第29話 誘惑の代償

「――オレはこの「レイヤー」を援護するべきだと思う」


 不安そうにしていたマツリカが、目をいてルイカを見た。しかしルイカは構わず続ける。


「えー!? さっきと言ってること違くないでス?」


「どのみち、ハルと母さん以外は脱落してもらわなきゃならないんだろ? なら、同じことだ」


「いや、まぁ……うーん」


「そんなこと言ってなかった!!」


 マツリカが声を上げた。これまでにないほど、感情を込めた声だった。


「もっとたくさん、助けるって! おじさん言ってた!!」


「……ああ、もちろん……その、つもりでは……有るんだが」


 マツリカの訴えに、中年は言いよどんだ。それはそうだろう。


 ルイカが言葉を続ける。


「どうやって助けるんだよ? プレイヤーを仮死状態にして後で蘇生? けどな、蘇生するには相当のバッテリーが必要なんだぞ? そんな何人も蘇生できると思うのか?」


 そこまでは考えが及んでいなかったのだろう。マツリカは目を見開き、あわあわと口を開いては閉じてを繰り返すばかりで、何も言えずに表情を曇らせる。


 白い顔に怒りや悲しみや焦燥が入り混じっている。色を重ねすぎて真っ黒に汚れた水彩画みたいに見えた。


 その大きな瞳に、見る見るうちに涙がたまっていく。


「……いじめてるわけじゃないぞ」


「なにも言ってまセんけどー」


 ルイカは着ぐるみを牽制する。ルイカの主観的な判断が無いと言えばウソになるが、言っていることの筋は通っているはずだ。


 彼ら4人の「方針」はハルと母、両方をゲームから救い出すこと。それが最優先なのだ。それ以上のことは切り分けて考えていかなければならない。


 なんとかできる手段が有れば別だが、今のところ、確実に3人以上の相手を生き残らせるアイデアはない。


 あっても、ハルと母の生存確率を下げることは許されない。


「――ウソ!」


 そこで、涙を散らすようにして、身体を声を震わせるようにして、マツリカが叫んだ。


「ウソつき! アキオくんのこと! きらいなだけでしょ!?」


 地団太を踏むみたいに、細い手足を振り乱して、マツリカは息も絶え絶えに喚きたてる。


 まさしく小学生の癇癪かんしゃくだ。論理的に言い返すことができず、とにかく感情的に反発するしかないのだろう。


 ――いや、ルイカの持つ嫌悪感を感じ取ってのことだというなら、むしろ的確なのかもしれないが。


 息巻く勢いのマツリカに、ルイカも牙をくようにして応える。


「ああ、嫌いだよ! いい歳して「ニート」? その上お前みたいな子供にイタズラしようなんて変態はな、殺さても文句は言えねーんだよ! この世間じゃな!」


「そんッ……。なんッ……なんなのォ!!」


 マツリカは小さな身体に満身の力を込めて言葉を切ったあと、叫ぶ。


「そんなこと言うから! ――みんなで、みんなしてアキオくんを、そんなふうに! イジメルから! だからアキオくんはあんなに怖がってるんだよ! 今もあんなに、恐がって……なのに……頑張ってるのに……どうしてイジメルのぉ!?」


「おまえら……頼むから、いいかげんに」


「私たち、何も変なことしてないもん! なんで決めつけるの!? なんで!?」


「んまぁ……そのアキオくんのことは置いとこーよ。ほら、「レイヤー」の人、逃げちゃったし」


 両サイドから中年と着ぐるみが声をかけてくる。


 見れば、確かに「レイヤー」は新たに開いたワープゲートをくぐってさっさと姿を消してしまっていた。


 じっと自分を見ていた「ニート」へ、蠱惑的なウィンクを残していく余裕まである。


 これでは、援護も何もない。


「……なら、をしてないなら……なんで母さんに黙ってるんだ?」


 ルイカは一つ息をついてから、出来るだけ感情を出さないようにして問う。


「…………」


 やはり、マツリカは何も言わない。しかし、何を言うべきかと思案してはいるようで、しきりに大きな瞳を揺らしている。


「はぁー、もうー辛気臭いよぉー。おじさん、「レイヤー」のヒト、どこ行ったのぉ」


「ああ。行動がのはこっちのほうだもんな。……居たぞ。さっきのカガミ張りの部屋だ」


 立体型モニターの画面は「ニート」を置き去りにして、「レイヤー」を映し出す。


 兄妹のやり取りが手に負えないと思ったのだろう。中年と着ぐるみはゲームに集中するつもりのようだ。


 ルイカとしても、それで構わなかった。みんなの邪魔をしたいわけではないのだ。


「なんかもう自分の部屋って感じだねぇこのヒト。ぜんぜん外のこと気にしてないけど、部屋の前にワープゲート置いてある感じなのかな?」


 着ぐるみが言う。確かにこの「レイヤー」は部屋の外へは、全く意識を向けていないように見える。


「そうだな。自分はワープで出入りできるから、さっきの「非戦闘部屋セーフルーム」よりもよっぽど安全ってわけだ」


 ドアからこの部屋に入ろうとするプレイヤーは、さっきのハルみたいにワープゲートを踏んでどこかの部屋に飛ばされてしまうというわけだ。


 そんな、安全な部屋マイルームに戻った「レイヤー」は、すぐさまカガミに映った自分の姿を眺めまわす作業に戻った。


 ――が、次の瞬間、度肝を抜かれたかのように驚愕して振り返る。


 


 先ほどと、まったく同じようにして「ニート」が「レイヤー」の背後に居たのである。


「なんだコイツ!? 何やった!?」


 ルイカはまた声を上げていた。驚愕はゲームマスター一同も同じだ。


 上から見ていても、何が起こったのかがまるでわからなかったのだ。


「あー、これだ。「タラリヤ」。神様のサンダルだったね確か」


「ああ、敏捷性と体感速度を上げてくれるっていう特殊シムだ」


 要するに、素早く動けるってことか!? 


 理解よりも驚愕こそが先に立つ! つまりこいつは、「ニート」は着いてきていたのだ。「レイヤー」とを通って!! 


 ここから見ていても、何が何だかわからないほどの速度だった。目の前でこんな速度で動かれたら、まず視認することなど不可能だ。


 思ったよりもはるかに強力なシムだ。近づかれたてしまったら、もうどうしようもない。


 プレイヤー達の状況は先ほどとまったく同じ状況だった。また同じところからやり直しということだ。


 しかし、今度は条件が異なる。「レイヤー」も、もはや自分が「ニート」から逃げることが出来ないのだと悟ったはずだ。


 「ニート」は今度こそ、震える手でマシンガンを構える。


 見るからに喋り慣れていないふうな口ぶりで、何かを言っている。半ば叫ぶかのような具合だ。おそらくは、スマホを捨てるように指示をしていたのだろう。


 「レイヤー」は、ぎくしゃくとした動きで、素直に指示に従った。


 銃口を見つめるその顔には、表情が無い。もはや観念したというところだろうか?


 いや、そうではない。今まさに弾けそうな銃口を向けられながらも、華美に縁取ふちどられた「レイヤーの」の双眸そうぼうらんと見開かれているように見えた。


 そこにあるのは恐怖ではなかった。なんというか、ある種の好奇心さえたたえて、「レイヤー」は微笑を浮かべているのだ。


 まるで、幼子を落ち着かせようとするかのような微笑みである。


 ここからでも、奇妙な自信のようなものがうかがえた。


 まるで、スマホすら持っていないこの状態からでも、『自分ならなんとかできる』という、ある種の確信めいたものを持っているかのような。そんな表情だった。


 実際、「ニート」は圧倒的な優位に立ちながら、先ほどから何もできずにいる。


 銃口を向けながら、いつまでたってもぶるぶると、小動物みたいに震えているばかりなのだ。


 まったく情けない――――とは、さすがのルイカも思わなかった。


 いざ相手が抵抗を止めたとしても、それで簡単に引き金を引くことなどできるはずがない。


 むしろ、相手ががむしゃらに抵抗してくれた方が、勢いで引き金を引ける可能性があるだろう。


 無抵抗と言うの、はそれほどに持て余すものなのだ。


 よほどのモノでない限り、まったく無抵抗の相手を攻撃することなど出来ない。


 ――世の中には、まったく無抵抗の相手を、なんの躊躇ちゅうちょもなく攻撃できてしまう人間もいるのを、ルイカは知っているが。




 画面では、依然として震えるばかりのニートを前にレイヤーが、また新たな表情を浮かべていた。


 ニタリと、先ほどにもまして自信に満ち溢れた笑みだ。ある種、小憎らしいとさえ思えるほどの。


 そして何を想ったのか、ただでさえ煽情的な自分の衣装をさらにはだけさせ始めたのだ。


 一歩、また一歩。自らの色づくような肌を見せつけるようにして、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 ウィッグだけはそのままに、奇妙な構造の衣装を脱ぎ去り、もはやヒモの様だった下着まで取り払って見せるのだ。 


 瞬く間に、匂い立つような裸体が露わになる。仄紅ほのあかく火照る肌の上を、熱い蜜のような汗が、ゆっくりと筋を引いていくのが分かった。


 瞬く間にヘアーまで露わになってしまった「レイヤー」に対して、「ニート」は目に見えて動揺し、後ずさりを始める。


 致命的な銃口を向けたまま、じりじりと後退していくのだ。


 追い詰めていくのは、薄絹一枚纏わぬ、銃口を向けられた女なのである。


 これにはゲームマスター一同も、騒然とならざるを得ない。こんな状況、誰だって気まずいに決まっている。

 

「い、色仕掛けかよ!?」


 中年が真っ先に声を上げた。


「いや、おじさんなに喜んでんのさ――っと、マツリカちゃんは見ない方が……」


「よッ!? よよ喜んではねぇよ! ホントだよ!? ちょっと聞いてくれよ。今のはツッコミであって」


「……イヤおじさん、焦りすぎだし」


「焦ってねぇし……」


「アキ……オ、くん?」


 中年と着ぐるみがあまり関係のない応酬を続ける間に、「レイヤー」は輝くような裸体をのけぞらせ、惜しげもなくさらに大胆なポーズまで取りながら、「ニート」に近づいていく。


 なんとも煽情的な光景だ。普段からのポージング練習の成果といったところだろうか?


 当の「ニート」はと言うと、とうとう壁際まで追い詰められ、全身から汗を滴らせながら目を見開いて、これを見ることしかできない。


 マツリカがこの光景の意味をどこまで理解しているのかはわからなかったが、それでも顔には言い表しようのない嫌悪の表情が浮かんでいる。


 この先どうなるにしても、見せない方がいい。


 誰だってそう考えるだろう。


「なぁ、早く画面切り替えろよッ」


「いや――ちょっと待て」


 なぜか躊躇する中年に、ルイカは思わず牙を剥く。


「あんた、なに言ってッ」


 次の瞬間、サブマシンガンの銃口が火を噴いた。「ニート」こと、アキオは悲鳴を上げながら、がむしゃらに銃を乱射したのだ。


 タ、タタタ、タ――と。それは唐突な夕立ゆうだちが物言わぬ裸婦像を打つような光景に見えた。 


 「レイヤー」は最期まで全身に自信をみなぎらせたままの姿で倒れ伏し、そのまま動かなくなった。


 本当に彫像の様だった。たたえる微笑みまでもが、そのままで。


「――やったぁ!! 勝った! アキオくん勝ったよ!」


 誰もが息を呑む中、マツリカだけが惜しみない喝采の声をあげていた。


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