆく真っ黒なお城へと、視線を定めました。間近で目にすると、城下町の建物よりも、お城のほうが何倍も危ないことになっているのが、よくわかりました。建物の根本から黒ずんだ霧が発生しており、瘴気が障壁を張っているような状態に見えましたね。王子はお城に、入らなかったわけではなかったのです、簡単には立ち入れない状況にあったのです……。
布袋さんは徐々に勢いを失い、
道順なら大丈夫、わかっています。毎日のように王子のもとへ、お花を献上していましたもの。たとえ戸締まり用心の徹底した要塞であっても、厨房などには換気扇代わりの、ちょっとした隙間があるものです。お風呂の湯気を外に出す細い煙突もありますね、長いことお掃除されていない筒の中に入るのは抵抗がありますが、いざとなれば覚悟する所存です。
幸いにも、厨房の割れた窓から入れました。ベトベトや蜘蛛の巣まみれにならなくて、よかったです。
オーブンも調理台も、まるで汚水に浸ったクッキー、そして黒カビに浸食されたパンのような有様。食器をしまう棚も、今にも朽ちてお皿が音高く床に滑り落ちてしまいそうです。かつてこの場所は、一点の曇りも腐れもない、それどころかいつも美味しそうな匂いで私を誘惑し、つまみ食いを誘発する罪深き楽園でした。今は、調理人の姿もありません。
悲しいことですが、今の私にとって、思い出深いこの場所に用事はありません。
私には時間が無いのです。他の方々を停止させる余裕もありません。
幸いなのか、そうなのか、もうわかりませんが、近くに人の気配はありませんでした。廊下に出ると、どろどろの黒い泥のように腐った絨毯が、どこまでもお城を塗りつぶしていました。
気の毒なことに、真新しい足跡が数名ほど、奥へと続いています。このどろどろを踏んで先を進んでいったのは、きっとエルフの皆さんでしょう。ぶぅぶぅ文句を言いながら歩いてゆく姿が目に浮かびます。
……私には、己に降り注ぐ不潔な災難に、そこまで憤る元気が出ません。様変わりしたどころではないお城の惨状に、心が空っぽに。そこへじんわりと、悲しみが注がれるような心地がしました。
かつては明るく、そこかしこに飾られた花の装飾品が瑞々しくて、人々が忙しくも楽しく働き、エルフの従者が挨拶に参上する、ステキなお城でした。そこに幼い王子の笑顔が弾けていたのですから、あのひとときが私にとってどれほど掛け替えのない素晴らしい日々だったのか、今でも思い起こされます。もう一度、あの時間からゆっくりと、やり直すことができたら……できたら……。
何度繰り返したって、この国に王子一人しか人間がいないのならば、いつか同じ未来が訪れてしまいます。
こうなってしまう未来が。
王子が笑わなくなる未来が。
思い出に浸っている場合ではありません。これ以上、王子の未来が曇らないためにも、私が頑張らねば。
たとえ生涯、王子に合わせる顔を、失ったとしても。
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