第30話 近隣の国から苦情が
王子の壮絶な体調不良の原因が、やはりこの街の空気であることを再認識した私は、王子が部屋に戻ってくる頃には、もとの杭に鳥籠を固定して、何食わぬ顔で座っていました。
「王子、どちらへ?」
「トイレが外にあるんだ」
「そうですか〜」
お手洗いにも間に合わずに、うずくまって吐いてしまったと。空腹を感じないほどお腹に、黒いものが……。人間の体で耐えられる限度を越えていると思いました。
一刻も早く、王子のために何かをしないと、永遠の別れが早まってしまいます。
王子は棚の上に手をのばすと、焼き菓子の入った缶を下ろしました。蓋を開けて、私にも一枚、分けてくださいました。王子は食欲がないようで、時間をかけて三枚食べると、何も言わずに寝台に腰掛け、そのまま横になって眠ってしまいました。
弱っている王子を眺めているだけだなんて、耐えられません……。
以前、猫さんにお話しましたね、私のすごい秘密を。
食べたお菓子を、魔力に変換できることを。
私は、鳥籠の中のなぞなぞに、答えることにしました。どれもこれも、今の私には迷いなく選べる真実ばかり。あっけなく答えのボタンを押して、鳥籠の中の歯車や複雑な仕掛けが動いてゆく気配に、王子が起きてしまわないかと、じっと耳をすましていました。
……王子は、起きませんでした。よほどお辛かったのでしょう。
さあ、私の入っていた鳥籠の蓋が、針金とバネの勢いに任せて大きく開きました。久々に、私は羽を広げることができました。一歩宙に踊りだし、羽をはばたかせて、少しその場を旋回して準備運動! 絶好調です、王子の焼き菓子のおかげでしょうね。
私には、もう少し甘い物が必要です。一枚だけでは体が大きくなりません。と言うわけで、寝ている王子の上を通過して、棚に置かれた缶に接近。パカッと蓋を開けてしまいました。
え? ネコババ?
まあ、見ようによっては、そうですね。でも、王子のためならば必要な経費です。二枚食べると、二枚分、体が大きくなりました。緊急事態により、全部食べましたので、王子より少し小柄なくらいの身長になりましたね。
え? 私の着替えですか?
ご安心を。ちょうど壁掛けハンガーにかかっていた白いシャツがありましたから。着てみて思ったのですが、王子は着やせする人なのか、かなり大きなシャツでしたね。私が身につけたら、ミニスカートのワンピースになりました。
さて、これからが大勝負です。
私はこっそりと扉の内鍵を外して、外へと出ました。真っ黒な街は、夜だと何も見えませんが、なんとなんと、私は選ばれし『光の乙女』なのです! 妖精のときと同じように、白く輝いております。さすがに辺り一帯までは照らせませんが、自身の足下ぐらいならば不足はありません。
……はい、私が何をしようとしているのか、猫さんにはわかりますでしょうか。
王子が倒れている間に、私が、一人でも住民さんを……そう思ったのです。昼間は鳥籠の中で眠っていればいいのですから、夜番は私の担当ということで、効率化をはかろうとしたのです。
少しでも王子の心労を減らしたくて。たとえ、これが王子にとって余計な事だったとしても、これが原因でケンカ別れとなってしまっても、私は……少しでも彼を楽にしてあげたかった。
と言うわけで、乙女が一人で真夜中の外出です。私の他に光源はなく、星も月も、今日は見えません。いつぞやか王子が星座を学んでいた頃の空は、そこにありませんでした。
春は風が強く、山が鳴りました。きっとそのせいです、私が侵入者に気づくのが遅れてしまったのは。
遠くから松明を掲げた人間が、歩いてくるのが見えました。彼らは、光っている私を目印に近づいて来ていました。
「この女、妖精か?」
そんなエルフ語が聞こえました。人間さんのようでしたが、妖精を見ても驚かず、エルフ語を使って私に尋ねているあたり、魔法に詳しい人々のようです。
「こんな呪われた土地に、ずいぶんと高位な妖精がいたものだな。おい妖精女、この場所を早くどうにかしろ。我々は偵察に来た者だが、明日には軍の者を派遣するぞ」
軍ですって、猫さん。いよいよ大事になってきました。
私は恐ろしかったですが、詳しく彼らに事情を尋ねました。彼らは焼き討ちに来たわけではなく、本当にただ偵察に来ただけだそうです。炎の明かりに照らされて、彼らの軽装備な革の防具に、どこか見覚えのある焼き印が見えました。
彼らはお隣の領土の人でした。ごくまれに、この街でもお見掛けしたことがありましたね。この街の王様に用事があるのか、お城へと上がってゆく後ろ姿を覚えています。
どうして昼間に来なかったのかと私が質問しますと、昼間に魔法でドンパチやっている音がしたから、近づかなかったそうです。彼らは望遠鏡なる物で我々を遠くから観察していたそうなのですが、エルフ四体に、妖精を檻に入れたナゾの青年の姿にと、第三者から見たら私たちって近寄りがたいってレベルじゃありませんでしたね。
そんなわけで、彼らは家に入ったばかりの王子を訪ねるために、こうして松明を持ってわざわざ会いに来てくださったそうで、そこへ偶然にも私と遭遇したと……。
彼らは私に用事があるわけではないそうです。ここの管理人的立場の人と話しがしたいそうで、返答したいでは、このまま戦闘になるだろうとのことでした。すぐに制圧に来たわけではなくて少しだけ安心しましたが、王子は今、寝ています。
起こしてこいと、強い口調で命令する彼らに、私は少々むっとしながらも、冷静な対応を努めましたとも。
「王子は今、ご体調が優れずお休みになっています。ご用件は、明日の朝かお昼に、お願いいたします」
「なに? 管理人的な立場の人間でも、手に負えなくなっている事態なのか。ではもう、管理人として扱うことはできないぞ。おい妖精女、詳しいことは我々のもとで話せ。ここだと我々も動きにくい」
「ええ? 私には、王子のお側に付いているという大切な役割があるので、できません。申し訳ありませんが、明日の朝か、お昼にでも――」
至極丁寧に対応しているというのに、彼らは私を捕まえようと、じりじりと接近してきました。この暗闇ならば、逃げおおせるでしょう、私のように体が輝いていなければの話ですが。
私の魔法ならば、彼らを吹き飛ばしてやることも可能だったでしょうが、相手は軍がどうのと言っておりましたので、大群を率いて制圧に来たらどうしましょうかと、その一瞬の迷いが命取りとなりました。逃げ遅れた私は、彼らが前方に投げてきた松明に驚いて転んでしまい、両腕を掴まれてしまいました!
「離してください! これが女性に対する作法ですか!?」
「お前は人間じゃなくてバケモノだから手加減は無用だ!」
「バケモノ!?」
こんなひどい言葉を、初対面の野蛮人から言われたんですよ? 力の限りに両腕をぶんぶん振って抵抗しましたとも。
あわや連れ去られそうになったその時、意外な人が助けてくれました。さっきまで寝ていた王子です。
「何をしているんですか!」
臆せず大接近してきた王子に、周囲が沈黙しました。
「お話なら僕がうかがいます。だから彼女を離してください」
彼らは少し戸惑いながらも、私を解放しました。丁寧さの欠片もなく、いきなり腕を放されたので、私は地面に顔面から突っ伏しました。肩を持って助け起こしてくださったのは、王子だけでしたね……。
彼らの訴えによると、この付近にある国の不作の原因が、この街の瘴気が原因で起きたとおっしゃるんですね。
「その因果関係に、根拠はあるのでしょうか」
「収穫した野菜が真っ黒だ。焼いて食べた者が、熱病にかかって今も治らない」
王子が眉をひそめています。あらゆる黒い災厄を、全く否定できないのが、おつらい点ですよね。
「幸い、ここは小さな街のようだ。制圧するなら簡単だろう。我々のもとには、浄化に長けた術者が来ている。旅の女だが協力的だ。明日にでも、その女を連れてくるつもりだが、何か意見はあるか」
「浄化に、長けた術者……?」
この時の王子が反応するのも、無理はありません。この街とゴーレム人形が浄化されたら、もう少しだけ、この街の中で思い出とともに暮らせるのですから。
王子の反応に、好機を見出したのでしょう。まばらにうなずく偵察隊の方々。
「ああ。明日の朝にでも、ここに到着する予定だ」
「その人と、話しがしたいです。機会を設けてもらえませんか」
少しの希望にすがっている……王子の横顔は、まさにそれでした。
私も、王子の判断に従いました。そして心のどこかで、王子の笑顔と機嫌ばかり取ることに、違和感を抱くようになっていました。
私は、本当にこのままでいいんでしょうか……。記憶を失う前の私と、今の私は、同じことを繰り返そうとしてはいないでしょうか?
苦しい自問自答が続きました。今でも、これで良かったのかと、悩んでいます。
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