第10話   王子の住んでいた街

「よーせいさん、ついてきてるよー!」


「ええ? もう、どこにいるの?」


 王妃様は困り顔で、何度も後ろを振り返りますが、簡単に見つかる私ではありません。出店のカウンターの陰や、民家の玄関を飾る植木鉢の後ろなどなど、隠れる場所は、いくらでもありました。


「いらっしゃい、今日はイチゴとクリームのパンケーキがおすすめだよ!」


「新鮮なお野菜はいかが〜?」


「ちょうど今、新作のパンがこんがり焼けたところだよ! 一口どうだい!」


 美味しそうな匂いに、店員さんの元気な売り声、思い出すだけで、うきうきしてしまいます。


 私のお目当ては、この街の端っこにひっそりと店を構える、お菓子屋さんです。いつも新聞を読んでいる丸眼鏡のおじいさんは、私が妖精であるにも関わらず、小銭と引き替えに、キャンディやクッキーを売ってくれるのです。


 え? 割れたキャンディの欠片カケラとか、クッキーのカスを、騙されて買わされている、ですって? いえいえ、ちゃんと等価交換が成立しておりましたとも。


 なぜならば、お店でお買い物をするときの私は、今のように大きな姿をとっておりましたから! ちなみに食べた物とカロリーは、すべて魔力に変換しております。おかげで、もとの大きさに戻っても、食べた物でお腹が破裂することはございません。


 この効率的な循環機能を、何かのお商売に使えないかと考えたこともありましたけれど、絶対に悪い人間に捕まって家畜のような扱いを受ける日がきそうだったので、あきらめることにしました。


 いくらお菓子が食べ放題でも、自由と引き替えにはできませんものね。


 昨日食べたお菓子パワーで、私は人間の女の子と変わらぬサイズに変身しました。さすがに洋服は、妖精サイズの物だと入りませんので、どこかの民家の洗濯物からお借りしました。


「あんた、また来たのかい。ごくろうなこって」


 と言いつつ、おじいさんは嬉しそうでした。



 え? お金はどうやって手に入れたのか、ですか? それは聞かないほうが賢明かもしれませんね。ほんのちょっと、お店の帳簿にズレが生じていたとしても、それは妖精の仕業が全てとは限りませんもの。



 さて、王子と王妃様がお夕飯のお買い物をしている間に、私も私で甘い物を楽しんでいると、なんとなく、この街の雰囲気に似合わない男性を発見してしまいました。


 見てくれは物静かで、作業着にもなりそうな動きやすい服装に、少し上質な黒の上着をはおっていました。真夜中の空気のように、しんみりと周りに溶けいっていて、なんというか、薄気味悪い感じのする人でした。


 彼が今後、何か大きな事件を引き起こしても、誰も彼の仕業だとは考えない……そんな気がしました。目的を持って生きているはずなのに、影のように気配が薄いのです。


 念のために言いますけれど、私たち妖精は、好きで逃げ隠れするために気配に敏感になったわけではありません。人間に捕まった同胞が、二度と戻らなかった過去から学び、人間の気配だけは異様に察知しやすくなっているだけで、けっして臆病とか、弱虫なわけではないのです。


 その妖精である私が、あの男性にだけは、異様な影の薄さを感じました。さらに彼は私の視線に気がつくと、さらっとお店同士の隙間に隠れて、それきり姿をくらましました。


 忠義に厚くて健気けなげな私は、あれは王子を誘拐して身代金の請求をもくろむ悪党に違いないと確信しました。


 え? 発想が飛躍しすぎですって? いえいえ、人間の欲しい物といったら愛の次にお金と相場が決まっています。だって美味しいお菓子や、可愛いリボンが買えるんですよ? 絶対に欲しいに決まっています。


 そして、お金を請求するんでしたら、お金を持っている人からでしょう。つまり、王族です。王族からどうやってお金を請求するのかと言えば、大事なモノとの交換でしょう。お菓子とお金を交換するように、可愛い王子とお金を引き替えるならば、どれほどの金額になるのか計算が追いつきません。


 以上をもって、私の発想は飛躍でも思いこみでも、なんでもないことの証明を終了します。


 えー、話が脱線したような気がしますが、気にせず続けます。

 私は王子のもとへ、人間の大きさを保ったまま、駆けつけなければなりませんでした。いざとなったら私が、王妃様を安全な場所へ避難させて、恐怖で立ちすくむ小さな王子を抱っこして、お守りしようと思ったのです。


 思ったんですけれど……その日はどうしてだか、その後の記憶が、残りませんでした。私は王子に会えたのでしょうか。あの不気味な男性は、どこへ行ってしまったのでしょうか。


 いろいろなことが記憶に無いのは、大変不安になります。それは今でも変わりなく、思い出せない自分自身に、背筋が寒くなります。


 このような記憶の異変が、今後何度も私を襲うことになろうとは、このときの私にどうして予想できましょうか。


 不安な日々の、幕開けでした。


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