第29話 お昼ご飯がいらなかった理由
それからは、どうにもこうにも、筆舌に尽くしがたいやり取りが続きました。皆様、朗らかに王子を出迎え、いつも通りに仕事を請け負い、限界に近いその身を駆使して、最高傑作を完成させてくださいました。
この国を作り出した王様は、腕の良い職人さんばかりを選定して連れてきたようですね。
さて、王子と私にとっての、一日の終わりが迫っていました。ただでさえ瘴気まみれで薄暗い街ですから、日が暮れての作業は危険です。足元に石があっても見えませんもの。
王子が皆様に休憩を提案しました。エルフたちは、こんな汚らわしい場所で寝られないと言うので、明日また合流することにしました。仮にも私と王子の大切な土地だと言うのに、汚らわしいときっぱり言い切る彼らの尊大な態度には、少々うんざりする時がありますね。
デリカシーの欠片もない殿方どもが帰ってゆく後ろ姿を見送りまして、私は鳥籠の中から王子を見上げました。
「私たちも、拠点にしている建物に戻りますか?」
「そうだね」
王子はお兄さんを見上げました。
「お兄さんは、宿の当てはありますか?」
「心配するな。それより、王子は何か食べたか?」
話題が急に食べ物に変わりました。そう言えば、私は王子が昼食を摂った姿を見ていません。王子も、今まさに気が付いたとばかりに、ご自身の腹部に片手を当てました。
「……すっかり忘れてた。ああどうしよう……」
そうつぶやくのが聞こえました。私は王子の体調をうかがう質問を幾つか投げましたが、「大丈夫」「対処なら慣れてるよ」と返ってくるだけでした。
お兄さんも、どこかに作ってあるという拠点へと帰っていきました。
王子の顔色が良くありません。この街の薄暗さが肌に反射しているだけなのかと思って、気にしていなかった私の落ち度です。
王子は私の入った鳥籠を抱えて、拠点としている小屋へと戻り、鳥籠を壁の杭に引っかけて吊り下げました。
「ちょっと出てくるよ……」
そう言って、お独りで外出を。
開閉する扉の音と、去ってゆく王子の足音をしっかりと確認した私は――ついてくるなとは言われませんでしたし、王子の行方が気になったので、あ、いえ、王子の身辺を片時も離れず護衛するのも従者のつとめと心得えておりましたから、鳥籠ごと、浮遊しました。
ふふ、驚きましたか? 猫さん。
王子がくっつけてくれた、鳥籠を浮かせるための紙風船があったでしょう? あれ、まだ付いていたんですよね。花屋のお姉さんは、なぞの紙風船も込みで、よく似合う花を選び、装飾してくれました。そして今の私は、外出中の王子に気づかれないようにこっそりと、紙風船に魔力を注いでぱんぱんに膨らまし、鳥籠を意のままに浮かせて杭から外させると、ふわふわ浮遊しながら扉の隙間から外の様子をうかがいました。
……王子が昼食を抜いていても平気そうだったのは、お話しましたね。
彼のお腹に溜まっていたのは、黒いドロドロでした。小屋の隅の植木鉢の影に、王子がうずくまって大量に吐いていました。
……やはり、瘴気には近づいてはなりません。王子は私を心配させたくないあまりに、元気がなくても無理を押して、勤めを果たしていたのです。
このままでは、王子の身が危うくなります。どんなに崇高な仕事でも、大事な人が命を犠牲にしてまで挑む価値があるようには思えません。王子にとっては、何よりも大事で価値があり、意味がある勤めなのでしょう、しかし私にとっては……これは私の身勝手でしょうか、従者として最期まで主人を支え続けられない私は、従者失格でしょうか。このまま王子の経歴を華々しく飾って命を散らせてゆくのが、私と王子にとっての幸せなのでしょうか。
――きっと記憶を失う前の私は、それを良しとして王子を手伝ったのでしょう。
その結果が、この有様です。
ああ、以前の私の、なんと愚かなことでしょうか。貴女がするべきは、王子に嫌われてでもこの街をあきらめて避難してもらうように説得することだったのです。瘴気の恐ろしさは、妖精である貴女が一番よく知っていたはずです。純粋清らかな場所でしか生きられない貴女が、大事な王子様を、穢れた場所で身を削らせてまで働かせることを美徳とした、己の保身の欲深さに反吐が出る思いです。
王子に仇なす存在は、たとえ過去の私でも、許されません。
王子は永久に、私を恨むでしょうか?
この国と運命を共にできなかったことを、私のせいにするでしょうか。
もう戻ってきては、くれないのでしょうか。
彼にとっての命の価値と、私にとっての王子の価値は、大きくずれてしまったのでしょうね。
猫さん、私はあと二年くらい、この拠点で人間の暮らしを学びながら、王子を待ち続けていたいと思います。それで、もしも、ああお戻りにならないのだと、私が悟ってしまった、そのときは、私も猫さんのように、ふらふらとどこかへ、旅に出ようと思います。きっとどこかに、同胞とよく似た妖精の群れがあるでしょうから、そのお仲間に入れてもらおうと思います。
独りは、寂しいですからね。
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