第38話 私が守る


 それまで物言わぬエネミーだったそれは、紫電の弧を描いて戻ってきたスマホを危うげなく受け止める。


 するとその姿は見る見るうちに見覚えのある人間のものへと変化した。 


「改めて自己紹介しといた方がいいかな? 僕はキタノイオリ。そこのアザミさんと一緒でさ、あの女に人間だよ」


 しかしルイカはそのやけどに歪んだ女の言葉を取り合わず、倒れ伏した記者に駆け寄った。


 当然、もう息はなかった。


「う、うぅぅ……ッッ」


 ルイカはそこで改めてすすり上げるような悲鳴を漏らした。


「あらら、なにしてんのさ。せっかく助けてあげたのにさぁ」


「でも、――でも結局死んじまってるじゃねぇか!」


 うつむいたままのルイカが絞り出した言葉に、キタノは気の抜けたような声を返す。


「はぁ?」


「本当に怖気づいて、っていうなら、コイツはまだ、やり直せたかもしれねぇじゃねぇか!」


「はぁ~!? なにそれ?」


 やられてみて、初めて分かったのだ。やられるのも、やるのもゴメンだということが。


 それに、こんなことを人間がしちゃいけない。どれだけ悪辣で罪があったのだとしても、こんなことをしちまったら、二度と、もう、取り返しがつかない……ッ!


 殊勝に俯くルイカを見下ろすようにしてアザミが立っていた。いつの間にかルイカを間近に見おろせる位置にまで来ていたのだ。


 ルイカは静かにそれを見上げた。


 テクスチャーのアイテムだったのだろう。エネミーの姿を自分に複写することで、記者にも気づかれぬままエネミーの群れに紛れ込んでいたのだ。


 エネミーは視覚でしかものを察知できないんだったな。なるほど、いい作戦だ――

などという思考は、もはやルイカの中から抜け落ちていた。


 もはやそんなことはどうでもよかった。ゲームのことなんてどうでもいい。いや、こんなゲームで誰も死んでほしくない。死んでいいわけがないのだ。


「ごめんな……」


 だから、かはわからない。間近に見上げるアザミ本人に対して、口を突いて出たのはそんな言葉だった。


「ごめんなぁアザミ。……許してもらえないだろうけど……こんなこと言うだけ無駄で、意味なんてないだろうけど……けど、ゴメンなアザミ……あんな、俺たちは、あんな、ひどい…………ッ」


 とんでもなく熱く、重く、醜悪な、溶けた鉛みたいな言葉を、肺腑の奥の奥から絞り出すようにしてルイカは謝った。


 何もできなかったこと。自分に勇気がなかったこと。吐き洩らした無様で汚らしい、自己憐憫のための言葉は、床一面に広がってこの部屋を満たしてしまいそうだった。


 対して棒立ちのままルイカを見下ろすアザミは無言だった。ただじっとルイカを見下ろしている。


「あれー? 僕には謝ってくれないのぉ」


 ルイカは声を上げたキタノに向きなおる。


「おや? 『なんでお前に謝る必要があるだって?』 言いたげだねぇ? それがね、あるんだよ。キミの言動に僕がどれほど傷ついていたかわかる~?」


 再び着ぐるみを纏ったキタノは、コミカルな手振りを加えて続ける。


「言ったよね? 僕もいじめられてたんだよ。中学の時、君の彼女さんにさぁ……」


「それで、こんなことをしでかしたっていうのか!?」


「いやいや、このゲームについては別に仕掛け人でも何でもないよ。ただ、僕は僕で備えてたのさ。いつか報復するためにね。ねーアザミさん?」


「……」


 水を向けられたアザミはしかし無言のままだ。ルイカもそもそもの疑問を口にする。


「それより……お前……いつから……アザミと……」


「んー? あーそれ聞いちゃう? そっち聞いちゃう? なんて答えようかアザミさん?」


「……」


 キタノの言葉に、やはりアザミは答えない。沈黙するアザミを余所にキタノは言葉を続けた。


「んふふ……そうだねェ。しいていうなら、最初から、だよねぇ?」


「さいしょ……から?」


 ルイカは思わず言葉につまる。それはいったいいつのことを指すというのか。


「そう最初から。このゲームが始まる前からさ。僕は全部知っていて、アザミさんが動きやすいようにサポートしたんだ。例えば、マツリカちゃんからプレイヤーたちのアドレスを聞き出して、内緒でコンタクトをとるとかね」


「アドレス――!? なんで……いや、そうか、あの、トイレの時」


 ルイカはマツリカを見た。マツリカはただ顔を歪めて震えている。


「疑いもしなかったって感じ? てか、おかしーと思おうよ。ゲームマスターがプレイヤーのアドレスくらい持ってないわけないじゃない?」


「俺と、……おっさんがトイレで申し合わせてた時、お前はマツリカを抱き込んでアドレスの存在を隠させてたってのか!?」


「ご名答。いまさらだねぇ? ちなみに、各プレイヤーのアドレスってアイテムとして取得することも出来たんだけど、僕の独断で配置はしないでおいたよ。これで、誰かが気付くまでは僕とアザミさんの秘密のホットラインが維持できるわけだ。――ま、あんまり役に立たなかったけどね。あの女しぶといからさ」


 ルイカは苦悶するような声を漏らさざるを得なかった。自分はなんて間抜けなのだろうか。考えもしなかった。

だから、だから、アザミはどこからでもハルを付け狙うことが出来たのか……。


 しかし、それでも疑問は残る。


「けど、どうしてこんなことをする必要がある? 本当にそんなことがあったんなら、ハルを殺すんじゃなくて……もっと、他のやり方があったんじゃないのか?」


「他のってなにさ? イジメを公表しろって? 無理無理。さっきも言ったじゃん。そこでくたばってる記者さんもさ、圧力かけられてイモ引いちゃったんだってば――君の父親にさ」


 そうだ。それが一番わからない。


「どうしてそんなことを親父がやるんだ!? ハルが何か関係してるっていうのか!?」


 声を上げるルイカに、心底可笑しいと言わんばかりに身を震わせ、物言わぬ瞳を向けてくる。


「関係も何も――あの女はさ、君と出会うずっと前から、君の父親のペットなんだよ。解る?」


「――は?」


「んー? 愛人? 情婦? 専属娼婦? いやぁ、やっぱりペットっていうのが正しい気がするなぁ? 愛玩動物っていうか、まぁつまりは家畜みたいなもんさ」


 キタノがさらりと答えて見せたその言葉は、ルイカのあらゆる思考思索を硬直させるのに十分なものだった。


 だって、そんな荒唐無稽な話を信じる方がどうかしてる。ハルが親父を知ってた? 俺と知り合う前から? しかも――


「ハ、ハハハ――」


 乾いた笑いがどこからかこぼれた。


 ありえない。いくらなんでもそれはありえない。このゲームに参加させられて、あり得ない物をさんざん見せられた。それでもなお、それが一番あり得ないことだと、ルイカは心の底から思った。


「あれれー? ショック受けちゃってる感じ? ていうかさ、君もちょっと疑問に思おうよ。傍から見ててもさ、アレってかなり不自然な女だって気が付かなかった?」


「やめろ! さすがにそんなバカな話が通じるかよ。――ああ、そうだ、危うく信じるところだった。おまえの言葉を保証するものなんて、この場には何もないんだからな……」


「はぁ? なに? この期に及んで現実逃避? ――んああー、つまんないなぁ。それはつまんない! 話を聞く気のないヤツになに言っても通じないんだよねェ。困ったなぁ。アザミさん、どうしよっか?」


 言葉ばかりは心底残念そうに、しかし言いようのない嘲りを交えキタノはつぶやくように言う。


 一方ルイカは、血の気の失せた顔でアザミを見た。アザミは依然として応えない。


「証明しろとか言われるとつらいんだけどさぁ? でも思い当たる節もあるんじゃない?さっきも言ったけどさ、人身売買? キミの父親は人間も商品にしてたんだよ。芸を仕込んで金を持った外道どもに売りさばくわけだ。その内の一人――いや、一匹っていうべきかな? 気に言った女を自分好みに育ててたわけだ。もちろんセックスの相手をさせるためにね」


「やめろ……ありえねぇって言ってるだろ!」


 ルイカは声を荒げた。心当たり? そんなものはない。確かにルイカは父を冷血の人でなしだと理解していた。しかし――しかし、まさかそんなおぞましいことまでやっていたなんて、どうして信じられる? 受け入れられるわけがない。


「あーらら。なんか必死だねぇ? やっぱどこかで納得しちゃってる自分がいるって感じですかぁ? 頭はでは否定したいのにってヤツ? ま、そりゃあそうだよねぇ? だってさんざんサカリまくってた彼女がねぇ? ――くっ、くふふふふ。そうだよねぇ。信じたくないよねぇ? 自分の父親がさんざん使い古した性玩具に喜んでわけだもんねぇ。お古なわけだよ。きっもち悪い親子だねェ。くふふふふ」


 ルイカは前に進み出ていた。自分が何をするつもりだったのかも定かでない。ただ。突っ立ったまま会話をしていることに耐えられなくなったのだ。


 暴力を振るってはならないことは身に染みている。だが、それはそれとして、こんな侮蔑を、こんな侮辱を受け入れることは出来なかった。


「あーあ、追い詰められるとスグそれだ。――ま、いいや、そのカオが見れたから良しとするよぉ。――あとは好きにしなよアザミさん」


 キタノに対して突貫しようとしたルイカの前にエネミー達が立ち塞がり、壁を作る。それぞれに牙を爪をルイカに向けて突き立てんとするかのように身構えている。


 しかしルイカにはもはやそれを避けることも、立ち戻ることも出来ない。止まれない。


 もはや万事休すか? 俺は何をしてる!? ――マツリカはどうする? ――母さんは? ――おっさんだってまだ生きて――なのに、おれは、今、なのに、な何を――――。


 今まさに打ち震えるルイカの五体が、その命が凶刃に晒されようとしたその時、フードプロセッサーの刃のように旋転した紫電の刃が、何故かルイカ自身ではなく、その前進を阻もうとしてたエネミー達を蹂躙したのだ。


「――――ッ!? ア、アザミ……お前」


 無論、こんな真似が出来るのはアザミだけである。しかし、これをやったのが本当にアザミだというなら、つまりアザミは、俺のことを助けたということになる。


「はぁ……?? なーにやってんのアザミさぁん!? 予定と違うじゃあん?」


 声だけは変わらず軽薄に、しかしどす黒い憎悪を語韻に滲ませ、キタノがアザミを問い質す。


「……聞いてない」


「はい?」


 応答はただ簡潔に。アザミはそれを何の感情もうかがえない美貌で受け止めて見せる。


 その表情に一切の陰りは見られない。まるで今まさに磨き上げられた女神像のように、冷然と言葉を返す。


「私はこんなのは聞いてない。あの女は殺す。――けど、アカシくんは殺さないし、殺させない」


 思えば、アザミが上に上がってきてから、肉声を発するのはこれが初めてのことだ。


「アザミ……お前……」


 そしてアザミは、足を止めたまま驚愕するルイカを守るように、キタノの前に立ち塞がったのだ。


「アカシくんは殺させない。――


 アザミは同じ言葉を繰り返し、対峙するキタノを見据える。


「ハハ――、アハハハ。なに? アタマん中そんなにヤツだったのぉ!?」


 爆笑するにキタノに、アザミは取り合わない。すぐさま大気を裂く雷轟を伴うミョルニールの投擲が始まる。


 それを、周囲に群がっていたエネミー達が身を挺して阻んだ。


「ま、いいけどね。やらないなら僕が自分でやるさ。さぁ、仕事だよみんな!」


 キタノが声を上げると、それまで硬直状態だった周囲のエネミー達がまでもが。一斉に動き出す。そう言えば、なぜこのエネミー達はキタノの指示を聞いているのだろうか?


 てっきり記者の指令がそのままになっていたのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 そこで改めてルイカは気づいた。キタノの手には先ほど死亡した記者のスマホが握られていたのだ。すなわち、エネミーを操作する「クピト」のスマホを機能ごと受け継いだということなのか!?


「おまえ……いつの間に」


「なに眠たいこと言ってんのさ? 僕は〝アイテムマスター〟なんだよ?」


 そうか。アイテムマスターは死んだプレイヤーのスマホを回収できるんだった。しかもゲームマスターであっても所有権は認められているらしく、周囲のエネミー達は引き続きスマホの持ち主であるキタノを主として認めているらしい。


 キタノの防壁となった以外のエネミーは一斉にアザミへ、そしてルイカへと襲い掛かってきた。


 ルイカには依然として出来ることなどない。一方、それを庇うように前に出たアザミはそれらをミョルニールで焼き焦がし、またロンギヌスの槍で貫き、斬り伏せていく。


「……アザミ、お前ホントに……」


 本当にオレを庇うつもりなのか!? でも。どうして!?


「アカシくんは、あの子を」


 静かな声でそうとだけ言って、アザミはルイカを部屋の隅で立ちすくんでいたマツリカの元へと押し出しだ。


 ルイカは咄嗟にマツリカの身体を抱きとめる。まるで氷のように冷たかった。生きているのが不思議なくらいだとさえ思ってしまった。


「あ、う……わたし……」


 それでもマツリカは生きている。そうだ。ルイカは護らなければならないのだ。


「大丈夫か?」


「うん……でも、わたし、ごめんなさい……」


 キタノにアドレスを渡してしまったことだろう。だが、今はそれを追求しているヒマはない。


「そのことは後だ――なんとか、ここから」


 逃げなければならない。だが、アザミとキタノがやり合っている状況で、身を守る術すらないルイカに出来ることがあるのだろうか?


「なんでこうなっちゃうかなぁ……。残念だよアザミさぁん? だいたいおかしくない? そいつだってイジメの主犯格だったんでしょ?」


 キタノはエネミーを壁のように配置してその後ろから言葉を飛ばしてくる。


 対するアザミは、しかし答えない。右手に雷電のスマホ「ミョルニール」を、左手の治癒のスマホ「ロンギヌス」を携え、並み居るエネミーをまるで問題にせず蹂躙していく。


 ルイカは思わず唸り声を漏らした。そうだ。アザミは最初から圧倒的なプレイヤーだったじゃないか。アザミを正面から止められる奴なんていない。


 そのアザミとの協力関係が切れた今、むしろキタノにこそ勝機なんてないんじゃないのか!?


「――――だから、このまま一気に逆転できる――とか思っちゃってる?」


 まるで踊るかのようなアザミの背中を見守っていたルイカに、遠くから投げつけるようなキタノの声が届いた。


「これって僕のピンチ――だとか思われてると心外だからあえて言うけどさ。そこの色ボケ女が寝返ったくらいで、僕のプランがひっくり返る。なんてことあり得ないんだよねぇ。……これ、知ってるかな? 知らないよね? 裏ルールっていうか、裏ワザ?」


 そう言うとキタノは手にしていたスマホから――ルイカ達にも見えるように掲げて――器用に指の爪ほどのシムカードを引き抜いた。


 何事かと衆目が見据える中、キタノはそのシムを、自分が元から持っていたスマホ、つまりアイテムマスター用のシムが入っていたスマホにセットしたのだ。


 つまり、シムカードを交換したということになる。何の意味があるんだ!?


「プレイヤー達のスマホの特殊機能――ワープゲートを開いたり、戦闘ユニットを召喚したり、盾を出したり、雷を発したりっていうのはさ、このシムに依存するものなんだよね。でも、それ以外の機能。つまり獲得したアイテムとか情報とか? そう言うものはさ、こっちのスマホ本体の方に記録されてるんだ。解る? ――つまりさ、プレイヤーが頑張って獲得した経験値レベルもシムじゃなくてスマホ本体の方に記録されてるってこと」


 そして、それまで攻撃能力のなかったアイテムマスター用のスマホを、キタノは銃口のようにルイカに差し向ける。


「けど、こっちのゲームマスター用のスマホにはさ、レベルなんてものは設定されてないんだ。ゲームマスターにはレベル上げる必要なんてないわけだからね。つまり、ゲームマスター用のスマホは最初からに設定されてるんだよ。そこで! このゲームマスター用のスマホにプレイヤーの用のシムを入れるとあら不思議! こんなに簡単にレベルマックス状態の攻撃用シムが使用できるのさ」


「レベルマックス――だと!?」


「そう。ちなみに『クピト』は最大までレベルを上げることで、射ったプレイヤーをも完璧に支配下に置くことが出来るんだったよねぇ。覚えてる? ねぇ覚えてる?  ――それをさ、こうしたらどうなるかなァ?」


 キタノはアザミにスマホを差し向ける。――だが、大丈夫だ。ルイカは確信した。たしかに当たれば相手を直接コントロールできるその矢の効果は絶大だろう。けどな、如何にエネミーとか戦いながらであっても、正面からアザミにそんなものを射ったところで当たるはずもない。


 問題ない。シムを交換したところで何の意味も――――。


「アカシくん!!」


 そこで初めてアザミが切迫した声を上げた。今まさに矢が射放たれる瞬間、キタノはスマホをアザミではなくルイカに差し向けたのだ。


 ルイカは吐こうとしていた小さな安堵の息を、あわてて呑みこむこととなった。


「だから言ってんじゃん。こんなことで状況はひっくり返らないって」


 半実体の矢は極めて視認しにくい。いや、そもそも視認できたところでルイカにそれが躱せるとは思えなかった。


 矢は相手をコントロールすることも、殺傷することも自由自在だ。あの矢はどっちだ!?


 どっちであっても、ルイカに出来るのは身を挺してマツリカを矢から守ることだけだった。


「はい、チェックメイト」


 背を向けるルイカに揶揄するようなキタノの声が響いた。


 

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