第40話 独白⑦ プレイヤー名「ママ」配布シム「トクサ」
プレイヤー名「ママ」
本名 環透花(たまき とうか)
賞金60億円の使い道:出来るなら貯金・生活費。経済的に自立して、娘に良い生活をさせてあげたい。
初期配布シム 「トクサ」
わたしは、人に言われるがままに生きてきました。
子供のころから、わたしの人生は「わたし」と言う一人称ではなく「おまえ」という二人称でつづられる文章のようでした。
わたしを指す「おまえ」という言葉の主体が、父や祖父や教師から夫へと変わって行っただけでした。
わたしはわたしの進むべき道を自分で決めたことが無かったのです。
それは結婚してからも変わらず、息子が生まれてからも変わりませんでした。ただ、誰かにそうすべきだ、そうしなければならないという示唆を受けて、その通りにそこにいるのがわたしの努めでした。
思えば、なんと虚しい生き方だったでしょうか。
そんなわたしにも岐路と言うものは訪れます。
2人目の子供――娘を、マツリカを身ごもった時でした。
妊娠それ自体は嬉しいことでした。夫はわたしに恋慕の情など持ってはおりませんし、夫婦と言うよりは、支配者と従僕と言うのがわたしたちの関係でした。
いえ、このさい奴隷や愛玩動物と言われても、強くそれを否定することなど出来ません。
それほどに、わたしをとり巻く環境は常軌を逸していたと言えます。
それでも嬉しかった。普段何もし得てやれない息子、ルイカにも妹が生まれればまだ人間らしい生活をさせてあげられるのではないか。
わたしはそう思いました。――しかし夫の判断は無情でした。
特に必要ではないという理由で堕胎するよう言われたのです。後継者は一人いればよいと。
それまでのわたしなら、ただ「はい」といってその通りにしたでしょう。いいえ、今でもあのときなぜ反抗できたのか解らなくなることが有ります。
それほど、それはわたしにとって慮外の選択でした。わたしは夫に抗議したのです。その判断に異を唱え、どうか、この子を育てさせてほしいと言ったのです。
夫は何も言わずにその場を去り、暫くしてから人づてに沙汰をよこしてきました。
「ならば家を出て一人で娘を育てると良い。資金面での援助はする」と言うものでした。
娘を産んでもいいということに歓喜しながら、それを息子――ルイカに知らせることすらできないことを嘆きました。
これ以上の譲歩など夫がするはずが有りません。おそらくですが、後継者である息子を産んだ時点で、わたしはもう用済みだったのでしょう。
そして息子にも、母親など不要であると夫は判断したのかもしれません。
体のいい厄介払いだったのです。その後も最低限の援助を受けながら、わたしはマツリカと二人で生きていかねばなりませんでした。
わたしがもっと気骨のある人間だったなら、これを機に自らの人生を取り戻そうとしたかもしれません。
もっと遠い地へ羽ばたき、夫の支援など拒絶して、娘と二人で。
けれどわたしには無理でした。結局元の住処からさほど離れてもいない隣県に借家を借り、そこで生活することになりました。
情けない話かもしれませんが、わたしは後悔しました。
学も無く、頼れる人もなく、これまで就労したこともない。その上、何かを成し遂げようともせず生きてきたわたしには、誰の指示も受けずに娘を養いながら生きていくのが、殊更に辛いことだったのです。
娘にも辛い思いをさせました。己の無力を嘆かない日はありません。
それでも娘と二人、身を寄せ合うようにして要られたことだけは、なによりも嬉しく、幸福なことでした。
娘を抱いて、この子の将来をまるで夢物語のように夢想する時間は、わたしがわたしの人生で得ることのできた最良のものでした。
ああ、それえっでもここに息子が、ルイカが居れくれれば。あの子にも妹を抱いてほしかった。出来ればあの子も、夫の元から救い出してあげたかった。
そう思ったこともあります。けれどそれは許されないことです。夫が許すはずがないこと、そして、わたしにあの子を引き取るほどの力がないこと。
二重の意味で、それは不可能なのです。
ええ。そうです。思わなければいいのです。息子のことなど、忘れてしまえばよかった。手の届かないところにあるのなら、忘れて生きていくのも処世術です。
けれど、それもできなかったのです。これを運命のいたずら、などと称していいものなのかは解りません。
わたしはアザミさんと知り合いました。高校生のお嬢さんです。彼女が言うには彼女は息子ルイカのクラスメイトだというのです。
驚きました。なによりも驚いたのは、アザミさんがわたしをルイカの母親だと、見抜いていたことでした。
容姿が似ているからとは言いますが、それだけで察することが出来るものなのでしょうか?
アザミさんは聡明なお嬢さんでした。県下一の進学校に特待生として招かれているという時点で、わたしにはまるでチンプンカンプンの世界にいる人です。
わたしは高校などただ在籍していただけにすぎませんでしたから。
それでも、アザミさんは、わたしを慕ってくれるのです。
わたしはただのホームセンターのパートでしかないのです。ただの趣味だった園芸の延長で、糊口をしのぐためだけの仕事です。
なにも人に誇れる部分のない仕事です。それでもアザミさんはわたしの所に足しげく通ってくれました。
家では花を育てられないから、学校の花壇に植えてみるのだと言って、わたしの勧めで花の種を買っていきました。
それからもわたしの勤め先に通ってきては、他愛のない話をするようになったのです。
ルイカのことも――聞くべきではないと思いながら――話を聞くようになりました。
息子も花壇を褒めてくれたと言います。果たしてそうなのでしょうか? 確かにあの子も花が好きでした。
けれど、いまさら花に興味など持つでしょうか? わたしの花壇など、とっくに取り壊されているに違いありません。
夫は不要なものをいつまでも残しておくことはしないからです。
でも、もしかしたら、息子がわたしとの思い出を今も保存してくれているのかもしれないと想うと、とても暖かい気持ちになりました。
アザミさんから伝え聞く息子は何の
けれど、それはふわふわとした輪郭をなぞるような話ばかりで、具体的な話は何も聞けません。
きっと、アザミさんは無理をして、在りもしないことを語っているのだろうと思いました。それに気づくのはわたし自身も、自分の生活や過去を子細に話すことなど出来ないからでした。
わたしたちは、そんな曖昧模糊としたやり取りを繰り返していました。
それでも、わたしはそれが嬉しかったのです。
誰かに頼られ、相談を受け、そして何かのアドバイスをして見せるということが、わたしの人生には本当になかったのです。
娘意外に頼られ、他愛のない会話をすることのできる相手が得られたことが、殊更に、わたしは嬉しかったのです。
――バカな女です。本当に、どこまで愚かなのでしょうか?
わたしは、幾つかの仕事の合間に、アザミさんと話し込むことが多くなっていたのです。
わざわざ、仕事の時間をずらしてアザミさんを会う時間を作って。その分の帳尻を夜の仕事で埋め合わせるような真似をして。
してはならないことでした。だって、夜はマツリカと一緒に居てあげなければならない時間だったのですから。
わたしたちは二人だけの家族なのです。あの子の為にお金が必要だったということもあります。けれど、あの子をずっと一人で家に遺すような真似をして。
それでマツリカが、大事な娘があんなことになっているのに気付きもしなかったなんて……。
スマートフォンを持っているのを見つけたんです。
スマートフォンです。ええ、おかしな話です。小学生が一人で手に入れられるようなものではありません。
わたしが与えた覚えも無論ありません。娘の為に新しいスマートフォンを契約する余裕などありませんでしたから。
なのに、どうして?
当然、わたしはマツリカを問い詰めました。当然です。これを曖昧に見過ごすことなど出来ません。
いくらなんでも――いいえ、本当は違います。こんなものを持っていたこと、誰に与えられていたのかということよりも、娘が平気な顔をしてわたしにウソを吐いていたことがショックだったのです。
自分でも驚くほどに、わたしは取り乱してしまいました。
まるで、何処か別の場所から他人を見ているかのように、ヒステリックに叫ぶ自分を自覚していました。
でも、娘が言うのです。泣きながら言うのです。「お母さんだって嘘吐きだ」って。
わたしは二の句を告げませんでした。何も言い返せません。わたしは己の無力を言い訳にして、何度も娘との約束を曖昧に、反故にし続けてきました。
嘘を吐きたいのではないのです。現実が上手くいかないんです。
わたしはあまりにも無力で。
呆然と物思いにふけり、気が付くと娘は居ませんでした。外に出てしまっていたのです。
夜中だというのに。どうしてこうなのでしょう?
ショックだったからと言って、娘から目を離すなんて。
娘のスマートフォンを持って、わたしは外へ出ました。何も考えられなかったのです。
わたしは自己嫌悪とあの子になにかあったらと言う恐怖で半狂乱の状態でした。
おかしくなってしまったのだと思いました。気が付くと、わたしは一人でこのゲームの中に来ていました。
娘を探しに行くこともできず、今、こんなに恐ろしい事態に巻き込まれています。
どうして? どうしてこんなことになるのでしょう?
わたしは気が狂ってしまったというのでしょうか?
いいえ、狂っているひまなどないのです。娘にはわたしが必要です。たとえ無力でも、わたしは娘のそばに居なければならないのです。
あの方……青い、そう、美しいターコイズ・ブルーの肌の女神さまはおっしゃいました。『あなたの娘は今、安全な場所に居る』と、そしてゲームに勝てれば何の問題もなく元の生活に戻れると。
ああ、昔想い描いたアラビアンナイトの世界の精霊。艶やかなるジン。大いなるもの。あの方の言葉はわたしを安堵させてくださいました。
なんと神々しい――けれど、神様は時として残酷でもあります。
わたしがこんな恐ろしい
マツリカ……ああ、マツリカ。あの子に会いたい。声を聴きたい。抱きしめてあげたい。
この世で一番やさしい声で、一番柔らかく、一番温かい腕であの子を包んであげたい。わたしがそうしなければならないのに!
ルイカと引き離されて、そのうえあの子まで。
耐えられません。これは本当に現実なのでしょうか?
いえ、現実です。それは間違いありません。だって空想の世界でなら、わたしは常に万能の存在であったはずなのだから。
わたしが無力なまま捨て置かれているというなら、それは悪辣な現実だということなのです。
――これが現実で、わたしに何もできなくても、何かをしなければなりません。
こんな無力なわたしに出来ることがあるでしょうか?
事実、ゲームが始まってからも、わたしにできることは逃げることだけでした。
けれど驚いたことにアザミさんと再会したのです。まさか! こんな場所で!
あの子は、ああ、ルイカと同じ年のあの子は、様変わりしていました。全身を血に染めて!
殺し合ったのです。わたしの目の前でも、人を殺しました。
おののくわたしに、それでもアザミさんはアザミさんでした。わたしにいつもの控えめな声と眼差しで語りかけてくれました。
なぜか背が伸び、わたしと変わらないぐらい体格もよくなっていたけど、アザミさんはアザミさんのままでした。
こんなわたしを、それでも慕ってくれて。いいえそれだけでなく、このゲームを終わらせると言ってくれました。
何もしなくていいと。最後にわたしを、ただの知り合いでしかないわたしを残すからと。
どうしてなのですかアザミさん? そんなことが許されるはずがないでしょう?
わたしは死にたくありません。娘のため、死ねません。けれど、あなたが死ななければならない理由もあるはずがないでしょう?
それでも、アザミさんは一方的に告げて、わたしの前から去ってしまいました。
わたしはどうすればよいのでしょう?
このまま、わたしにすべてを譲ってくれるという若人の甘言に流されるべきなのでしょうか?
それが大人の態度なのでしょうか?
わたしには解りません。仮にそれを固辞出来たとしても、それでわたしに何が出来るのでしょう?
わたしはただただ、このゲームを彷徨いました。どんどんと、プレイヤーは減っていきます。
恐ろしい。アザミさんがやっているというのでしょうか? 信じられません。あんなにやさしいお嬢さんが。
わたしはエネミーから身を守るので精いっぱいです。
このまま、何もできないまま、右往左往して終わってしまうのでしょうか?
まるでこれまでのわたしの人生そのものではないですか。
ダメです。このままではダメです。なにか、何かしなければ…………。
そして、ゲームも終盤に入った頃でした。
わたしは、あの男を見つけたのです。
忘れもしません。娘のスマートフォンに写っていた、見知らぬ男性です。
汚らしい姿の人でした。
いいえ、娘のことさえなければ、きっとそうは思わなかったかもしれません。何か事情があるのだろうと常々考えてしまうのがわたしです。
ですがこの時ばかりは違いました。信じられないほどの嫌悪感が、わたしの全身を包み、体中を満たしました。
汚らわしく、危険な、――そう、もはや人とも思えませんでした。
わたしやアザミさんと同様に、この方にも事情があるのだと思います。娘とどのような関係なのかもわかりません。
案外、穏やかな関係だったのかもしれません。写真の中で娘は笑っていたのですから。
――ですが、この時のわたしにはそんな憶測にまで思慮を及ばすだけの余裕がなかったのです。
この男を、二度と娘の元に戻してはならない。
あったのはただ、その一念のみでした。
何もできないわたしは、きっとマツリカの元に返れません。二度とあの子に会えないかもしれません。
それでも、それでもこの男だけは!
わたしがこの場で何とかしなければならない!
わたしは初めて、自らのスマホから、人を殺すための武器を取り出しました。
恐ろしいことです。人を殺すなんて――それでも、やらなければならないことなのです。
ああ、マツリカ。もう一度アナタに会いたい。絶対帰るからって、言えないお母さんを許して。
こんなことしかできないお母さんを、どうか、許して。
所有シム トクサ
全十種(×8)類あるサブアイテムのすべてを任意で獲得することのできるアイテムいらずのシム。
アイテムを集める必要がないのが強みだが、その都度バッテリーを消費するためマメな充電が必要になる。
ほか、無駄にアイテムを出現させるとそれを敵性プレイヤーに逆利用される恐れがあるなど、使用者の思慮が試されるシムである。
レベルを最大にすることによって、特殊機能の「死者の蘇生」が可能となる。
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