第48話 怪物の名は


「マツリカ、お前……」


 無事だったのか!? ルイカは驚愕のままにつぶやく。しかしキタノはそれに呆れたような言葉を返す。


『あのさぁ。あの状況で生きてたわけ無いじゃん。多分蘇生したんだろうねぇ。……ヒヒ、それが可能だったのは……』


「アザミ……か。アザミがッ」


 確かに、マツリカの着ている服は全体の色味が真っ赤になるほど血に染まっている。にも関わらず、今のマツリカには負傷らしい負傷は見受けられない。


 そうか、あのとき、アザミが「ミョルニール」のシムを使わなかった理由。自分が死ぬのまで勘定に入れれば、アザミは「ミョルニール」の一撃でハルを殺せていたかもしれなかった。これまでの行動や執念から察するに、アザミならそうしてもおかしくはなかったのだ。


 けれどそうはしなかった。「ミョルニール」のシムを攻撃ではなく、マツリカの蘇生に使用したからだ。だから、バッテリー切れで「ミョルニール」を使用できなかった。だから回復効果のある「ロンギヌス」のシムでハルを狙ったのだ。


 アザミ、お前、……お前はやっぱり。


『クヒ。ヒヒ、良いね。どうなるんだろうねぇこの状況』


 喜悦極まるようなキタノの声に、ルイカははっとしてマツリカを見る。マツリカの構える拳銃型サイドアームの銃口は、中年に吊り上げられ、ほとんど抵抗も出来なくなったハルに向けられていたからだ。


「なにしてるんだ!? なんでお前が」


 ルイカの声に、マツリカはただ視線を揺らして応える。そしてなにも言わぬまま、一歩、また一歩とゆっくりハルに向かっていく。


「おまえ……」


『おやおや。この後に及んでなんて間抜けな質問だろーねー。フヒッ。マ、マツリカちゃんがこんな事する理由……ヒヒ、ひとつじゃなーい?』


 言われてようやく思い至る。そうか、ハルはマツリカもろともに母さんを……。


「大丈夫だ。か、母さんはまだ蘇生できる!」


 ルイカは今までそれを忘れていた自分を叱咤しながらマツリカに向き治る。


 そうだ。蘇生だ。シムの蘇生効果。なんで忘れてたんだ。まだなんとかなるーーはずだ。「ミョルニール」……はダメでも、母さんの「トクサ」のシムとマツリカのゲームマスター用のスマホをを使えば、あと一回だけ蘇生させることは可能なはずだ。

 

「母さんは治せる。だから、その銃を」


「どうやって?」


 マツリカは初めてルイカの言葉に応えた。


「わたしのスマホはもう仕えない……お姉ちゃんはわたしのスマホと自分のシムで私を治してくれた。だからもう仕えない」


 ゲームマスター用のスマホはプレイヤーのシムと互換性がある。ゲームマスター用のスマホは最初からレベルマックス状態の設定だから、プレイヤーのシムをセットすればすぐに最大レベルの使用が可能となる。


 しかし、ルイカのスマホがそうだったように、ゲームマスター用のスマホで最大レベルの技を使用するとスマホ自体がロックされ、すべての機能が一時的に停止してしまうのだ。ある意味チートな“裏技”に対する防止措置ってところか? 


 今度はルイカがその言葉におし黙る。ルイカのスマホは上階を崩落させるのに使用済み。キタノは自分のスマホを手放さないだろう。いや、既にロックしてしまっている可能性もある。いま中年をあそこまで強引に操作できているということは、「クピト」のシムを最大レベルで使用したから、と考えたほうがいいだろう。


 そしてマツリカのスマホはマツリカ自身を蘇生するためにアザミによって使用されてしまいロックしてしまっている。中の「ミョルニール」のシムを取り出すことも出来ない。


 だがーー


「いや、まだおっさんのスマホがある。おっさんが意識を取り戻せば大丈夫だ。それと……母さんの「トクサ」だ。トクサを最大レベルで使用できれば、あと一回。あと一回だけ蘇生が可能だ」


「でも、それじゃあアキオくんは治せないッ」


 マツリカの叫びに、ルイカは二の句を告げずに押し黙った。


「マツリカ……」


 マツリカは血に染まったスマホを取り出した。ロックアップしてしまった自分のーーではなく、おそらくは母さんのスマホだ。そこに「トクサ」のシムもはいっているはず。しかし、


「わかるよ! アキオくんは人を殺しちゃったから、死んでも仕方ないんでしょ!? 最初から、アキオくんを数に数えてないもんね!? でも、それならお母さんは!? お母さんもアキオくんを殺しちゃったよ? なのに、お母さんだけは治していいの?」


「それは……」


『うーん、それは哲学的な問題だねぇ』


 ここで、それまで沈黙していたキタノが口を挟む。声の調子は変わらず嘲るようだったが、その声そのものは先程よりも弱々しくも感じたられた。


「お母さんもアキオくんを殺しちゃった……殺したら悪い人だよ! じゃあ、お母さんも悪い人だよ! ……わたしどうした良いのかわかんないよ……わたしも悪い人になればいい? そしたら、お母さんと一緒に居られる?」


 泣き顔をくしゃりと歪ませて微笑むマツリカにルイカは息を呑むことしか出来ない。


「何いってるんだ」


 言いながらも、ルイカはそれ以上の言葉を続けることが出来ない。錯乱も無理はないことかもしれない。血溜まりに没するようにして事切れていたアキオ。そしてその傍らに、母は銃を手にしてひざまづいていた。


「まだ仲直りしてないよ……お母さんに会いたい。お母さんが治っても一緒にいられないならやだよぉ」


 マツリカは自分の泣き声をかき混ぜるようにして、思いを叫ぶ。


『いいんじゃなーい? とっても倫理的な話だよ。止めるべきじゃない』


 場違いなキタノの放言がマツリカの吐き出すような言葉に続く。


「お前……」


『だって、そうじゃない? 君らのお母さんはさ、それを思いつめちゃうタイプでしょ? 人を殺したことをさぁ。きっと、このまま生き返らせて日常に戻ってもさぁ、ろくなことにならにと思うなぁ。なら、共犯者になっちゃうのも在りだと思うよ? ヒヒ。同じ殺人者同士なら、お母さんだってバカなことはしないんじゃないかなぁ。きっとマツリカちゃんのために、自分の罪を度外視してバランスを取るんじゃないかなぁ?』


 勝手なことを言う。全く勝手な妄想だ。しかし、確かに絶対にそうならないとは言えなかった。


 母は、確かに、アキオを殺したことを抱えたまま生きていける人じゃない。他人に責められなくても、自分で自分を責める。そう言う人だ。そして、そんな自分が娘であるマツリカのそばにいて良いのかと考える、……考えてしまう人だ。


 このゲームで眼にした母はルイカの想像よりも強い人だった。アザミを説得して、アザミ本人からも慕われていたように見えた。もしかしたら、その強さで母は生きていけるのかもしれない。だが、断言は出来ない。誰にだって、それを断言することなんて出来ないじゃないか。


 マツリカが殺人を犯せば、母は自分の罪よりもマツリカの罪を慮るかもしれない。マツリカを放って自分だけが罪を償おうとはしないだろう。


 たしかにそうかもしれない。


 だが、それがためにマツリカにまで殺人の罪を背負わせて良いはずなどない。


 どうすればいい? どうすればこの現状を打破することができる?


 どうすればーー?


 と、そこでルイカは気づいた。――なぜ自分は悩んでいるのか。


 どうすれば、もなにも、悩む必要などないはずなのだ。彼にはこの現状を収める手段がある。


 知っている。なぜ、それで思い悩もうとするのか。


 いや、思えばずっと以前から、彼には自分がやるべきことは見えていた。わかっていた。知っていた。


 けれどそれと向き合うことが出来なかったのだ。


 ルイカは、ただ唖然として、その事実に当惑した。不意にピントが合ったかのような感覚が合った。


 そうだ。どうすればいいのか。とっくにわかっていたじゃないか。悩む必要など無かったのだ。


 ただ、ルイカはそれを考えたくなかったのだ。


 羞恥にもにた絶望に、ルイカは打ちのめされる。


 だが、ピントは合ってしまった。気づいてしまった。もう、それから眼をそむけることは出来ない。



 本当はわかっていたのだ。すべての現凶が何なのか。ルイカが責任を持って取り除かなければならないガンは、この絡み合って解きようもなくなった因果を創り出した現凶は誰なのか。


 ルイカは己自身へのおぞましさで、静かに嗚咽した。自己保身だ。そう、彼は自己保身のために、それに気づかないふりをしてきたのだ。それが、最も根幹的な間違いだった。


 自分はこの後に及んでなお、つい今の今まで、まだあの父の庇護の元で生きていくつもりでいたのだ。


 ーー殺してやる。あの父を、酷薄な人でなしをこの手で殺してやるーー


 あれは嘘だったのだ。自分についたハッタリ。ただの嘘だった。


 いわば、ただの現実逃避だったのだ。


  ルイカは今の今まで、本気で父を殺す気などなかった。一時たりとも考えてすらいなかった。あの冷酷な父の下で、その本性を知ってもなお、それでも安全な場所を捨てる気など、さらさらなかったのだ。


  ルイカは改めて気づいた自分の本心に愕然とする。


 そして思い知る。自分も同じだったのだ。ハルと同じように、そう考えるしかないように仕向けられていた。ハルとその子供のことだって、このゲームがなければ、きっと父に泣きついていた。


 父の前にひれ伏し、あらゆる手段を用いて庇護を請い、その支配の中で安全で快適な生活に甘んじることを選んでいたはずだ。


 現実には父の齎す寵愛に甘えながら、内心ではそれに反抗するふりをして、自分を慰めていたのだ。まるで自慰のように。


 それが自分という人間の本性だった。吐き気がする。ドブ川の縁でわだかまっている虹色のヘドロみたいなものが、喉の奥で渦巻いているかのようだ。


 そうだ。ずっと、ハルを助けたいと口にしながら、心の底ではハルに、そしてその子供に死んでもらいたいと、消えてもらいたいと思っていた。


 お父さんに怒られるのが嫌だったからだ。


 母さんがゲームにいたことを知って、やめてほしいと思った。いまさら出てこないでくれと、父の機嫌が悪くなったらどうしようと不安だった。


 マツリカのことを知って、いの一番に考えた。父さんがボク以外のやつを選んだらどうしようって。


 パパを取られたら、どうしようって。見捨てられたら、どうしようって。


 不安で、不安で、仕方がなかった。運転手も誰も彼も、消えてほしかった。


 そしてパパに自分だけをずっと甘やかしてほしいとーーーーーー自分はゲームの間中、ずっと思っていたのだ。


 無意識のうちに。


 それに気づいて、理解したとき、ルイカは嘔吐していた。


 ありったけのものを吐き漏らしていた。なんてーーなんておぞましい。


『あーらら。なーにやってんのさルイカくん』


 キタノの嘲る声が聞こえる。マツリカは構わず、銃を構えたままハルに近づく。


 ルイカは、しかし今もまた思い悩むふりをして、どこかで冷静に、マツリカを観察している。


 口ではやめろといいながら、ハルを守るつもりなんてないのだ。すべて傍観する気でいる。


 マツリカの細い腕が銃を支えきれず、引き金を引いてしまうのを待っているのだ。


 そしてハルが死んだあとでマツリカをを殺し、何も知らない被害者のふりをしながら、父の庇護の元へ帰ろうとしている。


 そう、腹の底で考えている自分がいる。


 ようやく、彼は自分という人間を客観視することが出来た。


 今まで自分らしきものだと思っていたのとはかけ離れた、幼稚で、倫理観のかけらもない、自己愛の怪物。


 それがルイカという人間の本性だったのだ。


「う……う。う。う。うう……」


 ヘドを吐き漏らしてなお、嗚咽がこぼれた。自分の醜悪さに嫌気がさした? マツリカが可愛そうだから? アザミに報いたいから? ハルの中にいる赤ん坊には罪はないから?


 ーー全部嘘だ。ルイカはそんなことを考えてはいない。まっとうな人間のふりをして、そういう思考を弄んでいただけ。


 今だってそうだ。ひたすらに惜しんでいるのだ。これは誰かのための涙じゃない。


 自分のための涙だ。思い至ってなお、自己憐憫の涙が、いくらでも溢れてくる。


 恐いからだ。本心では100%自分の利益と保身しか考えてこなかった。そのためにしか行動してこなかった。


 だから、恐いのだ。


 彼は今初めてーー自己保身と言う行動原理を捨てて、行動しなければならないのだから。


「マツリカ……、銃を、下ろすんだ」


 自覚してしまった以上、無視は出来なかった。まるで全能の、世界の全てに愛されるのが当然であると信じて疑わない幼児のように、自分の利益のためだけに振る舞うことはもう出来なかった。


 当然、恐い。恐ろしい。今もこれを言ってしまって良いのかと、おぞましいエゴイズムが口を戦慄かせる。


 だが、言わなければならない。なぜ? 気づいたからだ。


「母さんは、アキオを殺してない」


 もう、自己愛で生きるだけの子供ではいられないのだと、気づいたからだ。

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