第43話 おまえは何なんだ
ぼとりと、まるで生物の一部とは思えない挙動で転がった腕を見て当人であるアザミよりも困惑し、あられもない声を上げたのはルイカのほうだった。
それでも、嗚咽のようなうめきを漏らしながらも、ルイカはアザミを案じて駆け寄ろうとした。しかしそれよりも先に、背後に居たハルがまるで抱きしめるようにしてルイカの背中にしがみついてきたのだ。
「な、にを――ハル、お前、なにを!」
「いいよルイ。すごくいいの。ルイのおかげで位置取りが理想的になった」
ルイカは動きを封じられたまま、さらに後ろから引き倒されるようにして動きを封じられた。
そしてささやくようなハルの声は、まるで場にそぐわないほどに軽やかで、まるでこの場に居ないかのような、他人事のように響いた。
当然、ルイカには何が何だかわからない。
ただ身動きもできず、尻餅をつかされたまま、ハルが自分の肩越しにスマホを突き出すのを見ていた。
ちょうど、写真でも撮ろうとするかのように、目の前にいる――ルイカを除く――すべての人間をフレームに納めようとするかのように。
そして、それは同時に、まるで照準でも合わせようとするかのようでもあり、……。
「ハル、やめッ」
一方で、アザミは、両断された左手には目もくれず、すぐさま右手のミョルニールで自分を襲った何かに反撃を加えていた。
まるで辺り一面を埋め尽くすような稲妻の放射だった。
すると、まるで何もなかった場所から浮き上がるようにして、一人の男が現れた。
見るからに古ぼけたトレンチコートの小柄な男だった。襟を立て、帽子までかぶっているせいか人相は解らなかった。ただ、それらの間から覗く髪が白髪だったため、それが老齢の男なのだと察することが出来た。
あれが、姿の見えなかった最後のプレイヤー「探偵」と言うことか。どうやら、姿を消す、透明人間にでもなれるシムでも持っていたらしい。なるほど、それならいくら監視しても居場所を突き止められなかったわけだ。
ハルが忽然とルイカたちの背後に現れたのもおそらくこのシムの効果だろう。
ルイカたちは崩落した最奥の部屋から残った区画に進んできたのだ。背後から誰かが現れるはずなど、そもそもなかった。ハルが後ろから来た時点で疑問に思うべきだった。しかしもう遅い。すべてが遅すぎたのだ。
姿なき刺客は木っ端の如く焼かれ、吹き飛ばされた。正しく鎧袖一触とはこのことだ。――それでも、それはハルがアザミへ攻撃を加えようとするまでの、致命的な隙を作ることに繋がってしまった。
いやむしろ、あの老齢の「探偵」はこの隙を作るためだけに、あらかじめ命を投げだすつもりでアザミへ奇襲をかけたとでも言うのだろうか?
そう思わずにはいられないほどに、それは完璧なタイミングで、アザミに、そしてその周囲に居た者達に襲い掛かった。
「最大レベル――全バッテリー使用。くたばれ、ネクラ女」
「待て――ハル! 待て!!」
ルイカの静止にハルが応えることはなかった。
「
次の瞬間、現れたのは巨大なエネミーだった。ヘビ型の、ホログラムのようにも見えるエネミーだ。それがまるで浮かび上がるようにして出現する。否。出現し続ける。
その無数の巨大な大蛇がこの石造りの回廊を埋め尽くすかのように出現し、そして身をくねらせながらアザミへ、そして同じ方向にいるすべての者をめがけて殺到するのである。
――惨劇 まさしくその言葉こそがふさわしい光景だった。
強固だったはずの壁面や石畳は砂糖菓子のように砕かれ、えぐられて崩落してしまっていた。
そこにあるのはもはや瓦礫の山だけだ。もはや通路としての機能は望めないだろう。
そして、そこにいた者たちの生存も絶望的だと言わざるを得なかった。
「アハ。やったね、ルイ」
呆然とそれを見るルイカの肩を抱きしめながら、鼻をこすりつけるようにしてハルは笑いかけてくる。二人きりの時、いつもそうしていたように。
「やっぱりルイがゲームマスターだったんだね。私のこと、助けてくれたもの」
そう。いつものように、なんの屈託もない笑顔で。
「ハル、お前……なに、やってんだよ!?」
「なんで? なにが?」
ハルはルイカから離れ、くるくると回りながら快哉を叫ぶようにして伸びをした。
すべてが終わって安心したとでもいうように、猫のように目を細め、改めて首をかしげる。
――それが異様だった。なぜ、こんな状況で、こんなことをしておいて、どうして、そんな顔が出来る!?
「だって、アレは……あの人は、オレの……」
ルイカは崩落した瓦礫の山に目を向けようとして、その視線を捻じ曲げる。
見るに堪えない。抉られた石壁の脇で、赤くべったりとした染みに成り果てている母娘。
今さっきまで、つい今さっきまで確かに生きてこの場に居たはずなのに。
「あ、やっぱり? アレってルイの
言葉もないルイカに、ハルはそんな、呑気な声で語りかけてくる。まるでチグハグだ。噛みあっていない。このハルは――本当に今、ここに居るのだろうか?
ルイカは喉を引きつらせながら、恐る恐る声を掛けた。これが何らかのトリックや幻覚、ホログラムの――そう、罠だったらどんなに良いだろうか。
「解ってて……やったのか?」
「だって……ゲーム上、仕方ないし? それに、ルイ前に言ってたじゃん? 自分を捨てた女なんてどうでもいいって。いらないって」
ハルは確かな視線でルイカを捉え、微笑みながらそう言った。だからそうしたのだといわんばかりに。まるでそれが当然のことのように。あっけらかんとした様子で。
それが、あまりにも以前のハルそのままで。
「……」
それ故に、ルイカはすべてを覚り、絶句した。
「大丈夫だって! ルイには私がいるよ。こんなとこから早く帰ろ? こんなことがあったんだもん、ルイのお父さんだっていろいろと許してくれるよ」
いたって笑顔で、当然のように、ハルはそんな言葉を軽々と口にする。まるで以前と変わらない口調、変わらない態度で、変わらない、笑顔で。
ハルは何一つ変わっていない。こんな殺し合いを経てもなお、まったく変わっていないのだ。――変わったのは自分だ。いや、正気に戻ったというべきか。
ルイカはとうとう、それを察した。理解した。受け入れざるを得なかった。つまり、ハルは――最初から正気ではなかったのだ。
いや、ルイカの知るハル。こうしてルイカの前で、ルイカにとって都合のいいものとして振る舞うハルと言う人間は最初から存在していなかったのだというべきか。
本心ではないのだ。すべて! 全部が! ――ルイカは稲妻に打たれるかのようにして理解した。
こんな状況で、こうも平然としゃべる人間など要るものか。それはここに来るまでいくらでも恐怖し、歓喜して、動揺し狼狽してきたルイカだからわかる。
この態度は、一切の内心や内面を人に見せないための、いわば仮面でも掛けているかのような状態なのだ。
だから、変わらない。以前の日常と、この非日常にあって、ハルはまったく同じテンションで、まったく同じ笑顔をルイカに向けてくる。
まるで、そこに感情など最初から存在していなかったかのように。
「帰るって、お前……」
「今ので、〝プレイヤー〟はみんな死んだでしょ? 私に協力してくれた〝探偵〟のおじさんも死んじゃったから、全部問題なし。そうでしょ?」
ハルはいつものように愛らしく微笑み、頷く。その表情は、その挙動は、ああ、まるで作り物のように愛らしい。――それが、今のルイカにはいかにもニセモノであるかのように映る。
ハルは最初から何かを偽っていた。いや、何かをではない。すべてを偽っていた。
それは、何のためだ? あのキタノから聞かされたハルと父親の関係。ルイカは吐き気を覚えた。
「ハル――お前は、なんなんだ?」
ルイカが絞り出した言葉に、ハルはクリッと首を傾げた。
「どういうこと?」
「おまえは――親父を知ってるんだろ? 俺と出会う、ずっと前から……」
するとハルはまるでパソコンがフリーズしてしまったかのように笑顔を凍りつかせた。
そして、そのままシームレスにマネキンが口を開くかのような具合に、言葉を続ける。
「アハハ。なに言ってんのルイ? 誰が言ったのよそんなこと」
「……」
「ねぇ応えて誰が言ったのそんなこと」
押し黙るルイカに笑顔のまま爬虫類みたいな視線で問うてくる。ああ、ハル。お前は……
「もう一人の、ゲームマスターだ」
「ゲームマスター……何人いんの? そのおじさんは?」
ハルは通路の端に横たえられていた中年を見る。意識を失ったままだったせいか、先ほどの災禍を免れていたのだ。
「この人は違う……。もう一人、居たんだ。おまえが中学の時」
「ああ、もういいよ。そんなのもういいよ。どうでもいいからさ、そんなバカな話忘れて帰ろうよ」
「ハル」
ハルはまたまとわりつくようにしてルイカの手を取ろうとしてきた。しかしルイカはその手を振り払った
「――アハ。なにしてんのルイ? ふざけるとこじゃないでしょ? あとは帰るだけでしょ? まだになにがあんの? ないよね? なら、こんなところから帰ろうよ」
ハルはそれでもじゃれるようにして強引にルイカを捕まえようとして来る。
ルイカはそれを強引に引き離した。
「ハル……お前は……お前は」
「だぁから――、もう帰るって言ってんじゃん! ダダこねないでよ!」
その時、そう叫んだハルとルイカとの間に割り込むようにして、瓦礫の間から滑り出してきたものがあった。
「――離れろ」
アザミは残った右手に取ったスマホを、ハルに対して猛然と突き出した。
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