第32話 告白

 否応なく足が逸る。母やアザミに直接問いただすことが出来ない以上、ルイカにできることは、マツリカの言葉から母とアザミとの接点を推察することだけなのだ。


 だが、なぜこうも焦る?


 それは――かもしれないと思うからだろうか? 他ならぬアザミの口から、ルイカがどれだけ非情で浅ましく、醜悪な人間であるということが。


 母に今の自分の、恥部と呼べる事柄を知られているかもしれないと思うと、やるせなかった。あとからあとから、聞かせる相手もいない言い訳がせり上がってくる。


 ――それに、訊いてどうするのだ? マツリカからそれを聞いたとして、それでお前はどうするというのだ?


 疑念だらけの頭を抱えたまま、ルイカは女子トイレの一角で足を止めた。


「はぁ……」


 どことなくばつが悪い気もするが、そんなことも言っていられない。この間にもゲームは進行しているのだ。


 ――居る。一番奥の個室。扉が閉まっているのはそこだけだ。


 ルイカは何も言わずに個室の前まで歩み寄った。マツリカも中で誰かが近づいてきたことが解っているはずだ。


 なにを言う? どう声を掛ければいい? ルイカはここに来て、掛けるべき言葉を見失う。

 

 ――『母さんはアザミを知ってたぞ! なにか知らないのか!?』 ――『お前、何か知ってることがあるんじゃないのか!? 隠していたんじゃないだろうな!?』


 そんな言葉ばかりが脳裏を駆け巡る。罵倒、詰問、揚げ足取り――そんな使い慣れた言葉ばかりが。口を開けばいくらでもあふれ出てくるはずだ。


 改めて、自分と言う人間がイヤになってくる。こんな言葉しか他人に掛ける言葉をもたないなんて。そのくせ、その事実を母に知られたらと恐れおののいている。


 この期に及んで、自分が綺麗な潔白な人間であるかのように装いたいというのだろうか?


 いざここまで来ておきながら、ルイカは無言のまま諦観に逃げ込もうとしていた。

いまさら何を言っても、いまさら何を取り繕っても、無駄なのではないか? 自分のような人間が何をしたところで……。


 そんな想いが沸き起こってくる。


「待ってッ」


 結局何も言えずに踵を返そうとしたところで、声が掛けられた。


 振り返るとドアが開いており、マツリカがルイカを見ていた。


「……待って」




 案外、何もせずとも出て来てくれるもんだな。


 勝手に思い込んで背を向けようとしていた自分がバカらしくて、ルイカはひとり、自嘲気味に溜息をついた。


 天の岩戸なんて話もあるけど、案外放っておけば出てくるということだろうか? 下手に騒ぎ立てるよりも。


 トイレの中で喋るのもなんなので、二人は小さな食堂……と言うよりも給湯室のような場所に移っていた。


 電気ケトルや電子レンジが置いてあったりして、簡単な軽食の類いも置いてある場所だ。


 しかし何とも物悲しい場所でもある。ゲームマスターは基本的に定位置を離れることがないから、食事がしたければここでさっさと済まして仕事に戻れとでも言いたげだ。


 まったくなっちゃいない。ゲームマスターをしてほしいなら給仕係でも雇っておけと言うのだ。ルイカはあてどなく吐き捨てる。


 いや、どうせヒマなのならあの神様もどきが世話のひとつも焼いてくれればいいではないか。


 順当に妥当に考えなら、アレが本当に超常の神だというなら、コーヒーの一杯くらい淹れることは容易なずだ。


「何か食べるか?」


 ゲーム開始からすでに10時間以上が経過している。思ったほど疲労や空腹は感じないが、今後のことを考えるなら何か口にしておいた方がいいだろう。


 冷蔵庫にはパックされているサンドイッチやおにぎりみたいな軽食が雑多に詰め込まれていた。


 いまいち食欲と言うものが刺激されない光景だ。あの青神は食事をしないのか?


「ほら、これ」


 適当にサンドイッチを手渡すが、マツリカは食指が動かないらしい。


 まぁ、気持ちはわかる。とても気分よく食事の出来る状況じゃないよな。――だが、いざというときに倒れられても困る。


 なにか無いか? 飲み物でも――しかし、ルイカにマツリカの好物など解るはずもない。


 ――いや、それでも母さんなら。


「……熱いぞ」


 安っぽいソファーの上にちょこりと座ってサンドイッチをもてあそんでいたマツリカに、ルイカは湯気の立っているマグカップを渡す。


「あ……」


 ホットミルクだ。

 

 ルイカにとっての精一杯の行動だった。正直これしか思いつかない。そもそも母がルイカの元に居た時だって、給仕の類いをしていたのは家政婦連中であって、母が台所に立っているのを見た記憶はないのだ。


 それでも、これだけは覚えている。母が入れてくれるホットミルク。なぜかこれが妙にうれしくて、印象に残っていた。


 それが解ると、マツリカは笑顔を見せた。笑顔で、マグカップを受け取る。


「熱いぞ」


「だいじょぶ」


 それから、二人で並んで長椅子に座り、ホットミルクを飲み、一緒にサンドイッチを齧った。


 妙な感じだ。あらゆるものに急かされているはずなのに、妙に落ち着いていて、悪くないような気分になってくる。


 だが、時間は掛けられない。


「ごめんな……戻れるか?」


 名残惜しいような感傷さえ感じながら、ルイカは言った。


「アキオくん。大丈夫?」


「ああ。何もしてないよ。多分、無事だ」


 マツリカは安堵したように息を吐いた。


「おかあさんは?」


「ああ。……アザミが助けてくれたんだ」


 すると、マツリカは持ち前の大きな眼を見開く。率直に驚いている。


「カミナリの人?」


「何か、知ってるか? 母さんと知り合いみたいなんだ」


 マツリカは首を振った。


 手がかりは無し、か。途方に暮れたような心持ちだったが、一方でどこかホッとしたような気分もあった。


「あの人、どんな人?」


「どんな――って」


 いきなり尋ねられて、ルイカは反射的に何事かを怒鳴り返そうとしてしまった。


 その言葉を必死に呑みこむ。どんな人? それはアザミの事を言っているのだろうか?


 いや、マツリカからすれば当然の反応だ。――いくらルイカがそれに触れられたくないと思っていたとしても、言わない訳にはいかない。もう、本当に言わなければならない。ここで、告白すべきことなのだ。


「よくは、知らない。――とにかく、おとなしいヤツでさ」


 なにを言うべきかも定かでないまま、ルイカは震える口を開いた。


「いつも一人でいて、笑ったところも見たことないんだ」


 違う。言わなければならないのはそんな事じゃないだろう。


「そう言う奴だよ。……人は見かけによらないよな」


 ゲームとの印象が違い過ぎるだろうと言いたかったのだが、上手く言葉にならない。


 この期に及んではぐらかそうとしているのだろうか? ルイカは失笑を漏らしそうになる。自分への失望で頭がおかしくなりそうだ。なのに、思うように言葉にならない。


「アキオ君と似てる」


 ぼそりと、マツリカが言った。


 アキオ? そうか、アイツも――


「アキオくんね。みぃんなにいじめられたんだって。みぃんなに」


 みんな、と強く誇張するように、マツリカが言った。


「そう、か。でも、そんな……」


「かわいそう。いじめられると、すごく嫌でしょ? だって、わたしも……たまにいじめられたりするし」


 ルイカはギョッとして身を強張らせた。そんな印象は無い。だってマツリカは誰にでも好かれるタイプの子供じゃなかったのか?


「……そんな。おまえ、だれに」


「たかしくんとか。たまにだけど。けど、すごいな気持ちになる」


「か、……母さんには言ったか?」


 マツリカは無言で首を振った。


「い、言わなきゃ駄目だろ」


「なんでいじめるの?」


 忠告めいた言葉を吐こうとしていたルイカは、息をするのも忘れてマツリカを見おろす。マツリカの視線は何の感情もなく、他意も含まない、純粋な疑問を投げかけて来ていた。


「あ……。そ、れは、だな……」


「『彼女さん』もいじめてたんでしょ? あのビリビリのヒトのこと」


 言葉が出てこない。ただただ、驚愕に言葉もないルイカにマツリカは率直な言葉を投げかけてくる。


 ただ純粋に、なぜ? と。


 頭の中で言葉があふれる。言い訳じみた詭弁があとからあとから。


 ぜんぶ無意味だ。重要なのは事実だ。


「……ああ、そうだ。ハルは、ずっとアイツをいじめてた。ひどいもんだったよ」


 ルイカはとうとう、それを口にした


 ハルは、ルイカには優しかったし、なんでも賛同してくれる。


 ルイカにとっては女神のような存在だ。けれど、事実として、聖人君子のような人間ではない。


 ハルとその取り巻き達のアザミへのいじめは、周知の事実だった。


 無論、ルイカも止めろと言ったことがある。くだらないことだと。


 しかし、「付き合いがあるから」と言われればそれまでだ。それくらい、ハルに取ってイジメとは日常の一部だったのだ。


 やって当たり前のこと。あって当然のこと。


 ルイカもこうして他人の眼に晒されるまでは、それが異常なことだとは思えなくなっていた。それが日常だったのだ。


 そりゃあ、どこかにやめさせなければという正義感みたいなものがなかったわけじゃない。


 アザミに声を掛けたことだってある。「大丈夫か? なんか出来ることはあるか」と。


 あのとき、何か言ってくれれば、出来たかもしれないんだ。俺みたいなクズにだって何かが!


 けど、アザミは「大丈夫」と繰り返すばかりで……。


 結局、ルイカにはそれ以上出来ることが無くて。あとは傍観者としてそれを見ていることしかできなかった。


 それが全てだ。


「……母さん。怒るよな。俺……俺が……こんなクズみたいな人間で」


 いつの間にか、泣いていたらしい。なにに対して泣いているのか自分でもよくわからなかった。


「うん。わたしも、すごい怒られた」


 マツリカのはっきりとした言葉に、ルイカは顔を上げる。


「わたしスマホ、欲しかったの。友達は持ってたから。でもお母さん、絶対ダメだって。いつもそう。わたしだけ、なにもないの。みんながもってるもの、わたしだけ、もっていない……」


 マツリカは悲しそうに目の前の虚空に話しかける。


「そう言ったらね。買ってくれたの。アキオくんが」


 ルイカは声もなく驚いた。基本的に第3者から送られるようなものじゃない。ましてや……。


「わたし嬉しかったんだけど……でもおかあさんに見つかっちゃって、それですごい怒られて、逃げたの。そしたらいつの間にか、ここにいて……」


 逃げた? 家出してたっていうのか? こんな子供が? ――いや、子供だからなのかもしれないが……。


 それにしても、そんな状態だったのか、とルイカは改めて驚愕する。加えて、母とマツリカの状態について毛ほども想像力を働かせようとしていなかった自分の発想の貧相さかげんに頭が痛くなってくる気がした。


 どれだけ、自分のことしか考えていないのだろうか?


「だからね、わたしあとですごく怒られると思う。――でも、今は怒られたい」

 

 ルイカはマツリカを見た。


「怒られてもいいから、おかあさんに会いたい」


 マツリカはそう言って、決意のようなものが宿る視線を向けてきた。


「……そうだな。そうだよな。怒られるくらい、なんてことないかもな」


 死んでしまってもう会えなくくらいなら、怒られたって構わないかもな。


 ルイカは無意識的にマツリカの頭を撫でていた。本当に俺の妹なのだろうか? 自分なんかよりもよほど頭がいい。


 自分は怒られる――と言うより、失望されることから逃げようとしか考えられなかった。それで、取り返しがつかなくなってから気付くことになる。


 思えばずっとそうだったのだ。母の時も、アザミの時も。


「……アキオとは、スマホのことだけか? ――他に、変なことされてないんだな」


「うん。アキオくん、あんまり近づくと、恐がるから」


「そうか。……そうか。ゴメンな。勝手に決めつけて」

 

 まるで父のようだった。勝手に決めつけて。自分はそうされることをずっと忌み嫌っていたはずなのに。


「ううん。私もごめんなさい。アキオくんのこと、ちゃんと話せばよかったね」


「そうだな」


「もどろう!」


 マツリカはまた花の咲くような笑顔で笑い。ルイカの手を握ってくる。そのまま二人で手を繋いで給湯室を後にした。


 されるがままに従いながら、ルイカは思う。誰かと手を繋いだのなんていつ以来だろうか?


 そう言えば、ハルとはこうして歩いたことは、一度もない。

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