第49話 決着
マツリカは蒼白になっていた顔を、驚愕に歪めた。
「な……に、いってるの? だって、お母さんは、アキオくんは、だって!!」
『アハ。なに言うかと思えば……。説得にしても、それは……無理筋なんじゃない? マ、マツリカちゃん。気を付けて、そんなこと言いながら近づいていく気かもしれないよ!』
マツリカはハッとして、ルイカをにらみ付け、下ろしかけていた銃を両手で持ち直した。
しかし、ルイカは涙を拭い。マツリカに語りかける。本当は最初からわかっていたのだ。それでもなお保身のために、父親に都合の良い自分であろうとしていたのだ。もうそんな欺瞞は脱ぎ捨てなければならない。
このゲームから排除すべきは、あの父親そのものなのだ。ハルでも、マツリカでも母でもない。ーーこのゲームの参加者はみな父の被害者なのだ。このゲームの裏で多くの人の人生を歪め、操っていた本当の「ゲームマスター」。それはあの男だったのだ。
「証拠はある。お前が持ってるその銃だ。その銃、あのとき母さんがアキオのそばで持ってたものだろ?」
「……うん。そうだよ。だから! お母さんはこれで、アキオくんをッ」
「母さんはその銃を使ってない。多分、その銃は一発も使われてない。母さんは撃たなかったんだ。母さんは殺してないんだよ」
「うそ! じゃあ、誰がアキオくんを殺したの!? 他にはもうプレイヤーはいなかったでしょ!? わかるよ……そんなのわたしにだってわかるよぉ!!」
『いやぁ、全くそうだよ。相手が小学生だと思ってさぁ、ルイカくん、ひどくない? 第一』
「自分でやったんだ」
全身を戦慄かせ、今にも引き金を引きそうになっているマツリカに、ルイカは精一杯落ち着かせた声で伝えた。
「アキオは自分でやったんだ。多分、お前のために。母さんが、お前の母さんだったからだ」
「自分……で」
マツリカはキョトンとした表情でつぶやき、スマホの向こうのキタノも押し黙った。
「母さんが銃を持ってたのは確かだ。もしかしたらアキオを、殺すつもりがあったのかもしれない。けど撃たなかった。打つ前に、アキオは自分のショットガンで自分を撃った。でないとおかしいんだ。拳銃の弾で顔面が吹っ飛ぶほどの負傷は追わない。あいつが持ってたショットガン型のサイドアームでなきゃあ、おかしいんだよ」
「え……う、でも」
そこで混乱極まったようにうろたえるマツリカへ、ルイカは足早に歩み寄った。
「こ、ない、で! ーーえぅッ」
慌てて銃をルイカに向けたマツリカだが、ルイカは構わず歩み寄り、マツリカが突き出していた銃に触れた。
そして銃口を明後日の方へ向けて、引き金を引いた。
「……ッ!」
しかし引けない。引き金は引けなかった。安全装置がかかったままだったのだ。
「母さんは撃ってない。撃つ気があったのかはわからない。ただ、撃ち方はよく知らなかったみたいだ」
しばしの間、ルイカの言葉を反芻するかのように押し黙っていたマツリカはその場に崩れ落ちた。
「……お母さん、助けていいの?」
「ああ。助けていい。助けて良いんだ」
同時に、中年に釣り上げてられていたハルが落下し、石畳に鈍い音が響いた。中年自身も糸が切れた人形のように、その場に倒れ伏した。
「おい、キタノ……」
スマホに語りかけても、応答はない。瓦礫の中で意識を失っているのか、それとも事切れてしまっているのか。
ルイカはあらん限りに眉間を歪ませ、歯を食いしばった。
ーー偽善は、もうやめるべきだ。悪いなキタノ、お前を助ける手段は俺たちにはない。
「……もう、良いだろ」
そして改めて、顔を上げる。ルイカはどこに向けるでもなく、つぶやいた。
「もう良いだろ。ゲームメイカー。ゲームは終わりだ」
「そのようだね。なんとも締まらない幕引きだけれど。ーーそれで?」
また、ルイカのそばに忽然と姿を表した青い肌の女は、四つある肩をまとめてすくめ、微笑した。あいも変わらず、輝くような美貌は人間のそれではない。
「誰が勝者なのかな? ゲームマスター」
「俺だ」
ルイカは感情を込めない声で言った。
「俺が、このゲームの勝者だ」
「ふぅん? まー、プレイヤーとゲームマスター間での下剋上有り、なんて裏ルールを仕込んでしまったからねぇ。君が勝者になるのも容認しないわけには行かないだろうねぇ」
悪びれることもなく言う女怪に、しかしルイカは反応を示さなかった。いまさら、善人ぶってこいつに突っかかる必要もない。
彼はもはや、駄々をこねればなんとかなると思っている子供ではないからだ。
「けど、賞金も報酬も、俺はいらない」
「ふぅん。まーボクとしてはどっちでも良いけれど、それで?」
「一つ、外に持ち出したいシムがある。それと幾つか条件が」
「構わないよ。君が勝者だと言うなら、仰せに従おうでじゃないか。で、どのシムがほしいんだい」
「それはーー」
――ハル。俺は本当にお前が嫌いだった。最初に会った時から。
ルイカは一人、自室にいた。24時間前、あのとき、眠ってしまう前と同じ場所だ。
持ち物はスマホだけ。それだけを手に、ルイカは自室を後にする。
あのときは実行するつもりもなかった。自慰に等しい現実逃避でしか無かったそれを、現実のものとするために。
――でも、お前だけは俺に優しかったし、俺を見てくれた。俺には他にすがれるものが無かったんだ。
それに、お前がオレにしていたことも、お前がアザミにしていたことも、お前がこのゲームでやったことも、お前の意思でも何でもない。
全ての元凶は俺の親父だ。まるで“ゲームマスター”のようにして人間を操り、玩弄していたのがヤツなのだ。
勝者の権利として手に入れたのは「ビフレスト」のシム。つまりは壁抜けができるシムだ。
ルイカはそれを使い。見回りの人間の眼を盗んで書斎への最短ルートを突っ切った。
そして、父のもとへたどり着く。
父は背を向けて電話中だった。ルイカのことだろうか?
この後に及んで、決心が鈍る。父に愛されたいなどと、どこからか声が聞こえる。
父は声を荒げて、なにかをつぶやくように、叱咤している。
聞いただけで身がすくむ。怒らないでお父さん。ボクを見捨てないで。言うとおりにするから。
そんな声にもならない哀願が、まるでムカデみたいに、頭蓋と脳の隙間をそぞろ歩いているような感覚を覚える。
頭を割り開いて、それを取り出せばいいのに。この呪いを、この手で取り除いてしまえればいいのに。
そうすれば父さんを殺さなくて済むかもしれないのに。
右手には、スマホから取り出せるサイドアームのサバイバルナイフ。
これだけは持ち出させろと、青神に納得させた。使い終わったたら、スマホごと始末するところまで約束させた。
仕掛けはそれで充分だ。後はもう、やるしかない。
ルイカは意を決し、狙いを定めた。
電話を切った父は不意に振り返り、血だらけの格好で立っているルイカを見つけた。
「ルイカ!? おまえーーどうし」
声はそこまでだった。振り向くよりも先に飛び出していたルイカの右手が、父の喉に、深々とナイフを突き立てていた。
会話をする気はなかった。もしもしていたら、今からでも心変わりして屈服してしまいそうな気がしたから。
だから、まず、喉を狙った。
これ以上、喋らせないように。
突き立てたナイフを、あらん限りの力で、更にねじ込む。父はルイカを巻き添えにしながらうめき声をあげて倒れ伏した。ルイカの喉もそれと同じか、それ以上の重低音轟くうめきを上げる。父と一体になったような気がした。アンサンブル。まるで一つの楽器であるかのように。
ルイカが身を起こすと、父の眼はただ驚愕したような眼でルイカを見上げていた。
父は今、なにを思うのだろうか?
しかし父はルイカから視線を外し、喉にナイフを突き立てたまま、血まみれの手をで床に転がった自分のスマホに伸ばそうとした。
ルイカは奇妙な感覚に驚いていた。
こんな簡単に。まさかこんなに簡単に殺せるなんて。
想像もしなかったのだ。父がーーこの男が、絶対者だったはずの存在が、まさか本当に血を流し、死ぬなんて。
いや、まだ死んではいない。今も血を流しながら手を伸ばそうとしている。助けを呼ぶつもりなのか? 凄まじい執念だった。ハルが見せたのと同じ、尋常でない生命力。
「ハルのほうが、ずっとアンタに似てるよな……」
しかし、ルイカは先回りし、もう少しで掴めそうだったスマホを蹴り飛ばした。
父は何事かもわからぬうめきをあげながら、満身の力を込めて身を震わせた。ルイカは屈んで、喉に刺さったままのナイフに手をかける。父は抵抗しようとしたが、ルイはその身体を足で押さえつけ、強引にナイフを引き抜いた。
温かい血しぶきが噴水のように噴き出した。安っぽい映画みたいな光景だと思った。
それを眺めていると、父はそのまま動かなくなった。
静かになった。鼓動は激しかったが、心にはなにも去来しなかった。自分の鼓動が収まるのを待って、ルイカは自室に戻った。再びソファへ倒れ込む。
なにもなかった。彼の中にはなにもなかった。それまでの人生でずっと彼を苛んでいた、汚泥のようななにかが、綺麗に自分の中から消え去ったかのようだった。そして、また、眠りについた。
太りすぎた雛が、狭すぎる卵の中から這い出す夢を見た。卵の外は冷たく、そして明るかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます