第一章

第1話   花を贈る意味

 特に予定のない普通の日にも、年に一度のお誕生日のときも、私のお仕事といえば、王子を笑顔にすることでした。


 お花をたくさん摘んでは、お屋敷のあちこちに隠します。王子のバイオリンケースに入れてみたり、彼のお気に入りの絵本の間に挟んでみたり。


 小さな王子は、毎日いろんなお花を見つけるために、広いお屋敷を走りまわっておりましたとも。それが本当に楽しそうで、私もやりがいというものを感じて、毎日充実しておりました。


 え? 他人の家に不法侵入して、さらに私物に花を押し込むことの、どこがお仕事なのかって?


 ふふ。『いにしえの契約』により、特別な名前を授かった乙女は、人の身の王子に仕えるよう決められておりました。私たちの一族は、王子が産まれるずっと前から、いろいろな国の、将来きっと王様になるご身分の王子に、花を献上するという形で仕えておりました。


 花はとても大事です。我々の拠り所、そして人と我々の共通の宝物。花の他に、私たちは人間の持ち物に惹かれません。


 あ、いえ、語弊ごへいがありましたね、きらきらした物は好きですよ? おやつが買える、小さなコインも好きです。でも、それらが無かった時代では、美しいお花を贈りあうことこそが、我々と人の契約であり、親愛の証でもありました。


 それで、私は花を。


 王子は、ご両親がご多忙のようで、きっと寂しかったのでしょう、そのうち、誰がこの花たちを置いているのかが気になってきたご様子、私は迷いました。もしも王子に発見されたら、羽の生えた小さなお人形だと思われて、怖がられたり、嫌われたりするかもしれません。そんな展開に、もしもなったら、私には耐えられそうにありませんでした。


 しかし、その迷いは、あっけなく吹き飛んでゆきました。


「あ! みつけたー!」


 カーテンの留め具にピンクのコスモスを挟んでいたときのこと、突然カーテンの下から、王子が這い出てきたのです。


 ふっくらとした桃色のほっぺに、秋の木々を思わせるような亜麻色の髪の毛。それと同色の瞳は、はっきりと私を捉えて、嬉しそうに笑っておりました。


 私はぶったまげ……いえ、失礼、大変驚きましたとも。たるんでいた己に喝を入れたくなりました。


 王子は私を捕まえようと、両手を振り回して追いかけてきましたが、子供に囚われる私ではございません。颯爽と上昇して、小振りなシャンデリアを飾る雫形の水晶に、はだしのつま先を引っかけて王子を見下ろしていました。


 ぴょんぴょんと飛び跳ねる王子。歯の抜けた笑顔でにやっとしたかと思うと、部屋を飛び出してゆきました。そして、


「おかあさーん! ようせいさーん!」


「ええ? 誰かいたの?」


「お花くれたー!」


 なんと、王妃様を連れて、戻ってきてしまいました。


 質問の答えになっていない、王子の嬉しそうな返答に、王妃様は不安そうに、眉毛を寄せておりました。きっとこの方は、妖精を信じていらっしゃらないのだろうと、このときの私は思いましたとも。


 王妃様はお部屋のあちこちを、探し始めました。カーテンの裏、ベッドの下、クローゼットの中、壁にかかった小さな上着のポケットの中まで。


 けれど、そこには誰もいません。王子は天井のシャンデリアを見上げて、いえ、私を見上げて、にこにこ。


 王妃様は一通り探し終えると、王子を見下ろして微笑みました。


「もう、いたずらっ子ね」


「へへ〜」


 王子はシャンデリアに掴まる私を見上げて、シーッと人差し指を、小さな唇に押し当てました。



「おとうさん、ようせいさーん」


「そうか、お前のところにも、妖精がきたのか」


「うん、お花おいてった!」


「どんな妖精だったんだ?」


 王様は小さな王子を片腕に掴まらせると、ぐいーっと持ち上げました。王子が声をあげてはしゃいでいたのが、今でも思い起こされます。


 ……ここまでで、おわかりになりましたね? 王子は、私を怖がったりしなかったのです。それどころか、ご両親を紹介してくださいました。さらには、自慢げにお父様にお話くださって。輝くような金色の髪がキレイだった、とおっしゃってくれました。


 王様は妖精に会えなかったそうですが、王子がお産まれになるその日まで、どこからか降ってくる小さな花束を、受け取っていたそうです。


 花束、と聞いて、私は一輪しか持ってきていないことが、ちょっとだけ妥協しているみたいで悔しかったので、明日は花束にして持って行こうと思いました。


 明日はちょうど、王子のお誕生日です。五歳になる王子様に、私が初めて手作りした花束を。あ、どこかでリボンもくすねて……いえ、お借りして、飾り付けましょう。


 楽しい予定に、当時の私は胸がわくわくしておりました。この後、なにが起こるかも知らずにね……。


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