第45話 ずっと、お前のことが

 血に染まった瓦礫をはねのけるようにしてアザミは飛び出してきた。


 手にしたスマホを突き出す。しかしそこにはいつもの雷電によるエフェクトがうかがえない。そもそもミョルニールなら手にして突き出す必要はないのだ。投擲すればどんな相手でも粉砕できる最強のシムなのだから。


 つまり、今アザミが手にしているのはアザミのもう一つのシム。回復機能付きの槍型シム、ロンギヌスだということになる。


 なぜだ?


 瞬きほどのルイカの逡巡を差し置き、アザミは先ほどの大破壊でグズグズにされた全身を血のあぶくで煮えたぎらせながら、ハルへ突貫し攻撃を繰り出す。


 しかし、ハルは咄嗟に、それこそ肉食獣みたいに身をひるがえして、その見えないはずの穂先を躱していた。


 そして我が目を疑うルイカの目の前で反撃にさえ転じる。


 よどみなく体を反転させたハルは、足で杭でも押し込むみたいに、満身の力を込めたケリをアザミのわき腹めがけて突き入れた。


 華麗な技というよりは、まるで工具でも扱うかのような、無骨な動きだった。


 それは効率よく弱者をいたぶるための、道具としての暴力だった。威嚇のためでなく、なにかの発露のためでさえなく、ただただ必要な破壊のためだけに活用される。そんな挙動だった。


 ーー気づくべきだったんだ。ルイカは何もできずにくぐもった声を喉の奥で持て余す。


 あのとき、ハルが鬼田を追い払ったときも、気づけたはずなんだ。ハルの動きが、判断が、どこか常人離れしたものだって、気づけたはずなんだ。


 でも気づかなかった。斜に構えて、現実を目の前から遠ざけていたルイカには、わからなかったのだ。


 自分に害がないからと、それ以上考えもせず、ヘラヘラ笑っていられたのだ。


 だが、今となってはわかる。目の前にいるのが、自分の想像もできない人生を歩んできた“怪物”なのだということが。


 絶望に身を震わせることしかできないルイカの前で、二人の怪物は、まるで鏡合わせのようにピタリと相対した。 


 普通ならヘドを吐いて立つこともままならなそうなケリを食らっても、アザミはよろめいただけで倒れたりはしなかった。


 顔色も変えず、すぐに身を正して口から血を吐き出す。ダメージらしいダメージも見受けられない。ロンギヌスのシムの再生効果は依然として脅威的だ。――しかし、


でしょ? その左手」


 ハルは堂に入った動きで小刻みに間合いを計りながら、先ほどルイカに見せていたのとは似ても似つかないほどに醜悪でな顔と声とで言った。


 「「探偵」のおじさんに渡してあったんだよね。あの記者おばさんにもらったスマホ。シムは『ムラマサ』。要するに、そのロンギヌスの再生効果を打ち消すってシムなんだよ」


 そうなのだ。他の部位の負傷はみるみるうちに治ってしまったのに、先ほど切り落とされた左肘の傷口だけが一向に再生する気配がない。


 切り株のようになった断面で血泡ちあぶくがいつまでも沸き立つばかりなのだ。


 「再生不可能の攻撃を受けたんだ。あんた終わりだねぇ? 思い上がりやがって……可愛がってやったのにさぁ!!」


「関係、ない!」


  アザミは寸断されたままの左腕に構う様子も見せず、右手に取ったロンギヌスのスマホをハル向けて突き出す。――が、


 「関係ない――ワケねぇんだよ、このカス!!」


  対するハルも金切り声を撒き散らしながら前に出て、これを迎えうつ。その両手には、いつの間にか取り出したらしいサバイバルナイフと、手斧のサイドアームが握られていた。


 交差の瞬間、ハルはロンギヌスの槍の穂先を斧で打ち払い、別の方の手にあったナイフでアザミの足をバッサリと切り裂いた。


「――――ッ」


  鮮やか。としか表現しようのない、無駄のない動きだった。なんという手並みだろうか。アザミも速いが、ハルの動きは常人のそれとは一線を画している。


 もはや、部活動による嗜み程度の武術の成果とは思えない。なにか、もっと洗練された、活きた動きだった。


「アンタは「ロンギヌスそれ」を起動しつづけなきゃならない。止めれば出血で詰むからね。でも片手じゃ最強のシムミョルニールは使えないよね? だから再生阻害ムラマサで片手を狙わせた」


「……」


「それにね。人間てさ、片腕がなくなるとバランス取れなくて動くどころじゃないんだよ。もうわかってるよね? そんな状態で、アタシに勝てる?」


 「……」


「勝てるわけないよねぇ? だから言ったんだよ。思い上がるなってさぁ!」


 今度はハルのほうが前に出ていた。表情を白く凍らせたまま迎撃しようとするアザミを翻弄するように、ハルは右に左に身をひるがえし、そのたびにアザミを切り裂いてい 


「どうにもなんないでしょ? このまま――バッテリーがなくなるまで続けてやる。再生不可になった時があんたの負けだよ。さぁ、言ってみなよ、関係ないーーってさぁ!!」


「待て、ハル。待ってくれ!」


 たまらず、しかしなんの方策もなく声を上げたルイカに、ハルはにこやかに振り返る。バラ色に染まる頬は蒼白なアザミのそれとは対象的だった。 


「ああ、ルイはそこに居てよ。大丈夫。あたしこういうの得意だからさ」


 いつもそうだったでしょ? といわんばかりの笑顔は、慣れ親しんだはずの表情は、しかし今となっては両者の隔絶を表す透明で堅固な壁に等しかった。


 ルイカが絶望を噛みしめるその間に、ハルの追撃を受けたアザミは人形みたいに倒れ込み、起き上がらなかった。


「って、言ってる間に終わっちゃったねぇ。ザマァ」


「アザミ……、もうバッテリーが」


 アザミは今も懸命に身を起こそうとしているが、その左肘の断面からは鮮血が溢れ出していた。ロンギヌスのシムの効果が切れてしまっているのだ。


「ねぇ? アンタ何がしたくてそんなにはしゃいでたの? 私にやり返したかった? 謝らせたかった? 今からでも謝ってほしい? 謝るわけねぇだろこのカス! 大体さぁ、――私はさぁ、を出してたじゃん。嫌なら私を避けていけばよかったんだ! なのに、せっかくの! 警告を!! 無視しやがって!!」


 「アザミ」


 意味のわからないことをわめき立てるハルを押しのけ、ルイカはアザミに駆け寄った。もう勝負はついたのだ。せめて傷口を塞ぐくらいのことは。


「なにやってんの、ルイ? 汚れるって」


 本気で理解しかねるかのようなハルの声が背中にかかる。しかしルイカはこれを黙殺した。アザミは自分を抱き起こしたルイカをぼんやりとした目で見つめ、何かを言おうとしているかのように口を動かしたが、それは声にならず、ーー彼女はそのまま動かなくなった。


「はぁ、終わりだね。じゃ、帰ろっか」


 いかにも平然とした、つまらなそうな語調がルイカの耳を打つ。そして、


「ああ、そうか」


 と、ルイカはつぶやいた。今になって、ようやくそれを受け入れてみれば、すべての辻褄が合うかのような気がしてきた。


 きっと彼自身、そこから、すべてをかけ違えていたのだろう。


「ルイ?」


「……俺は、ずっとお前が嫌いだったんだ」




「なに?」


 ルイカのつぶやきに、ハルは怪訝そうな声を返した。


「俺はお前が嫌いだった。思い出したんだよ。ずっと前からそうだったって」


 動かなくなったアザミを抱えたまま、独り言のようにつぶやいた言葉を、もう一度、今度はハルの眼を見て繰り返す。


「おまえは、人と傷つけることをなんとも思ってない……本音を見せることもないし、何をしてても、人形でも相手してるみたいで気持ち悪かったよ」


 何よりも、ハルはルイカをなんとも思っていないのがよくわかった。今になって思えば、だが。今ならはっきりとわかる。ハルはいつだって、ルイカを見ていなかった。


「やだなぁ、なに言ってんの?」


「そうやって、笑ってもいないのに、楽しくもないのに、顔だけ作ってるのが、気持ち悪かった。なんでなんだ? それも俺の親父のせいなのか?」


「だからさぁ、……ルイ。やめようよそういうの。うざいよ?」


「ハハ……そういう表情かおするんだな。始めて見たよ、お前がそんな嫌そうにするの」


 ルイカは身をよじるようにして振り返り、ハルを見据える。そこにはルイカが初めて観るハルの、嫌悪の表情があった。笑い顔の裏で苦渋を舐めるような、顔の皮膚をどうして良いのかわからないかのように蠢かせて。


「……あーあ。もうダメなのかなぁ。うまくやれると思ったのに」


 そしてとうとう観念したかのように、一切の表情がその顔から消え失せた。

 

 見たこともない無味乾燥な無表情。いや、今までも無表情そうだったのだ。今までルイカの見てきたハルは常に笑顔だった。常にだ。まるでそう心得ているかのように、備えているかのように、どんなときもルイカに眩しいばかりの、そして愛らしく、時には潤んだような笑顔を見せていた。


 ルイカがそう望むであろう、表情かおを常に見せていた。そんな人間がいるはずなどない。ずっとその顔には表情など無かったのだ。


 そんなことも、ルイカはずっとわからなかったのだ。


 それでも、ルイカにはハルしかなかった。


「なんでなんだ? ハル……どうしてそんなこ」


 言い終わる前に、白刃がルイカの首があった場所を薙いだ。


「……っっ!!」


 ハルしか、自分を見て、話しかけてくれて、相手を来てくれる相手が、いなかったのだ。


「そっかぁ。私が嫌いかぁ。やっぱわかんないなぁ。“ルイカ”の考えてることって」


 作り笑顔という仮面を外したハルは、全くの虚ろな無表情のまま、飛び退いたルイカに白刃を向けてくる。


「ハルッ! ……俺は……けどッ、お前を責めるつもりはない!」


 ルイカの言葉にハルは反応を示さなかった。少し考えるようにして手斧を捨てる。ナイフだけで充分ということか。


 ルイカ相手なら問題ないという侮りーーというよりは、そのほうが効率が良いとでも思っているかのような。淡々とした仕草が不気味だった。


 これが本来のハルなのか。どうして、誰にそんなふうにされちまったんだよお前は。


「親父か。……あいつが、本当に、お前にまで、そんな」


 ルイカは冷たい石畳を後ずさりながら、問う。


「ダメだよ。“ルイカ”。お父さんにそんなこと言っちゃ。大事ななんだから。私と、あんたの」


 わずかに、ほんのわずかに磁器みたいな顔に嫌悪を滲ませ、ハルは距離を詰めてくる。


「飼い……主、だと? お前」


 ルイカは吐き気を覚えて言葉を切った。まさか本当に、という確信に近い予感はあった。しかし、事実としてそれを目の当たりにしたいま、嫌悪感が想像も出来ない程に喉の奥からせり上がってくる。まさか、まさか本当に……。


「んー、やっぱわかんないなぁ。あんたのことは本当によくわからない。にとっては大事だったみたいだけど。もう、仕方ないよね」


「……ッ!!」


 親しげに実父の名を呼ぶそのおぞましさに、ルイカはただ、声もなく己が胸を掻き抱く。ハルは無表情のまま、心底から理解できないとでも言うような語調でつぶやく。 


「あんたはもう、いらない。怒られるかもしれないけど、今はこの仔がいるもんね」


 ハルは手にしたナイフを弄びながら、淡々と距離を詰めてくる。その視線には人間的な情緒がまるで感じられなかった。まるでどこをどう刺し、どう切り裂けば良いのかを思案するような。


 もう眼の前だ。しかし逃げ場などない。逃げられる余地もない。ルイカは青ざめた顔のままハルを見据える。


「うん。そう、私にはこの仔がいる。イサオさんだって納得してくれる……。この仔だってイサオさんの子供なんだもんね」


「ハル……ッ」


「じゃあね、“ルイカ”」


 しかしその時、ハルの背後にそびえ立つ影があった。それは音もなくハルの首を両手で鷲掴みにし、吊り上げた。


「ーーーーッッ!?」


 さしものハルもこれは予想外だったらしく、苦悶の声を上げてナイフを取り落とした。


 眼の前に転がったナイフを追ったルイカの視線は、しかし次いで聞こえてきた音声を聞いて虚空へと跳ね上がった。


『やぁ、ルイカくん。ピンチっぽいから加勢してあげるよ。嬉しい?』


 それはあのキグルミーーもといキタノの声であった。

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