第9話   街までお散歩です?

 おかえりなさい、猫さん。三日ぶりですね。うららかな昼下がりに、黒猫さんはよく目立って可愛いです。


 私は一人で、ずーっと家事だのなんだのを、こなしていましたよ。掃除は、ほんのちょっと手を抜いてしまいましたけど、これはあなたの帰りを今か今かと待ちわびるあまりに、玄関の外で座っていたせいです。私のせいではありません。


 さて、あなたがお戻りになったということは、私の話を聞きたいという何よりの証拠です。


 それでは、さっそく再開いたしましょう。


 彼が不器用に提案した、お散歩デートの話を。



 彼は私に、何かを思い出してほしい様子でした。そのために半裸から素朴そぼくな衣服に着替え、朝の身支度みじたくを終えたあとは黒こげのパンをホットミルクでのどに押し流し、私の入った鳥籠を両手に持って、蝶番の錆びた扉からお外へと、歩きだしました。


 私はそのとき、初めて小屋の全体を眺めることができました。これと言って特徴のない、ああ、でも、四角い窓がでっかいですね、大きな窓が特徴的な、質素な小屋です。


 本来は住居ではなく、冬に備えて木材や食料を大量に保管しておく場所だったのでしょう。正直に言うと、この家は住みづらいです、はい。


 お部屋は二つしかなくて、狭いですし、特に窓が大きすぎて不用心なのです。これは後から彼に聞いた話なのですが、この小屋にはもともと窓がなく、暑くてたまらなかったので、ノコギリで切ってしまったそうなのです。


 つまり素人しろうとの日曜大工でこじ開けた、穴。美意識の高い私が違和感を覚えるのも、仕方のないことでした。


 はい、話を戻しましょう。


 私は揺れる鳥籠の中から出ることもできず、ただただ成り行きに任せて、彼に運ばれるままとなっていました。


 なんだか、見覚えのあるような、そうでもないような、雑草でぼうぼうに荒れた草原が広がっています。以前はここに、美しい花畑が一面を飾っていたはずなのですが、似ている地形の、全く別の場所を歩いているのでしょうか?


 おかしいですねぇ、この既視感きしかん。けれども、たった一日だけ鳥籠に閉じこめられていた間に、花畑が全滅し、しげる緑の雑草に支配されてしまうなんて、妖精の私が言うのもヘンですけど怪奇現象ですよね。


「きみたちが大事にしていた妖精の花畑、綺麗だったよね。今はもう、枯れちゃったんだけど」


 花畑が! 枯れた!?


 彼の衝撃的な発言に、我が耳を疑いましたとも。


 このときの私には、すでに青年のしゃべっている言葉が、理解できるようになっていました。まだお互いに言葉をやりとりできるほど、信頼してはいませんでしたけど、青年の言葉を一方的に聞き取ることは可能になりました。


 彼は草原を歩き続け、途中で腕が疲れたと言い出して、鳥籠を地面に置いてしまいました。しばらく雨が降っていないのか、乾いた土埃が舞います。


 雨ならば、数日前に降っていたのですが。雨上がりの花畑は、それはそれは綺麗なのですよ。お花が喜んでいて、どこにでも飾りがいがあるというものです。


「うーん、寝不足のせいかな、体がだるいや。街までは、まだ少し距離があるから、コレを使って籠を飛ばすね」


 彼は上着の内ポケットから、畳んだ分厚い紙を取り出すと、口元に持ってきてフーッと膨らましました。紙はみるみる、丸みを帯びた球体となり、彼の手をふぅわりと、離れそうになりました。


 紙の球体は、まるで何かを運ぶためのようなフックが付いていて、彼はそれを鳥籠のてっぺんに装着。


 鳥籠がゆらゆらしながら、浮き上がります。


「これでよし、っと」


 よくありませーん!! なんですかこれは〜!?


 ああ、大きな声を出してすみません猫さん。つい、当時の状況を思い出してしまって、未だに夢に見ますし、つっこまずにはいられないんです。


 奇妙な風船に吊されて、ゆらゆらと不安定に揺れる鳥籠と私。これは、酔ってしまう予感がしました。早めに誰かと出会い、そして助けを求めねば、私はこの鳥籠の中で、生涯最大級の辱めに遭ってしまいます。


 鳥籠の隙間から、彼の横顔が見えました。憂鬱そうで、元気のない、陰気な感じのお兄さんです。ですが、その輝く金色の両目はしっかりと前を見据え、何か大きな覚悟を抱いているかのようでした。


 その両目が、パッと大きく見開かれます。私もつられて、前方を確認しました。


「あの木の門、鍵が壊されてる」


 丸太でできた柵と、重たそうな木の扉が、建っていました。コケとキノコだらけの古い物です。扉は木枠から傾いていて、雑草まみれの地面に、巨大な銀の錠前が落ちていました。


 彼は扉に歩み寄り、そして錠前を拾いました。錠前に付いた鎖部分が、切断されているように見えましたね。犯人は鍵穴を使わずに、錠前がつなぎ止めていた鎖そのものを、破壊していったようです。


「この鍵をかけたのは、僕だよ。昨日の夜に、もう一度立ち寄って、ちゃんと鍵がかかっているか確認したんだ。そのときは、こんなことになっていなかった」


 彼が表情を引き締めました。中に、入る気のようです。


「鍵を破った犯人が、中にいるかもしれない。きみは、ここで待ってて」


 彼は落ちていた鎖も拾って、鳥籠を二巻ふたまき。不格好に固定してしまいました。


「僕は、人殺しはしないと思う。でも、街の人にひどいことをしていたら、反撃するよ。そんな僕を、きみに見られたくない」


 せめて風船から下ろしてくださいな! ああ、春風が私をふわふわと、あっちへ連れていき、こっちに引っ張っていき。酔います〜、酔っちゃいます〜。このままじゃ自分の吐瀉物が、足元に広がってしまいます。この可愛い妖精に、そんな仕打ちをしていい人間がこの世に存在していいはずがありませんよね。


 なんとかしませんと……私は鳥籠内を飛び回り、必死で解決策を探しましたとも。そしてこの鋭い観察眼で、大変な好機に気づいたのです。


 この鳥籠は、エルフの銀細工という、魔力を伝導しやすい特殊な金属を加工して創られた最高傑作でした。これは素晴らしい物です。どれほど素晴らしいかは、当時の私のガッツポーズでおわかり頂けるかと思います。


 私は鳥籠に、己の魔力を注ぎこみました。存在そのものが魔法のような存在の私たち妖精は、人間の魔法使いよりは多分に有り余る魔力を誇ります。つまり、あの青年より、私のほうが上なわけです。えっへん!


 え? 鳥籠に魔力を注いで、どうやって脱出したのかですって? それは、こう、えっと……針金を、ぐにょんぐにょんに動かして、鎖から抜け出ました。ハイ、ソーデスネ、見た目は、よくありませんでしたっけね。もう忘れましたけど。


 鎖の呪縛から解かれた鳥籠は、風船が付いたままですから、さっそく風に翻弄されます。しかし、私だって自前の羽で飛びながら、鳥籠を内側から押すことだってできるわけです。大変な重労働でしたね。


 木の扉を固定していた木枠を飛び越えて、私は彼を追いかけてみました。気づかれないように、ゆっくり、ゆっくりと。


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