第35話 妖精たちの作戦①
朝の光の中、街の黒ずみはよけいに目立ち、そして昨日よりもひどくなっていました。あの花屋のお姉さんを、停止させた影響が、たった一晩でここまでひどく出るとは。実際に目の当たりにすると、もう本当にこの場所は限界を迎えていたんだなって、思い知らされました。
あのお姉さんと、王妃様、それからこの私が、この国の穢れと魔力を循環させ、周囲の自然に浄化してもらう仕組みを形作っていました。森と人間と、そして妖精の橋渡しを担うはずの私が犯した、大罪です。
「あんたもずいぶん粘ったもんだねぇ。ここまでの反動が出てるのは、初めて見たよ」
「私以外にも、反動を出した妖精がいるのですか?」
「ああ、いるね。恋をするとね、相手のためになんでもできる気がしちまうんだよ、ただの気のせいなのにさ」
「……」
当時の記憶はありませんが、私もきっと、なんでもできる気がしていたんでしょうね。瘴気さえ浄化すれば、全て解決できる、そして王子の幸せが永遠に続くと信じて。
これが恋なのかどうかは、わかりません。私はただ、王子に喜んでもらいたかっただけなのですから。恋人になりたいとか、結婚したいとか、家庭を持ちたいとか、そのような欲求は今でもありません。見返りなんて、王子の笑顔だけで充分ですから。それに、人間は人間と結婚するべきなんだって、思いますから。
遠慮しているわけではないのですよ? 本気でそう思ってるんです。私は従者で充分なんです。それ以上は、望んでいないんです。
「朝っていうもんは、清々しい気持ちになるもんだけど、ここじゃ気が滅入るだけだね」
エインセルさんは、ついと顎を上げて、この城下町を見下ろすように建っているお城へと、黒い双眸を持ち上げました。黒ずみすぎて、影のようになっていますが、アレが王子のおうちです。以前は、漆喰で塗り固めた白いレンガと、赤茶色の石材の屋根が可愛らしい、ケーキみたいな色合いの建物でした。可愛いだけではなく、丈夫さもお墨付きで、以前遠くの国の火山が爆発した影響で地震が発生したときでも、壁に亀裂一本も入らなかったそうですよ。話を誇張するクセのある祖父から聞いたんですけど、お城が今も変わらぬ形状を保っているあたり、本当に丈夫なのでしょう。
色は、恐ろしいことになっていますが。
いくら丈夫な建物といえど、あのまま瘴気にさらされていては、長くは保ちません。あんな大きな建物が城下町めがけて崩れてきたら、大規模な事故となります。今まで私の視野に入らなかったのは、私が街ばかりに目を向けがちだったのと、なんとなく気分も顔もうつむかせるこの空気のせいだったのかもしれません。
「さーて、なんとかして城に侵入しないとね。見張りも多いだろうから、あんたが元の体の小ささに戻って、独りで向かったほうが簡単かもね。城の内部は把握してるんだろ? あたしは余所者だから、他国の城の造りには疎くてね」
「あなたは小さな姿には戻らないんですか?」
「戻れないわけじゃないんだけど、人間大で商売するクセが抜けなくなっちまって。小さくなってると不便に感じて、すぐ大きく変身しちまうんだよね」
「クセになるほど長く、人間の大きさに……」
かく言う私も、猫さんと出会ってお話する頃には、すっかり人間大のほうが便利に感じるようになりましたね。大きいと、いろんな物が同時に持てますし、掃除も早いですし、一歩が大きいので移動もまあまあ楽なんですよね。けれど、常時魔法を使用して大きさを偽っているわけでして、慣れるまでは、三日もするととても疲れました。一週間ぐらい魔法が使えないほどにね。
今は、使う分の魔力量を正確に把握しておりまして、疲れたらちゃんと座って休むようにしたら、魔力の節約にもなって、かなり長い時間を人間大に費やすことができるようになりました。何事も、経験に基づく慣れと、問題を解決したいがための試行錯誤が大事なのです。
彼女は黒いブーツのかかとをカツカツ鳴らして、石畳を歩いていきます。黒カビの生えたパンのようになっている街にも動じることなく、進んでいきます。慣れているのか、それとも、さほど街の状況に興味がないのやら、どっちみち私にはマネできませんね。しようとも思いませんが……。
黙ってついて行くしかない私の耳に、何名かの聞き覚えのある声が入りました。振り向くと、朝早くからエルフ三人組と、長老様が、こちらに駆けつけてくるところでした。ローブを着てるエルフさんが、つまづいてちょっとガクッてなってたのが、おもしろかったですね。サンダルで走ってたせいでしょうね。
彼らは転がるように走ってきました。長老様は箒に乗っていましたので、転んだりしませんでした。エインセルさんを見上げて、苦い表情をしていましたね。
「初代『光の乙女』か。その様子では、未だ人間と繋がっておるようだの。
「ふふ、あんたはあたしに会うたびに同じこと言うんだね。直接こんな所に出向くなんて、もう歳なんだから体は大事にしなよ」
お二人は知り合いのようでした。くだけた口調が、それっぽいです。
彼女は、今度はエルフ三人組を見上げました。その物珍しそうな表情だけで、彼女が何を考えているのかが、わかります。やっぱりこの三人組って、自分から厄介事の解決に乗り出す感じには見えないんですよね〜。
「あんたたちは、なんだい? 王子が眠っている間に、少しでも仕事を進めたかったのかい?」
仕事というのが、人形の機能停止のことなのか、それとも破壊活動を意味するのか……彼女にとってはどっちでもいいのでしょう。エルフが森を守るために活動し始めていることも、想定の範囲内だったようです。
「せっかく若い男手が三人もいることだし、一つ大仕事を頼まれてくれないかね」
彼女の申し出に、三人は気まずげに視線を泳がせるだけでお返事しません。長老様からお尻を叩かれてここへ来た方々ですものね、乗り気じゃないですよね。しかし、話の主導権を握っている彼女には関係ありません。にやりと、長老様を見下ろします。
「それじゃ、この若いやつら借りてくよ。三人とも、ついておいで。ああ、そうだ、名前を教えてもらうよ。どこの誰かがはっきりわかれば、サボリにくいからね」
サボられること前提とは。そしてそれをはっきりと口にしてしまうとは。彼女に敵う人などいないのではないでしょうか。
妖精は気を許した相手でないと、なかなか本名を明かさない傾向があります。明かす際は、出身地も付け加えて名乗ることがありまして、その土地を大事に思っている妖精に多く見られる特徴なのです。
「星座の森のウェルデンだ」
白いローブを着たエルフが自己紹介しました。白と言うより白銀色のマントですね。お肉の焼き加減の一つ、ウェルダンと間違えそうです。
「同じく、星座の森の、アデニス」
不器用に名乗ったのは、白銀色の甲冑で武装したエルフ。アドニスと間違えそうです。
「俺も星座の森の、ヴェラネリオンです」
最後の旅人風のエルフさんが、一番覚えにくい名前でした。
エルフ族のお名前って、不思議な響きですよね。いまいち馴染みがなくて、ほんっとに覚えにくいです。
ちなみに長老様のお名前は、ルドヴァーンです。覚えなくてもいいですよ。長老様のことは引き続き「長老様」とお呼びしますので。
「ふうん、いい名前じゃないか。エルフの食べ物だか、英雄の名前だかをもじったんだろうね」
彼女のコレは元々の性格なのか、それともエルフ族のことがあんまり好きではないのか、どちらにせよ誉められた発言ではありませんでしたね。三人組も始終良いお顔はしていませんでしたし、これはまた、私が間に入って取り持つ羽目になるんだろうなぁと、うんざりしましたね。
はてさて、彼女は彼らの名前を把握して、いったい何をするつもりなのでしょうか。あ、もちろん、ストーリーテラーの私は、知っていますよ。彼女との出会いは、私個人的には今でも良くないもののように思えますけれど、でも、彼女が楔を打ち込んでくれなければ……王子を失うことになっていたでしょう。優しすぎる私たちだけでは、きっと何も、進められなかったと思うんです。
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