第18話   結界の中には

「そろそろ、休憩しようか。ずっと瘴気の中で、きみも疲れただろう。光の妖精であるきみがこんなところにいるのは、負担がかかるもんね」


 私のがんばりに気付いてくださいました王子が、最寄りの空き家で休憩しようと、ご提案を。


 ……最寄りの空き家ですよ?


 この瘴気まみれの中、その部屋だって瘴気に染まっているに決まってるじゃないですか。当時の私は、この気が利くんだか利かないんだかの王子への反応に戸惑い、とりあえず、うなずいてしまったのです。


 後悔しても、時すでに遅しです。王子は銀の鳥籠を大事に両手に抱えて、本当にすぐそこの小振りな建物に、入っていってしまいました。


 戦々恐々、王子に運ばれるままに室内へ……意外なことに、室内は清らかな森林のように生気に満ち溢れ、空気は清々しく澄んでいました。


 どういうことなんでしょうね。


 当時の私もそう思い、部屋を見回すと、大きな翡翠の石が、部屋の四隅に飾られていました。よく見ると、何やらエルフ文字で書いてあります。


 どうやら、瘴気避けのおまじないのようでした。


 おまじないは、しょせん、おまじない程度。魔力の低い者が実行しても、気持ち程度の効果しか発揮されません。


 たった四つの石で、部屋を丸ごと浄化できるなんて、そこそこ長く生きてきた私でも、理解が追いつきません!


 これはもう、結界の領域ですね。


 私はこのとき、王子の魔力の膨大さに、違和感を覚えました。私も魔法を研究する人間には、何人かお会いしたことがあるんですよ。いずれも妖精を捕まえて、怪しげな研究に使おうとする人たちでしたから、全力で逃げましたけど、彼らの中にも、魔力が渦巻いているのを感じました。


 かたつむりの殻ほどの渦巻きでしたけどね。


 その方々と比べて、王子の中にある魔力は、まるで人の力では持ち上げられない大きなお鍋に満タンに入ったスープでした。魅力的に輝くスープを、常にぐらぐらと煮立たせているかのようです。


 王子の体は小柄なほうだと思います。体も痩せており、ぱっと見はそのような魔力貯蔵庫には見えませんが……いったい体のどの部位から、魔力を生み出しているのでしょうか?


「ここでしばらく休むといいよ。気分が乗ってきたら、また外に出てみようね」


 王子はそう言って、机に鳥籠を載せました。


 また外に出るんですか……まぁ、ここにいても、問題は解決しませんからね。


 私はもっとよく周りを観察しました。椅子、書き物机、あとは戸棚にクッキー缶が三つ並んでいました。手作り感漂う硬そうなベッドに、毛布が適当にかかっています。

 本当に簡素な施設でした。


「うーんと、あと何人残ってるんだろ」


 王子が壁にかかっていた暦表のような物を眺めていました。手作りなのか月日の並び順が独特で、大変読みづらく、予定はびっしり書き込まれ、その隙間に小さく、人の名前も書き込まれています。


 これは、もしかして……。


「王子、そこに書かれている人の名前は、機能停止した方々のものですか?」


 尋ねてみると、王子が振り向き、少し目を泳がせながら、そうだよ、と肯定しました。


 私は王子に、あと何名が残っているのかを聞きました。すると、あと五十人という、驚異的な数字が返ってきました。


 この国には五百名以上の皆様が暮らしていまして、王子はなんとほぼお一人で国民を眠らせてあげたということになります。


 なかなか、やりましたよね。私はてっきり、まだまだ二十名ほどしか停止できていないのかと思っておりました。


 王子は国民お一人に対して、四時間もかけて丁寧に見守るお人です。誰かの手を借りなければ、そこまでの大人数をお一人でこなすには、さぞ気が滅入ったことでしょう。


 私はここで、気付きました。あの輝いていた幼い王子が、なぜにこんなにやつれてしまったのかを。


「王子、大変お尋ねしづらいのですが、何年前から、この作業に着手なさっているのですか?」


「五年前だよ」


 五年? 五年前から、この作業を?


 私は計算ができる妖精なのです。王子が国民一名につき四時間もかかるやり方で機能停止するとしたら、一日に四名から三名はできます。


 これを百日、つまり約三ヶ月間、休日を取らず実行し続ければ、四百名から三百名を、たったの三ヶ月間でこなすことになります。


 つまりは、五年も時間はかからないわけです。かなり合理的な意見ですがね。


 気の塞ぐ作業です。王子は何日も、この街に近寄れない日もあったのでしょう。ですが、そのせいで瘴気が濃くなったのであれば……これはエルフの皆様も、時間のかけ過ぎだとお怒りになるわけです。お優しい王子の気持ちもわかりますが、のんびりしていたら森の奥深くの木々にまで、瘴気の悪影響が出てしまったようですから。


 記憶を失う前の私は、何をしていたのでしょうか? 私のことですもの、身を粉にして王子を手伝ったはずです。


 ですが、私が手伝ったのなら、とっくに事が済んでいる気がするんです。だって二人で協力して仕事するんですよ? それでこの速度は、遅いですよね?


 王子に聞いたら教えてくれますでしょうけど、今は誰かの言葉よりも、私は自分自身が何かをおこなったという、確かな証拠が欲しかったのです。どこかに記憶を失う前の私の功績が、転がっていないものかと、あちこち見回しましたとも。


 猫さんに先のことをお話ししてしまうとですね、その部屋の中に、あるんですよね。


 王子にエルフ文字を教えたのは、記憶を失う前の私だったそうです。なのであの部屋の四隅にあった翡翠のおまじないは、私が王子に教えたものでした。


 そしてもう一つ……。


 鳥籠の中の私は、机の上に、木製の小箱が置いてあることに気付きました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る