第四章

第32話   私が終わらせねばと思っていました

 この時の私は、ああやってしまった、の一言に尽きました。

 気力的に力尽きてもおりましたし、王子のいる小屋からできる限り離れていようと、さらには永久に視界にも入れずに、この悲しみをバネにして勢いを保ったまま、残りの住民を、と思っておりました。


 そうすれば、王子が苦しまずに済むのだと思っていたんです。


 しかし、頭の中だけで計画を立てることと、実践することは、使う気力も体力も違いました。そもそも、王子がどこまで作業を進めたのかもわかりませんし、この真っ暗な夜の街で、どのおうちに稼働中の彼らが住んでいるのか、さっぱり区別がつきません。


 耳をすませてみます。

 すると、わずかに、物音が。しかも最寄りのお店の中から。


 もう乱心した殺人鬼ですよね。


 自分でもそう思いながら、なんのお店かもわからないまま、お店に入っていきました。店じまいの最中なのか、暗闇の中で誰かが動いていました。私は体が光っていますから、相手から丸見えです。陽気な声で挨拶されて、私は、とてもそれ以上の行動は取れませんでした。


 慌てて、外に出てきました。


 そして無力な自分に、失望して、お店の壁際でうずくまっていました。



 魔力の渦という言葉は、以前にも出てきましたね。あれは風の流れにも似ています。魔力の動きは、静かな場所でじっと耳をすませたり、全身で風の流れを探るようにして、感じるのです。うずくまっていた私は、無意識にそれらを探っていました。さながら、不自然に閉じ込められた環境で吹きすさぶ、暴風。街を巡回していた魔力が、流れる道を失って駄々洩れになり、好き勝手に所せましと走り回っていました。


 強い異変を感じた私は、もう一度立ち上がって、さっきのお店の中へと、入っていきました。今度は「すみません、大丈夫ですか?」の一言付きで。


 お店の中で、うごめくものがありました。倒れたまま不思議そうな顔で私を見上げる、おじさんがいました。彼は靴屋さんでした。靴を修理したり、木型を使って靴を作ったり、たまに革屋さんが彼を訪ねて、靴と革を交換しているのを見かけたことがありました。その彼が、直立したような姿勢のまま、倒れているのです。


 彼は、気づいたらこうなっていたのだと言いました。起こしてほしいとおっしゃるので、迷わず手を貸して助け起こそうとしました。しかし、おじさんの身に力は入らず、それどころか起きようとする体の動きもありません。本当にただ、横になっている状態のままなのです。

 それがおじさんの意に反して起こっているようで、きょとんとされていました。


「きっとお疲れなんですよ、おじさん。そのまま、少し横になっていたらどうですか? お客さんも歩いていませんし、誰にも気づかれませんよ」


 私には、そう言って作り笑顔を浮かべることしか、できませんでした。



 この街の中で、長く作業ができないのは私も同じでした。いろんなことがあって、すっかり気分が落ち込んでしまった私は、街から出ると、ものすごくほっとしていました。


 木に登って、夜風に長い金色の髪が揺れるのを、眺めていました。せっかく王子のお菓子を拝借したというのに、いざ思い切ったことをやり遂げようとするのは、想像以上に恐ろしいことでした。と言うより、恐ろしいことをやろうとしているのですから、覚悟も生半可なものではいかなかったのでしょうね。それと、慣れも必要だったのでしょう。つまり当時の私にできることは、なにも無かったのです。


 悲しかったですね……自分は何をやっているんだろうかと、自問自答しながら泣きました。王子を無駄に傷つけただけじゃないですか。そこまでした意味を、自分で台無しにしてしまいました。



 きっと遠くの街からでしょうね、鶏の鳴き声が聞こえて、私は目を覚ましました。木の上で一晩過ごすことは、小さな体ではよくある事でしたけど、大きな体のままで眠ったのは初めてでした。もう体がばっきばきに痛みましたね。寝返りが打てないというのは、こんなに体に悪影響を及ぼすのだと初めて知りました。


 しかも、誰かが不思議そうな顔して私を見上げています。王子のシャツ一枚しか着ていない私を下から眺めていたのが、女性の方でよかったと思いました。


 風変りな恰好をした女性でした。黒い狼の毛皮は頭部までぶらさがっており、黒く艶やかな革製の着衣は、体の線がはっきりと見えてほとんど裸みたいに見えますし、それも申し訳程度の範囲しか肌を隠していませんでした。色白な女性ですが、それらがかすむほど黒い蛇柄の縄のような入れ墨を全身に施していて、長い黒髪には虹色のメッシュが入っていました。


 お顔は、たぶんきっと美人なのでしょうが、両目を黒々と太いアイラインで囲っているせいで、穴の奥から白目が浮いているみたいに見えましたね。


「お、おはようございます」


 木の上から失礼して、私は一礼いたしました。


 女性は私をしげしげと観察した後、黒いリップで怪しく光る口でニヤッと口角を上げました。鋭い眼光は、まるで獲物を狙う鴉のようです。


「あんた、イセラかい? 人間の服を着ているようだけど、なんかワケありだね」


 なんと彼女は、私を知っていました。おそらくは記憶を失う前の私と、交流のあった人なんだなと、当時の私は思いました。しかし怪しい雰囲気のお姉さんです。記憶喪失の件は、隠しておこうと思いました。とりあえず、話を合わせておきます。


「あの、お姉さんは、ここへ何をしに来たのですか? この先は、その、危険なことになってると、思うんですけど」


「わかってるさ。あたしはこの街を管理してるってヤツと話しに来たのさ」


「え?」


「あんたも妖精なら、気づいてるだろ? 街に魔力が溢れちまってるのが」


「は、はい……」


「今のままじゃ、いろいろとまずい。多少は魔力を吸収してくれる周囲の自然も、枯れちまってるしさ。行き場のない魔力が固まって石になったり、勝手に魔法になって暴発したりして、危ないったらないよ。山火事にでもなったら、誰が責任を取るのかね」


 黒手袋越しに両腕を組むお姉さん。大きな胸が持ち上がります。私は全体的にすらっとしているのであって、けっして貧相というわけではありませんよ、猫さん。


 管理しているヤツ、とお姉さんは言いましたね。王子のことだと思いました。


 お姉さんは歩きだし、街の入口までやってきました。心配だったので私も木から飛び降りて、ついて行きましたね。お姉さんは、王子が再度鎖でぐるぐる巻きにして閉鎖している街の入口前で立ち止まると、また腕組みして、体全体でじっと、街全体を読み取っているような雰囲気でした。目を閉じ、静かに耳をすまし、私の呼吸すらお邪魔になっているような集中ぶりです。


 お姉さんは目を開きました。


「花屋の女の気配がないね。あんた、何かあったか知らないかい」


「花屋さんですか? ええっと……今は、お休みになっているかと」


「はぐらかさないでいいよ。あたしはこの街のこと、詳しいからね」


 王子とどのようなご関係の人なのかと疑問に思いながらも、私は正直に話すことにしました。嘘をついたって、この人は真相を確かめに一人で花屋に赴いてしまうだろうとも思ったからです。


「昨日のことです。彼女を大切に想う人の手によって、機能停止されました」


「そうかい……。それを強く反対したり、誰か止める者はいなかったかい?」


「いいえ? むしろ皆様、協力的でした」


 お姉さんは腕を組む手を組み替えて、また思案に耽ります。


「そうかい。それじゃあ、この街の仕組みについて知っているもんは、誰もいなかったわけか……」


「仕組みって、なんですか?」


 不安のあまり、私は尋ねてしまいました。お姉さんが鼻で笑います。


「あんた、がんばって話を合わせてるようだけど、記憶はどこに落っことしてきたんだい?」


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